写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

20  キハ201系に乗る

   昨日の記事はアイスを食べたという記事だったのですが、札幌駅までJRに乗っていきました。私の住んでいる地域は電化区間ですから、いつもなら電車に乗りますが、この日やってきた車両はキハ201系でした。ディーセルカー、気動車ですね。走行音も違いますが、やはり走り方が微妙に違い、変速するときなのか、ときどき「ガタン」と来るのが気動車独特であるように思いました。電車はこういう走り方をしません。

 

 もともとこの車両は、函館線の非電化区間倶知安までの山岳区間と、学園都市線用でした。ところが学園都市線が電化されて、主力として使用される区間が減り、札幌都市間輸送にも使用されているようです。以前倶知安まで乗ったことがありますが、当時使用されていたキハ40系に比べると格段の速さでした。ですが、ロングシートなので乗り心地は今ひとつでした。

 

 この車両、小樽まで電車と併結して函館線の「山線」で単独運転できるように設計されており、電車と気動車「電気協調運転」ができるという意欲作の車両でした。実際にはこのような使い方はほとんどされていないようですが、まれに「電気連結」で運転されることもあるようです。以前一度、「電気連結」されている列車に乗ったことがあります。6両連結なのですが、3両が電車、3両が気動車なのですね。内部のしつらえは電車と気動車共通の3扉ロングシート車なので、全く同じなのですが、動力が違うわけで、運転音が違います。珍しがって連結部を渡り、電車と気動車の走行音の違いを確かめて面白がったことがあります。

 

 私のような人間は電車と気動車の違いにこだわりますが、一般人にとっては電車も気動車も同じなのでしょうね。特にこのキハ201系と電車の731系などは内部が同じなので、区別がつかないと思います。

 

 

 

 

 

 

49  秋でもダイキュリーアイス

   先日、サーティーワンアイスを中年男性が食べる苦労についての記事を書きました。あの後、8月末だったかに別の店で私の大好きな「ダイキュリーアイス」を食べました。

 

 この「ダイキュリーアイス」の「ダイキュリー」(ダイキリとはなんぞや、と調べると、ラムとライムのカクテルだということです。お酒系なのですね。もちろんアルコールは入っていませんが、おとなの味、ということなのでしょうか?さわやかな青いアイスです。

 

 夏場のシーズンスレーバーとなっていることが多いため、今年はこれで食べ納めかあ、と思っていたのですが、意外なことに今年は秋になっても売り続けているようです。秋まで売っていた例はあまり思い浮かばないのですが、それでもとにかく、売り続けているのですから、少し涼しくなってきたとはいえ、もう1~2回は食べたいものだ、と思っていました。

 

 ということで、先日、札幌地下街の店に行きました。混雑しているときは避けます。最初通りかかったときは混雑していて入りにくいです。別の用事を済ませて、また通りかかりましたが、このときも混んでいました。どうもうまくいきません。ですが私より年上の、60代ぐらいのおじさんがひとりで食べています。こういう客がいると、私としても入りやすいです。

 

 ということで、このおじさんが店を出た後に空席ができたので、入りました。ところが店員がひとりしかおらず、その店員がクレープをつくるのに手一杯で、なかなか注文を聞いてくれません。しばらく待っていたのですが、もうひとりの店員が戻ってきてようやく注文を聞いてくれました。

 

 ダイキュリーアイスと今回は「マスカットバスケット」なるアイスをスモールダブルのコーンで注文。ダイキュリーアイスは定番のおいしさですが、いつももう一種類で悩みます。今回、というか毎回そうなのですが、ダイキュリーアイスのようなお気に入りの定番品ができません。まあ、その方が毎回違う味を楽しめていいのかも知れませんけど。500円でした。確かに安くはありませんね。

 

 あと一回ぐらい、と思っているのですが、やはり贅沢ですかね?

 

19  特急「白鳥」乗車指南<その3>

 死んだ子の年を数えるようなことをしていますが、廃止になって久しい大阪「白鳥」乗車指南。3回目です。

 

 帰り、というか、下りの「白鳥」は、朝10時ごろ大阪駅を出発します。確か一番端っこの北陸線特急用ホームから出発していました。これまた上りと同じく、先頭車両の自由席、進行方向右側です。琵琶湖と笹川流れを見るためです。

 

 敦賀までキオスク系と思われる業者が変哲のない幕の内を売りに来るのですが、これは買わず、大阪駅八角弁当」を買うか、北陸線内で「かにめし」か「ますのすし、あと、当時加賀温泉の駅弁で「押し寿司日本海というのがあり、これも気にいって何度か購入した覚えがあります。

 

 「白鳥」末期に、金沢をすぎてすぐの「津幡」という小駅にも停車していた時期がありました。乗降客も見当たらず、廃止直前にはまた通過するようになった記憶がありますが、なんだか「白鳥」も落ちぶれたなあ、という印象を持ちました。 

 

 はじめて「白鳥」に乗ったのは、まだ山口に住んでいた高校生の頃で、どうしても「白鳥」に乗りたくて金沢から糸魚川まで乗ったのですが、このころは津幡どころか、市である魚津なども通過し、富山から糸魚川まで約1時間無停車、さすが「白鳥」だと思ったものですが、その後、だんだん停車駅が増えていきました。

 

 行きと同じく16時頃到着の新潟で方向転換し、白新線経由、羽越本線へ。笹川流れのあたりで夕暮れ、夕陽が落ちるのを眺めているのはいいのですが、その後は真っ暗。

 

 ここで注意しなければいけないのは、このあたりで酒田か鶴岡の業者が駅弁を売りに来るのですが、これを必ず買っておくことです。というのは、これが駅弁の最終車内販売だからです。最初に乗り通したとき、これを知らず、買わずにやり過ごし、秋田の業者が乗ってくるだろう、と思ったらやってこず、青森までひもじい思いをしたのを思い出します。それ以来、このあたりで必ず駅弁を買うようにしていました。

 

 駅弁を食べ損なったときはもちろんですが、駅弁をゲットしたときでも、このあたりでわびしくなります。客はどんどん減っていき、端っこの自由席は数人になります。夜20時頃の秋田で多少客が乗ってくることもありましたが、数人。私が乗っていたころにはすでに食堂車の連結もなく、気分転換もできません。

 

 早く青森に着かないかなあ、という思いばかりで乗車していました。23時少し前にようやく青森に着くと、ホームに弁当売りがいて、駅弁を買います。食べ損なっているときにはこれが頼みの綱でした。

 

 そしてはまなすに乗り継ぎますが、この6時間がまた苦行でした。北海道に行く人ならワクワク感があったでしょうが、こちらは北海道に帰るわけですから、暗い車中でまた現実に戻るのかあ、と思いつつ過ごしたものでした。

 

 一時はこの「白鳥」→「はまなす」ルートが本当に嫌になり、何とかして違う列車に乗ろうと画策していたこともあったのですが、今となってはこの両列車に乗ることはもちろん、在来線特急・急行でこのルートをたどることすらできなくなりました。象潟も笹川流れも琵琶湖も長い間お目にかかっていません。もう腰も痛いし、いまさら鈍行でこのルートをたどるのもどうかなあ、と思います。でもまたいつか、なんとかして、たどってみたいものです。

18  特急「白鳥」乗車指南<その2>

 前回から今更役に立たない特急「白鳥」乗車指南を書いています。

 

 新潟を出ると、新津・東三条に停まり、長岡到着。この駅で自由席にはドバッと乗客が乗り込みます。当時上越新幹線から北陸方面への乗り継ぎ駅だったのです。自由席は満杯、立席が出ることも通例でした。

 

 そのせいか、この区間窓外の景色の記憶は曖昧です。典型的で平凡な日本の田園地帯だったのでしょう。また、この区間では前日夜から列車に乗り続けていた疲れが出て、眠くて寝ていたことが多かったのかもしれません。ただ、新潟を出るとスピードが明らかに上がった気がしました。奥羽・羽越線より信越北陸線の方が高速運転ができるのでしょう。

 

 また、長岡の駅弁業者が駅弁を売りに来た記憶もありません直江津の業者も売りに来なかったように思います。この区間は混んでいたので自由席まで回って来れなかったのか、あるいは長岡駅は乗り継ぎ客で駅弁がよく売れるので車販をしていなかったのではないかと思われます。

 

 柏崎の駅の印象もなく、直江津あたりまでは通常混雑していたようです。場合によっては糸魚川とか、金沢まで立席が出ていることもありました。このあたりは日本海が見えるのですが、新潟駅で座席転換をして、この区間では山側に座っていますので、見えません。あえてこちら側を選んで座っているのですが、この区間だけは残念でした。混んでいる区間なので、反対側の窓は眺められなかったと思います。実は眺めたこともあるのですが、「白鳥」以外に乗ったときの記憶ではないかと思います。

 

 親不知・子不知をトンネルで抜けます。昔は難所だったそうですが、当時はもう近代的な複線の路線でした。糸魚川以西は「北陸トラベルサービス」とかいう業者がおばさん二人組で北陸各地の弁当を山積みしたワゴンがやってきました。だいたい、自分用に福井の「かにめし」とお土産用に富山のますのすしを買うことが多かったように思います。車内で何度か「ますのすし」を食べた記憶もありますが、車内では食べにくかったように思います。

 

 魚津付近で、富山地鉄線と高架で並走する区間があります。田舎なのに、ちょっと不思議な光景でした。富山、高岡、金沢と停まります。金沢に親族がいるので、ここで降りることも多かったのです。15時半過ぎに停車する、金沢でも客が入れかわりますが、今度はそこまで混雑しなかったような記憶があります。ここからは「雷鳥」を選択する客が多かったのでしょう。 

 

 金沢の町を眺めながら、北陸線を走ります。この辺からの方が賑やかになってくる印象がありました。ゴミ集めの人が来ることもあったように思いますが、それでも青森から走り続けていますので、車内はくたびれた感があります。

 

 駅弁業者は次々と入れ替わるのですが、ジュースやお菓子のワゴンは通し乗車のようで、青森から同じおじさんが何度も行き来していました。ジュースを買うと、青森で積み込んだ青森のリンゴジュースが出てきましたし、ワゴンには「東奥日報」という青森の地方紙が載せられたままでした。あの頃、国鉄分割民営化のあおりで出向か転籍した旧国鉄職員と思われる中年のおじさんが青森~大阪まで通し勤務をしていたようです。乗っているだけでも大変なのに、列車内を何度も言ったり来たりでは、相当大変だったのではと思われます。

 

 小松・加賀温泉芦原温泉・福井・敦賀と経て、深坂トンネルのループを抜けます。子供の頃はここがループ線だとは知らず、上下線で景色の印象が違うのと、上りのこの区間だけなんかカーブが多いな、と思い、トンネルを抜けると一瞬見える日本海敦賀の町が見えるのが不思議で、琵琶湖なのかなあ、と思っていました。

 


 近江塩津から高架線で湖西線に入ります。ここで一瞬交直切り替えのため電気が消えます。そして琵琶湖が見えます。新潟で方向転換しているので、今度は進行方向左側に座っていることになり、琵琶湖が見える窓側です。笹川流れと琵琶湖を同じ席で見るために、青森で進行方向右側に座った、というわけです。

 

 そして京都をすぎると夕暮れになり、大都市近郊の賑やかな町並みが見えます。そして新大阪。ここで迷うのです。私の実家は新大阪で降りたり、乗り換えた方が都合がいいのですが、長時間乗り続けてあと一駅で降りる、というのが心残りになります。疲れたときや、やむを得ないときは新大阪で泣く泣く降りましたが、わざわざ大阪駅までいったことも多かったように思います。

 

 大阪到着18:30過ぎ。12時間ちょっとの旅でした。廃止直前には停車駅が増え、所要時間は少し延びたのではなかったでしょうか?当時すでに一般客にはそっぽを向かれ、乗り通す客はあまりいなかったのですが、私は名残惜しいような気持ちで列車を降りていました。

 

17  特急「白鳥」乗車指南<その1>

 こんな記事を書いても今更何の役にも立たないのですが、最近鉄道記事がないので載せておきます。毎日更新のため資料も十分確認せず書いてしまいました。後で訂正するかも知れません。長くなりますので3回に分けて掲載します。

 

 私は北海道在住で、かつ金沢と西日本に親族がいた関係で、80年代後半から90年代にかけて、特急「白鳥」のお世話になることが多かったのです。短距離利用も含めれば、多分20回ぐらい乗ったのではと思います。

 

 寝台の「日本海」や、「きたぐに」→「いなほ」の利用経験もあるし、東京回りや航空機利用、青春18きっぷ利用の鈍行旅行、あるいは船の利用も経験したのですが、結局、鉄オタ趣味と時間・料金の兼ね合いで「白鳥」→「はまなす」ルートがいちばん妥当でした。もう廃止されて20年経ちますが、この際、3回に分けて特急「白鳥」乗車指南を書いておきます。

 

 まず、上り下りどちらがおすすめか、というと、これは上りの大阪行きの方です。下りの青森行きの場合、羽越本線で夕陽が落ち、海岸線に近い下り線を走るのはいいのですが、そのあと暗くなって青森までわびしい気分で過ごすことになります。北海道に行く場合、さらに急行「はまなす」に乗り継ぎますから、かなりの苦行です。上りの場合、札幌出発後、まず夜行の「はまなす」で一晩過ごすことになりますが、先に夜行に乗った方が疲れは少ない気がしますし、また、夏場であれば青函トンネルをくぐる前は暗く、出ると明るくなっていた、という面白い経験をすることができました。

 

 また、青森を早朝に出て、だんだん賑やかになり、夕方大阪に着く、という方がわびしさがなくて好ましいのです。

 

 それから、上りの場合、春秋には、青森出発時は暖房がはいっているのに、大阪到着時は冷房が入っている、という体験もできました。今どきの短距離列車では、そういう経験をすることはないかと思います。では、青森駅出発から。

 

 「はまなす」で一晩過ごし、青森駅で駅弁を買います。早朝ですが、ホームにワゴンも出ていましたし、「こけし亭」とかいうそば屋もやっていました。だいたい私は先頭車の自由席一番前の席、進行方向右側の席を占領します。485系ですから先頭が見えるわけではないのですが、ある時期からここが自分の「勝手指定席」となっていました。

 

 6時過ぎに青森駅を出発して東北本線と分かれ、まだ当時は新幹線建設前の新青森駅を通過、弘前へ。リンゴ畑が展開します。鷹ノ巣大館という駅に停まります。「白鳥」では大館名物の「とりめし」を売りに来ないので、この列車に乗るときはこの弁当を食べることはできませんでした。

 

 8時半頃着く、秋田で客が入れ替わります。ここからは羽越本線秋田駅の弁当も車販では売りに来ません。一度だけだったと思いますが、羽後本荘の「すき焼き弁当」というのをかごに入れて売りに来たことがあり、これを買ったことがあります。

 

 仁賀保を過ぎ、田んぼの中に「島」が点在する象潟の不思議な風景が見えます。まだこの段階では車販は青森から乗ってきたワゴンだけです。

 

 酒田・鶴岡付近で、ようやく駅弁売りがやってきます。酒田の業者「酒田駅弁当」というのと、鶴岡の「太平食堂」というのが来るときがありました。これを買うときもありましたが、普通の幕の内だったように思います。

 

 あつみ温泉をすぎると、山形・新潟県境の景色のよい区間笹川流れです。海に沿って列車が走ります。たまに車掌がアナウンスすることもありました。ただ、この区間は単線と複線が入り組んでいて、複線区間では上り線が山側に新しく掘ったトンネルを通ることも多く、やや景色は下り線に劣ります。それでも鄙びた景色のよい海岸線を堪能できます。一度降りてみたいなあ、と思っていましたが、機会がありませんでした。一方で羽越線沿線の海岸縁の路線で家を見かけると、こんなところに住むのは住みにくいだろうなあ、と思ったのも事実です。

 

 村上のあと、坂町とか、中条とか、比較的小さな駅も停まって、新発田から白新線に入り、新潟駅へ。新潟に向かう路線はなぜかどん詰まり感があります。景色が煮詰まる、という感じがするのです。ここで12時ごろ。数分停まりますので一度外に出ることもできるのですが、あまり出た覚えがありません。この駅では座席の方向転換をしなければいけませんし、乗降が激しいので、出ない方がいいと思ったのでしょう。ただ、末期にはダラダラ長時間停車するようになり、「白鳥」も落ちたな、と思わせられました。

 

 この駅前後では、「新発田三新軒」とか、新津の「神尾弁当部」とかいう業者の駅弁を売りに来て食べた覚えがあります。特に後者の「鮭ずし」を何度か食べた記憶があります。なぜか新潟の駅弁はあまり売りに来なかったような印象があります。

 

 以下は次回に。