写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

06 3日目ソウルの夜 東大門のファッションビルなど(2015年1月10日)

  もう夜8時ぐらいなのですが、服を買い損なっていて、明日着るものがないです。東大門地区のファッションビル街は深夜までやっている、という話を思い出し、そこへ行くことにしました。COEXのある三成洞からまた環状線2号線に乗り、漢江を行くときとは反対側の鉄橋で渡り、旧市街の江北地区に戻ります。

 

 東大門歴史公園という駅で降りて外に出ると、小さな韓国式の門があります。おや、東大門ってこんな小さい門だったっけ?と思ったら、「光熙門」という別の門だと判明。

 

 東大門の方に向かって歩いて、ファッションビルが並んでいるところに出ます。どこに入ろうかと思いましたが、「good morning city」というビルに入りました。深夜1時までやっているようです。ファッションビルといってもこのあたりはちょっと野暮ったいです。下町的というか。小さい店がいっぱいテナントとして入っている感じです。

 

 紳士服売り場エスカレーターで上がると、いきなりその前の店の店員押しの強い接客をしてきました。一通り回って良さそうな店で買おうと思ったのですが。しつこいので「シャツ」といいます。柄物を勧めてくるので「ハヤンセク(白)」といいます。向こうは若い兄ちゃんで「ヘイブラザー」とか「グッド」とか片言英語です。シャツは何種類かあって、店員が勧めてきたのが58000ウォン。こちらがいいと思ったのは78000ウォンぐらいです。

 

 「ビッサヨ(高い)」といいます。78000ウォンのほうは「ブランド」というので店員の勧める方を買おうかと思いますが、それでも高い。すると電卓を持ってきて「いくらなら買う?」という仕草をします。こちらが電卓を「30000ウォン」と叩くと、ちょっと相談にいって、「38000ウォン」と叩きます。それぐらいならいいや、と思って買うことにしました。鏡の前で広げると「グッド」とかいいます。ですが翌日着てみると、着られないことはなかったのですが、ちょっと小さかったです。若者向けのカジュアルショップのようで、Lでも細身だったのでしょう。

 

 下着も必要ですが、韓国語でどう言うのか知りません。ですから「下着」と日本語で言うと通じません。仕方ないので服の中から見せると、「ない」という仕草をします。困ったなあ、と思って外に出ると、露店のTシャツ屋があって、下着になりそうな白の無地のものもあります。店のおばあさんに「ラージサイズ」といって指さして買いました。4000ウォン。これだけおばあさんは日本語で言います。「made in Korea」と書いたシールが貼ってありました。韓国産はもはやブランドなんでしょうね。これは着てみたら質も大きさも悪くありません。こちらはいい買い物でした。

 

 せっかくなので夜の東大門をちらっと見て、地下鉄でホテルに戻ります。1号線東大門駅から鍾閣駅まで。そこで本屋に入ります。たいして読めもしない韓国語の本を買って帰るのはどうかなあ、と思ったのですが、いろいろ見ると欲しくなります。あれこれ考えて日本語単語集を買いました。逆の使い方をすれば日韓辞典代わりになるかと思って。なお、韓日辞典は持ってきていました。レジでお金を払うわけですが、そのあとに一言あってそれがわかりません。コンビニでもそうです。おそらくマニュアル接客の決まり文句なのでしょうが、いきなりわからないことをいわれるのはまごつきます。

 

 ホテルに戻りますが、屋台が並んでいるところを通ります。今夜は夕食が軽い食事だったので(その割には高かったですが)ここで買い食いをすることにします。焼き鳥。2本、と手で示したのに、なぜか1本しかくれませんでした。あと、「オデン」という、串に刺したおでん。日本由来らしいですが、串にはただハンペンらしき練り物がさしてあるだけでした。それから、コンビニ「マッコルリという韓国のどぶろくを買いました。ホテルであけたら、吹き出してきて床にこぼれてしまいました。

 

 1日目にはチョコを買いましたが、日本のチョコと質が変わらなくなっていました。地下鉄も昔はよく物乞いがいたり、釜山では地下鉄の物売りも見かけましたが、今回はまったく見かけませんでした。日本の地下鉄と同じで、みんなスマホをいじっているばかりです。きっぷがなく「キタカ」のような交通カードに一本化されていたり、全駅にホームドアがあったり、という点では日本より進んでいます。自分ちょっと時代に遅れてきたかな、という感じを持って過ごしました。  

 

 夜、オンドルが効いてないようで寒いです。暖房は北海道の方が上ですね。私は住んだことないですが、ソウルは仙台ぐらいの気候のような気がします。それゆえ寒い割には防寒や暖房がいまいち、寒いのに屋台があちこちあったりします。

 

 ということでここからは次回に。
 
 

05 3日目ソウル午後 雲峴宮・街歩き・COEX(2015年1月10日)

  今度は昼食。北村地区の入口近くの広い通りにある韓国料理店に入りました。ここも適度な混み方で、愛想もよく、今度はソルロンタンという、カルビタンと似ていますが、白いスープで骨なしの肉が入っているやつを注文しました。またキムチ以下の付け合わせもおいしく、付け合わせまで全部食べなくてもいいのに完食。ソルロンタンも美味。7500ウォンでした。

 

 今度は雲峴宮という宮殿に行きます。宮殿といっても、景福宮などと比べればこじんまりとした離宮のようなところです。ここも前は以前は公開されていなかったと思うのですが、公開されるようになったみたいです。ここは無料だったような気が。意外とただで公開しているところが目立つな、という印象を持ちました。ここも中国人客が目立ちます。今回、どうも日本人観光客らしき人が日本語をしゃべっているのを聞いたのは2回だけでした。観光地では中国人観光客だらけで、すごく日本人の影が薄くなっているなあ、という印象を持ちました。

 

 このあたりの裏路地に、最初に韓国に行ったときに泊まった「雲堂旅館」のあとがあります。懐かしいので入っていきました。ロードビューで事前に見ていた通りです。肉屋があったのになくなっていて、薬局は美容室になっていて、旅館はサウナのビルになっていて…という具合です。

 

 南に下るとごちゃごちゃした面白そうな路地があるようなのでそこに行こうとしたのですが、ここでおなかの調子が悪くなりました。昨日のカルビタン以来、食べ過ぎているのですが、下痢ではなくて、腹が張っています。とりあえず、トイレに行きたいです。

 

 地下鉄の駅ならトイレがあるだろう、と思い、慌てて行きました。改札の奥にあるので交通カードを「ピッ」ってやってトイレに駆け込みました。どうも水が合わないのか、便秘になったようでしたが、とりあえず出て助かりました。なかなか出なかったので長時間いたのですが、トイレは清潔。扉内側の注意書きには、ここにあるトイレットペーパーは流してください、と書いてあります。韓国ではトイレットペーパーは流さず横のゴミ箱に捨てるという習慣があって、それを見ると「ゲッ」と思っていたのですが、どうも水に流せるトイレットペーパーが普及してきたようです。でも、まだなじめない人がいるようで、そういう注意書きがあったのでしょう。

 

 朝からずっと歩き通しで足も痛くなり、おなかの具合もよくないので、ここで町歩きはいったん打ち止めにして、地下鉄の構内に入ったんだし、落ち着くまで地下鉄に乗ろう、ということにしました。この駅は5号線の鍾路3街駅でしたので、一駅乗って乙支路4街駅

 

 ということで5号線で乙支路4街にいったところまでかいたわけですが、このあたりは「ロードビュー」で見ると、ごみごみした小汚い町工場なのか部品屋なのかわからないような店が並んでいる地帯です。乙支路3街までは近代的なビル群なのですが、ここで急に小汚い街並みになるので、その落差が面白く、一度訪れてみたいと思っていたのです。

 

 ですが、いってみると、要するに問屋街なのです。確かにロードビューで見たような街並みですが、リアルに見てもそう感動するほどではありませんでした。東京や大阪でもそれなりにあるのかもしれません。照明器具ばかり並べている店や便器ばかりを並べている店、裏通りには金属加工をしている店とも町工場ともつかない店、反対の表通りには部品店が並んでいました。

 

 大学生のときに最初に韓国に行って帰ってきたとき、日本のタクシーの運ちゃんが、「韓国は日本から部品を輸入して組み立てているだけだ」といっていましたが、今の韓国はどうなのでしょう。こうした店に並んでいる部品を自国でつくることができる国になったのか、それとも日本製か、それとも中国製なのか、興味が湧きましたが、買う気もないのにつぶさに調べるわけにもいきませんので、疑問は解消されずじまいでした。

 

 思ったほど面白くなかったし、歩き疲れ、腹具合も今ひとつです。乙支路3街駅の前に出たので、ここから落ち着くまで環状線地下鉄2号線に乗ることにしました。ですが座れません。古い車両でしたが、椅子がステンレスです。10年くらい前に大邱の地下鉄火事があって、それから地下鉄の椅子がステンレスになった、と聞いていましたが、これだな、と思います。ですが不評だったらしく、新型と思われる車両の椅子はまたモケット付きになっていました。

 

 途中で座れましたが、混んでいます。地上に出て漢江の鉄橋を渡り、江南地区に入ります。こちらの方が新しい街並みで、住民の所得も高いといわれています。駅名も車内の表示機も見えないので、このあたりかな、と思った駅はソウル大入口駅で、行こうと思ったところとは違っていて、もう一度電車に乗ります。で、今度は確認して、宣陵駅で降ります。

 

 ここは12年前に短期留学したときに学校があったところですが、この学校、あまりはやらなかったらしく、まもなく閉校になったようでした。その跡はどこかな、と探索。それから、1週間泊まった安ホテルも探索。ここもロードビューで改装して完全なモーテルになったということを確認していたので、やはりそうでした。

 

 それから歩いて前回の短期留学時、毎日のように行ったCOEXモールというきれいな地下街に行ってみました。ここには現代百貨店があります。前回行ったときは、大きな家電売り場があったり、バーゲンセールに主婦が群がっていたりと、私の子供の頃のデパートを彷彿とさせるモノがありましたが、今回行ってみると、改装されて、やはり、家電売り場らしきものは見あたらず、日本の高級デパートの雰囲気に一段と近くなっていました。

 

 今回LCCで行ったので、荷物の持ち込み制限がうるさいのかと思い、服は最小限しか持って行かず、現地で買えばいいか、と思っていたので、紳士服売り場でちょっと値段を見たら、高くて手が出ません。

 

 COEXモールの地下街自体も改装されていて、もともとわかりにくい迷路のような地下街だったのですが、久しぶりに行くとどこにいるのかわからなくなります。まあ、それでも迷路探検みたいな面白さがあるのですが。ここも高級な店が多く、服屋も高そうです。「ZARA」があったので、ここならどうかな、と入ったのですが、女物が中心。

 

 板門店の帰り、ロッテデパートの横の「ロッテヤングプラザ」というところに「ユニクロ」があるのを見つけ、またユニクロの袋を持っている人を何人か見かけましたが、ロッテデパートはCOEXから遠く、むしろ仁寺洞に近いですし、他の店舗がどこにあるのかわかりません。だいたい韓国まできてユニクロでもありますまい。

 

 ということでここで服を買うのはあきらめました。夕食だけここで食べて帰ろう、と思ったのですが、おなかが張っていて、食欲もないです。今回はせめてグルメツアーにしようと思っていたのに残念。和食が食べたいです。ですが寿し屋は高い上に並んでいてあきらめました。土曜の夜なので、かなりの店が混んでいて、外国人ひとりでは入りにくい雰囲気です。

 

 一軒、カフェと洋食店の中間みたいな、日本でも良くあるタイプの店が空いていたので、そこに入りました。どうも高級なオープンサンドかハンバーガーの類を食べさせる店のようで、ハングルを解読して英語らしき品名を見ても、なんだかよくわかりません。日本でもこういう店の品名は凝った名前でわからないことがあるものです。で、BBQなんとかとか書いてあったものを指さして注文。あとカフェラッテを頼みました。やはりハンバーガーの高級なやつでおいしいといえばおいしいのですが、カフェラテと合わせて値段が13800ウォン。高すぎです。

 

 今回誰かと会う、という予定がなく、ガイドや韓医院の人は日本語が使えますし、それ以外の店員やレジの人は一方的になんかいうだけでそれがわからず、全然韓国語の練習になりません。それで食後、COEXをウロウロしているとき、案内員がいたので、それを捕まえて道でも聞いて会話練習の代わりにしよう、と思い立ちました。ですが、そういうことを思い立つと案内員とでくわしません。それでやむを得ず、案内カウンターに行って、地下鉄の駅の行き方を聞いてみました。何となくわかったものの、いわれたのとちょっと違って、おやおやと思います。

 

 

 

 

 

04 3日目ソウル午前中 北村散策(2015年1月10日)

 さて3日目、1月10日土曜日です。

 

 朝ですが、暗いので何時かな、と思ったらもう8時でした。前日夜早く寝たのに、寝過ごしです。日本と同じ時間帯で、日本中心部より西にあるので朝が遅いです。私は高校の頃まで西日本にいましたが、そういえば冬場、7時半頃までは暗かったことを思い出しました。

 

 ホテルは3日目からベッドルームに変わる予定でしたが、オンドル部屋も空いているので、替えるかどうか11時までに教えてくれ、ということでした。荷物を移動するのが、面倒なのでそのままオンドル部屋に泊まることにしました。

 

 ということで、9時ごろ出発。今日からは予定がありません。この旅行を思い立ったきっかけは、前年の夏にストリートビューや韓国版のロードビューにはまって、実際に行ってみたいと思ったのがきっかけです。あと、今まで行ったところがどうなったかたどってみたいとも思いました。ということで3・4日目は気まぐれ町歩きです。

 

 行く前に、仁寺洞出口にある、到着日にも利用したコンビニで韓国名物バナナ牛乳新聞(東亜日報を買います。ところがバイトの姉ちゃんは、新聞の値段がわからないようで「いくらだっけ?」というふうに私に聞いてきます。私は片言しかしゃべれないので「日本人」とか、「たぶん800ウォン」(到着日に買ったとき確かそうだった)、といったのですが、結局姉ちゃんは電話で本部に問い合わせしてやはり800ウォンでした。

 

 店員が新聞の値段を知らないとは、とびっくりしましたが、このあと延々と地下鉄に乗っても新聞を読んでいる人には一回しかお目にかかりませんでしたし、みんなスマホをいじっています。12年前は地下鉄で「メトロ」という無料新聞を読んでいる人が非常に多かったのですが、これは昨日ロッテホテルに行く途中で置いてあるのを見かけたものの、誰もとっている様子がなく、時代は変わったなあ、新聞の時代ではないのかなあ、と思って、今までは韓国の主要紙一通り買って日本に持って帰ってきていたのですが、家に置くところもないこともあって、以後新聞を買うのをやめてしまいました。

 

 ホテルのある仁寺洞地域は、5回の韓国旅行のうち4回まで泊まっていますから、一番おなじみの地域なのですが、ここの北側の大通りを隔てた「北村」という地域は、ただの住宅街なので、行ったことがありませんでした。ところがロードビューで見ると、なかなか風情のある町並みです。それでこの地域に今まで何で行かなかったのだろう、と悔やんでいたので、まずそこから行きます。行ってみると、赤い服を着た観光案内のボランティアらしき人が歩いています。

 

 はじめは闇雲に歩き回りました。ロードビューで見つけた「明文堂」という出版社がやはりあります。「やっぱりあるんだ~」と看板見ただけで感動します。表通りの方は、京都の嵐山みたいな観光地にありがちの店が並んでいます。おや、ちょっとイメージが違います。坂道の多い地域なので、とりあえず奥まで進んで一番高そうなところまで登ってそこから降りてくればいいや、と思ったのですが、ベトナム大使館があるくらいで、風情があるとは言い難い感じです。

 

 路地に入ると、住宅街になります。純韓国風の家屋も結構あり、ようやく風情のある感じになります。ウロウロしていると、よく観光写真で紹介されている韓国家屋が並んでいる坂道に出くわしました。

 

 そこを下っていくと、家の中から覗いていた若い女が、入ってこいと言うような仕草をします。いいのか、と聞くと、日本語のガイドのようです。どうやら家屋を開放して見せているようです。有料で確か一万ウォンじゃなかったかと思います。狭い家でしたが、説明を受けると、金持ちがここを買い取って改装して別荘にして、使わないときは見学させているようです。ですから台所やトイレなどは韓国風でないです。地下室があって非公開なのですが、写真だけ見ました。ラテンアメリカ風のしつらえのリビングのようです。

 

 座って窓から外を眺めるように言われましたが、坂にあるので、ソウルの街が見えて、確かに眺めがいいです。一通り回ると梅の入ったお茶を出されましたが、これが非常においしかったです。「尋心軒」という名前でした。中国人客もいました。ここには中国語ガイドと日本語ガイドがいるようですが、このあたりを回っていても日本人はほとんど見かけず、中国人と韓国人おのぼりさんばかりのような感じでした。この調子では中国語ガイドは忙しくても日本語ガイドはヒマでしょう。日本語ガイドがんばれ、と思って出て来ました。

 

 この地区には街めぐりコースが設定されてて「北村八景」という眺めのいいところがあると案内板に書いているのですが、案内板をたどって行っても入り組んだ路地なのでルートを見失ったりして要領を得ません。そこで、またボランティアらしき赤い服を着た人がいましたので「道がわからなくなった」と日本語で言ってルートが載っている地図をもらい、改めて最初から歩き直すことにしました。

 

 歩き直す起点に戻るときだったと思うのですが、近くに生活史博物館という、カビ臭い家屋を改装して昔使っていた生活用具を展示してあるところに行きました。入場料5000ウォンぐらいだったか。韓服姿の人がいましたが、韓服体験の中国人でした。

 

 起点から歩き直すことにしました。「北村八景」も全部見て回りましたが、確かに眺めがいいです。韓国式の瓦屋根の家屋が丘の上から下に向かってずっと続いているのを眺めることができるポイントは壮観でした。

 

 今回買った「地球の歩き方」にもこの地区は紹介されていましたが、昔のガイドブックにはここは紹介されていませんでした。どうもここは昔からの高級住宅街だったのが、開発に取り残され、伝統家屋が残ったために注目され、観光地として整備された、ということのようでした。

 

 ちょうど金沢長町の武家屋敷がたどった道と似ています。私が子供の頃はただの住宅地だったのに、観光地として注目され、人々が押しかけ、アスファルト道路だったのが石畳になり、電柱がなくなり、一般住民が住んでいたのに、金持ちに買い取られたり、観光客はただ通り抜けるだけの場所だったのに、中を公開するところが出て来たり、武家地だったので店はないはずなのに観光客向けの和菓子屋ができたり、という金沢の武家屋敷がたどった展開をソウルの北村地区は今たどりつつあるらしい、と感じました。

 

 武家屋敷が観光地として整備されたのが1990年頃だった気がするので、やはり韓国は20数年遅れで日本のたどった道をたどっているのだな、と改めて感じました。古い町並みの中に突然モダンな文化施設があったりするのも、金沢の本多町あたりを想起させられました。金沢を散歩するときも街並み散歩コースがあって、それをたどって歩くのが好きでしたが、そのノリです。ただ、住宅地なのに観光客がむやみに歩いているので、あちらこちらに日中韓語で「ここは住宅地です。静かにしてください。」という掲示がしてあるのですが、日本語の表示が「しーっ、静かにしてください。」と書いてあってなんだか奇妙です。

 

 この町歩きコースの終わりあたりに、案内板がありました。それを読んでいると、解読できて、昔の有名な画家の家を公開しているらしいと言うことがわかりました。高羲東という人物のようです。画家の家など興味ないのですが、案内板の説明がほぼ解読できたのが嬉しくてそこに入ってしまいました。有料でした。入ると古い韓国家屋ですが、日本で言う「文化住宅」の類だったようです。日本で絵を学んで韓国画壇の大家になった人物の家のようでした。

 

 

 

 

 

03 2日目ソウル午後 戦争記念館と韓医院(2015年1月9日)

 板門店ツアーのバスから戦争記念館というところで降りました。朝鮮戦争に関心が生じた人はここを見てください、ということのようです。私は次の場所に行くのに都合が良さそうなので降りただけだったのですが、着いたのが15:00ごろで、次の予約が16:30だったので、余裕があれば記念館を見に行こうと思いました。ですが到着すると、かなり大きな建物で、びっくり。余裕時間が30分程度だったのでどうしようかと思いましたが、駆け足でとりあえず一回りすることにしました。

 

 きっぷを買うところがないので、そのまま展示室に入ります。おかしいな、と思ったら無料でした。朝鮮戦争の展示が中心です。基本的に展示の説明が韓国語なので、あまりわかりません。ゆっくり解読すればどうにかなるのでしょうが、駆け足で見ているので丁寧には見られません。

 

 子供連れが多いです。たまに韓国の昔の新聞が展示してあって、これは漢字が多く使用されているので何となくわかります。韓国語は漢字表記をすれば勉強しなくても今の私の読解力ぐらいはすぐにつくのですが、ハングル専用政策を採っているので、文章が全てひらがなで書いてあるようなもんです。国の発展のためには漢字を勉強するヒマはない、ということだったのでしょうが、今となっては日本人や中国人とコミュニケーションを取るとききわめて不便です。

 

 朝鮮戦争の他にも、韓国の昔の戦争や武器の展示などもありました。豊臣秀吉朝鮮出兵の時の朝鮮側が使ったという「亀甲船」の大型模型もありました。屋外には飛行機などの展示もありましたが、時間がなく、そこまでは回れませんでした。

 

 心残りながら16:00ごろに記念館を後にし、地下鉄4号線三角地駅へ。ここから2駅ほどで二村駅に着きます。ここにある「椿漢方クリニック」という韓医院に16:30に予約を入れていたのです。

 

 韓医院についてですが、韓国では「韓(漢)方医」という針灸等の漢方治療と漢方薬の処方ができる資格があり、あちこちに韓医院があります。予約していたところは日本留学経験があり、日本語で診察できるということがホームページに書いてあったので、そこにしました。高級マンションの一階にあって、新しくて非常にきれい。ただ、客(患者?)はいません。あまり、はやってはいない模様。入ると、日本人か韓国人かわからない人が受付でした。いろいろ話をします。午前中どこに行ったのかと聞かれたので、板門店に行ったというと、驚かれました。

 

 最初に機械で、体質チェック。5分ぐらいかけて脈とか血圧とか他のことも測るようです。血圧が低いと言われました。診察を受けます。院長はホームページで写真を見ていたのですが、年が同じくらいで、温厚そうな印象でした。行ってもその印象は変わりませんでした。案内に「韓医学博士」と書いてあります。そういう学位があるのでしょうね。もう一度血圧を測ると今度は普通とのこと。ただ、脈が遅いとのことでした。マラソン選手でもないのにこういう脈の遅さはやはりおかしいそうです。いつも検診のとき言われるのですが。

 

 それで肩や腰が痛い、精神的にも鬱になりやすく不安定だというと、「気」が弱くて全身に十分行き渡っていないからだ、といわれました。治療室に移って、まずを打たれます。手や足の先にも打たれました。体質改善に効くそうです。日本のマッサージ屋だと、患部にしか打たないのですが。

 

 それから肩胛骨がいつも痛くなると言うと、そこにはカッピングをするとのこと。いわゆる「吸い玉」のことのようで、真空のガラスカップのようなような玉を体に貼り付けて悪い血を集める治療らしいのですが、韓国の場合は、ただ吸い玉を貼り付けるだけでなくて、集まった悪い血を出血させるそうです。背中だったので見えなかったのですが、それをやられたようでした。鍼灸同様、全然痛くなかったのですが。日本でもありますか、と聞くと、日本の鍼灸治療では出血させる治療は認められていないのでできないそうです。そういわれると、韓国まで来た甲斐があったな、と思います。

 

 あと、腹にも鍼を刺します。それから、腹部にお茶碗みたいなモノを当ててお灸。日本ではどうしても鍼灸は整形外科の補助的治療という感じなのですが、本来はもっといろんな病気に使えるのでしょうね。

 

 それが終わると、韓方茶試飲。私の体質に合わせて院長が処方したお茶だそうです。有り難くいただいているうち、せっかくだから買って帰ろうか、と思いました。本当は漢方の煎じ薬が欲しかったのですが、保険がきかないし、もともと高価なのでしょう。案内に30万ウォンから40万ウォン(3~4万円ぐらい)と書いてあったのでこれはあきらめていました。でも、お茶なら9万ウォンで出せる、といわれたので、ちょっと高いけどオーダーメイドだし、日本で秋頃、自分で適当に漢方薬買って全然効かなかったので、専門家が処方したものの方がいいかな、と思って買いました。

 

 処方したモノをパック詰めするので30分ほどかかる、とのことで、待って買って、診察料10万ウォンと合わせて19万ウォンでした。よく考えると、お茶と煎じ薬のちがいって何なのでしょうね?わからなくなりました。

 

 他の客は韓国人おばさん1人と、日本人の小学生男子ひとり。駐在員の子供なのでしょうが、何でこんなところに通っているのか不思議。

 

 18:30ごろ出て行きましたが、院長以下スタッフ総出で見送ってもらいました。院長もいい人そうでしたし、お金があったら、また行く機会があってもいいかな、と思いました。お茶は3日坊主で終わるかな、と思いましたが、その後、半年ほどで飲みきりました。意外に続きました。

 

 夕食です。韓国料理の「カルビタン」がどうしても食べたかったのですが、近くにあんまりいい店がありません。竜山駅方面向かって、夜のマンションが続く街をかなり歩いて、ようやく一軒新しそうで適度に混んでいる、入りやすそうな韓国料理店が見つかりました。そこでカルビタンを食べます。1万ウォンぐらいだったような。味は非常によく、ようやくカルビタンにありつけて大満足。

 

 このカルビタン、骨付き牛肉のスープとでもいうべきものですが、なぜか日本でほとんどお目にかかることがなく、日本でももっとメジャーになって欲しい韓国料理の筆頭なのです。ただ量が多くておなかいっぱい。韓国料理はキムチなど何種類かの付け合わせも出てそれを全部食べなくてもいいのですが、おいしいのと、せっかく来たのだからこの際食べなければ、というのと、残し食いが嫌いな日本人的性癖のため、全部食べてしまいました。

 

 これから先のところでも思ったのですが、今回の食事はほとんど外れがなく、料理の質も店の清潔さも上がった代わりに値段も日本並みかそれ以上になったなあ、という印象でした。かなり歩いたので韓医院から数キロ離れた国鉄竜山駅から地下鉄1号線に乗り入れる電車に乗り、鍾閣駅。そこから屋台街を通って仁寺洞のホテルへ。この日は疲れてさっさと寝たはずです。

02 2日目午前中 板門店ツアー(2015年1月9日) 

 2日目1月9日。朝早起きしてテレビを見ると、韓国版放送大学のチャンネルで日本語講座をしています。これが興味深いです。

 

 ちょうど1月だからか、第一課と二課をやっていました。講師は韓国人でしたが、やはり韓国語にない「z」の音が苦手なようで「j」音で発音して「ありがとうございます」を「ごじゃいます」風に言っていました。「ドイミホ」なる30代ぐらいの女性がネイティブスピーカー役として出演していましたが、韓国のどこかの大学の教授のようでした。こうして若いのに韓国の大学で教授している人がいると、自分はダメだなあ、と思います。

 

 今日は朝早く出発しなければいけないので、いつまでも見ているわけにもいかず、消して用意して出発。ロッテホテルに向かいます。ほとんど一本道なので迷うはずがない、と思っていったのですが、韓国の中心街は横断歩道がなく、地下道を通らなければ行けないところが多いです。外に出ようと思ったら、出口が閉鎖されていて戸惑い、違う出口からでたら方向を間違い、しばらく気づかず、大きな韓国式の門が見えて、あんなところに門あったっけ、あ、あれは景福宮の門だ、と気づいて間違った道を歩いていたことに気づき、時間をロスしました。それでも予定の8時半前には間に合いました。

 

 道を戻り、ようやくロッテホテルに到着。大きなホテルなのでここでまたまごつき、韓服姿の案内嬢に聞いてエレベーターに乗ったのですが、降りる階を間違い、フィットネスクラブに行ってしまいました。窓口で違うと言われ、またエレベーターに乗って6階の大韓旅行社デスクへ。そこで板門店ツアー参加です。中国人と日本人と西洋人客がいます。日本人かと思ったら中国人と流暢にしゃべっている人がいて、中国人だろう、と思った人は日本人グループに入り、結局日本人でした。

 

 大学のとき、はじめて韓国に行ったときは団体だったので、板門店が組み込まれていたのですが、都合が悪かったらしく中止になり、非武装地帯までは行ったものの、板門店には行けずじまいでした。27年ぶりに行きます。以前は手続きが面倒だったので行けなかったのですが、ネットで簡単に予約できるようになっていたので、ようやく行けることになりました。

 

 バスに乗っていきます。一台のバスで英語グループ・日本語グループ・中国語グループと指定された席に分かれて座って、必ずそこに座るよう言われます。ソウル中心部から独立門が見える高架道路を渡り、トンネルに入って郊外に出ます。高架道路があちこちあって、ずいぶん近代的です。というより未来的か。板門店はソウルから60~80キロぐらいのところにあるのですが、普通の町並みがずっと続きます。それまでいろいろ日本語ガイドのおばさんが説明しますが、ペラペラしゃべるもののやや聞き取りにくいところがあります。通常の観光ガイドなら聞き流せばいいのですが、板門店に入る際の注意も言うので、よくわからないと困ります。

 

 だいぶ車の行き来が少なくなるものの、まだ普通の車がいるなあ、と思っていると臨津江を渡ります。ここを過ぎた後ぐらいだったかで、1度目のパスポートチェックがあったと思います。兵士が乗り込んできてチェックしますが、兵士は20代のメガネオタク風君でした。おやおやと思います。兵役があるので、メガネオタク君でも兵隊をしなければいけないのが韓国ですね。非武装地帯に入ります。横の若い女の子が「バスの乗り換えの時荷物を置いていくよう言われたが、パスポートは持って行くんでしょうか?」と聞くのですが、私もよくわかりません。 

 

 大学のときに行ったときは、臨津江の橋に入る前に黒人の兵隊がバスに乗り込んできて、危なっかしい細い橋を渡りましたが、今回はアメリカの兵隊は見かけませんでした。「国連軍」と言っても、今は韓国軍がほとんどのようです。橋も、どうやら、もとの橋は鉄道橋に転用されたようで、りっぱな道路橋を渡ります。 

 

 しばらくして兵隊の屯所みたいなところで降ろされます。降りるときに2度目のパスポートチェックがあります。今度の兵士は背が高くてがっしりしたイケメン君でした。がっしりして見えるのは防弾チョッキを着込んでいるかららしいです。観光客用兼兵隊の酒保的な売店もあり、銀行のATMまでありました。そこでスライドを見せられて説明を受けたり、何かあっても身体・財産上の保障をしないという紙に署名させられたりします。お土産の売店もありますが、カメラ以外の荷物はバスにおいて行くように言われたので、カメラを持ってきていない私は何も持たず、お土産も買えません。

 

 違うバスに乗り換えてイケメン君の護衛で板門店へ向かいます。降りて、いよいよ板門店です。イケメン兵士君の先導で列をついて新しい建物に入ります。昔は韓国風の楼閣が南側のシンボルでしたが、今はその楼閣と会議場の間に大きな建物が造られています。こんな立派な建物をつくったのですから、業者が入ったのかなあ、と思います。

 

 いよいよ休戦会議場か、と思って緊張していると、突然キャッキャキャッキャという子供の声がして、びっくりしました。すれ違いに中学生らしき韓国人の団体が階段を下りてきました。すれ違いざまに「ボンジュール」などと声をかけてきます。あとで聞くと、今は韓国人でも半年前から申請すればツアーで入れるそうなのですが、それにしてもこんなところでもう少しおとなしくしていろよ、おやおやと思います。

 

 建物を抜けていよいよ青色の建物が並んでいる会議場へ。警備兵はサングラスをかけて微動だにしません。中に入ると、机の真ん中から奥が北朝鮮ということになっています。マイクのコードで仕切ってあるという写真を見たことがありますが、そういう線はありませんでした。建物の外にはコンクリートで国境線がその机の線に沿ってつくってあります。

 

 建物の中は自由に移動できますから、北朝鮮側に行っていいのですが、ちょっとだけ思い切りが必要でした。ということで一瞬だけ北朝鮮に入ります。これで行った国一つ増えることになるのでしょうか?そうならない感じがしますが。北側の兵隊は反対側の「板門閣」という建物やその周辺の見張り所にいるだけで、間近に見ることはできませんでした。

 

 もどってまたバスに乗ります。バスは会議場の前の道を回って帰ります。いいのかな、と思いましたが。「帰らざる橋」などをバスから見ます。行くときとは反対側の窓でしたから、よく見えなかった北朝鮮の宣伝村の巨大な国旗掲揚が見えます。韓国側も対抗して非武装地帯内の特殊な村のなかに、国旗掲揚塔があるのですが、北朝鮮側より低いです。これも帰りはよく見えました。

 

 また屯所みたいなところに戻り、お土産購入時間。といっても荷物を前のバスに置いているので、お金がないです。ですがカメラ代わりの絵葉書と、あと北朝鮮のお金を売っていたのでそれが欲しいです。ガイドさんに「お金を取りに行っていいですか?」ときくとOKとのこと。私が取りに戻ると、数名があとをついてきました。5万ウォン(5000円以上)も出して、北朝鮮紙幣セットを買ってしまいました。散財です。ここにしかないらしいです。そういえば、今回初めて5万ウォン札を見ました。今までは最高額紙幣が1万ウォンだったのですが、千円ぐらしか価値がないので、5万ウォン札を新たに発行したのですね。 

 

 もとのバスに戻って帰ります。宣誓書も返却されます。臨津江を渡ってかなり戻り、普通のレストランで昼食。「プルコギ」と聞いていたので、みんなで焼肉を食べるのかと思っていたら、どんぶりにすき焼きみたいなものが入っていました。プルコギというと、日本語で「焼肉」と訳されますが、実際は焼肉とすき焼きの中間みたいな料理です。でも完全すき焼き風なのは初めて見ました。

 

 日本人は8人ぐらいいたのですが、女性が多く、おばさんも若い人もひとり旅がほとんどのようです。まあ板門店ツアーなんかに参加するのは物好きが多いのかもしれません。男は2人だけだったのですが、朝の中国語流暢氏です。氏が話しかけてきて、経産省の職員でミラノ万博の準備をしているとか言っていました。建築が専門だとか。こちらの仕事を聞いてきます。

 

 そのあと臨津江に戻ります。ここの一般の韓国人が来ることのできる限界のところに「平和ランド」なる施設があります。ここは3回目です。朝鮮戦争で破壊された蒸気機関車がおいてあります。これ、昔来たときは絵葉書に載っていましたが、ここにはありませんでした。数年前に非武装地帯から持ってきたらしいです。ここで一日コースの人はさらに展望台や北朝鮮が掘ったという地下トンネルの見学をするのですが、私は大学の時行ったので半日コースにしました。経産省氏など半分は一日コースのようでした。

 

 帰りは海だか川だかわからないようなところの縁を通ります。あとで地図を見たら川でしたが、向こうは北朝鮮なのかなあ、と思います。実際は一部だけのようでしたが、ずっと鉄条網があって、見張り所などもあります。ほとんどの人はロッテホテルの前で降りましたが、私は次の予定のところが都合がいいので、その先の戦争記念館というところまで行き、そこで降りました。つづきは次回に。