写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

02 2日目午前中 板門店ツアー(2015年1月9日) 

 2日目1月9日。朝早起きしてテレビを見ると、韓国版放送大学のチャンネルで日本語講座をしています。これが興味深いです。

 

 ちょうど1月だからか、第一課と二課をやっていました。講師は韓国人でしたが、やはり韓国語にない「z」の音が苦手なようで「j」音で発音して「ありがとうございます」を「ごじゃいます」風に言っていました。「ドイミホ」なる30代ぐらいの女性がネイティブスピーカー役として出演していましたが、韓国のどこかの大学の教授のようでした。こうして若いのに韓国の大学で教授している人がいると、自分はダメだなあ、と思います。

 

 今日は朝早く出発しなければいけないので、いつまでも見ているわけにもいかず、消して用意して出発。ロッテホテルに向かいます。ほとんど一本道なので迷うはずがない、と思っていったのですが、韓国の中心街は横断歩道がなく、地下道を通らなければ行けないところが多いです。外に出ようと思ったら、出口が閉鎖されていて戸惑い、違う出口からでたら方向を間違い、しばらく気づかず、大きな韓国式の門が見えて、あんなところに門あったっけ、あ、あれは景福宮の門だ、と気づいて間違った道を歩いていたことに気づき、時間をロスしました。それでも予定の8時半前には間に合いました。

 

 道を戻り、ようやくロッテホテルに到着。大きなホテルなのでここでまたまごつき、韓服姿の案内嬢に聞いてエレベーターに乗ったのですが、降りる階を間違い、フィットネスクラブに行ってしまいました。窓口で違うと言われ、またエレベーターに乗って6階の大韓旅行社デスクへ。そこで板門店ツアー参加です。中国人と日本人と西洋人客がいます。日本人かと思ったら中国人と流暢にしゃべっている人がいて、中国人だろう、と思った人は日本人グループに入り、結局日本人でした。

 

 大学のとき、はじめて韓国に行ったときは団体だったので、板門店が組み込まれていたのですが、都合が悪かったらしく中止になり、非武装地帯までは行ったものの、板門店には行けずじまいでした。27年ぶりに行きます。以前は手続きが面倒だったので行けなかったのですが、ネットで簡単に予約できるようになっていたので、ようやく行けることになりました。

 

 バスに乗っていきます。一台のバスで英語グループ・日本語グループ・中国語グループと指定された席に分かれて座って、必ずそこに座るよう言われます。ソウル中心部から独立門が見える高架道路を渡り、トンネルに入って郊外に出ます。高架道路があちこちあって、ずいぶん近代的です。というより未来的か。板門店はソウルから60~80キロぐらいのところにあるのですが、普通の町並みがずっと続きます。それまでいろいろ日本語ガイドのおばさんが説明しますが、ペラペラしゃべるもののやや聞き取りにくいところがあります。通常の観光ガイドなら聞き流せばいいのですが、板門店に入る際の注意も言うので、よくわからないと困ります。

 

 だいぶ車の行き来が少なくなるものの、まだ普通の車がいるなあ、と思っていると臨津江を渡ります。ここを過ぎた後ぐらいだったかで、1度目のパスポートチェックがあったと思います。兵士が乗り込んできてチェックしますが、兵士は20代のメガネオタク風君でした。おやおやと思います。兵役があるので、メガネオタク君でも兵隊をしなければいけないのが韓国ですね。非武装地帯に入ります。横の若い女の子が「バスの乗り換えの時荷物を置いていくよう言われたが、パスポートは持って行くんでしょうか?」と聞くのですが、私もよくわかりません。 

 

 大学のときに行ったときは、臨津江の橋に入る前に黒人の兵隊がバスに乗り込んできて、危なっかしい細い橋を渡りましたが、今回はアメリカの兵隊は見かけませんでした。「国連軍」と言っても、今は韓国軍がほとんどのようです。橋も、どうやら、もとの橋は鉄道橋に転用されたようで、りっぱな道路橋を渡ります。 

 

 しばらくして兵隊の屯所みたいなところで降ろされます。降りるときに2度目のパスポートチェックがあります。今度の兵士は背が高くてがっしりしたイケメン君でした。がっしりして見えるのは防弾チョッキを着込んでいるかららしいです。観光客用兼兵隊の酒保的な売店もあり、銀行のATMまでありました。そこでスライドを見せられて説明を受けたり、何かあっても身体・財産上の保障をしないという紙に署名させられたりします。お土産の売店もありますが、カメラ以外の荷物はバスにおいて行くように言われたので、カメラを持ってきていない私は何も持たず、お土産も買えません。

 

 違うバスに乗り換えてイケメン君の護衛で板門店へ向かいます。降りて、いよいよ板門店です。イケメン兵士君の先導で列をついて新しい建物に入ります。昔は韓国風の楼閣が南側のシンボルでしたが、今はその楼閣と会議場の間に大きな建物が造られています。こんな立派な建物をつくったのですから、業者が入ったのかなあ、と思います。

 

 いよいよ休戦会議場か、と思って緊張していると、突然キャッキャキャッキャという子供の声がして、びっくりしました。すれ違いに中学生らしき韓国人の団体が階段を下りてきました。すれ違いざまに「ボンジュール」などと声をかけてきます。あとで聞くと、今は韓国人でも半年前から申請すればツアーで入れるそうなのですが、それにしてもこんなところでもう少しおとなしくしていろよ、おやおやと思います。

 

 建物を抜けていよいよ青色の建物が並んでいる会議場へ。警備兵はサングラスをかけて微動だにしません。中に入ると、机の真ん中から奥が北朝鮮ということになっています。マイクのコードで仕切ってあるという写真を見たことがありますが、そういう線はありませんでした。建物の外にはコンクリートで国境線がその机の線に沿ってつくってあります。

 

 建物の中は自由に移動できますから、北朝鮮側に行っていいのですが、ちょっとだけ思い切りが必要でした。ということで一瞬だけ北朝鮮に入ります。これで行った国一つ増えることになるのでしょうか?そうならない感じがしますが。北側の兵隊は反対側の「板門閣」という建物やその周辺の見張り所にいるだけで、間近に見ることはできませんでした。

 

 もどってまたバスに乗ります。バスは会議場の前の道を回って帰ります。いいのかな、と思いましたが。「帰らざる橋」などをバスから見ます。行くときとは反対側の窓でしたから、よく見えなかった北朝鮮の宣伝村の巨大な国旗掲揚が見えます。韓国側も対抗して非武装地帯内の特殊な村のなかに、国旗掲揚塔があるのですが、北朝鮮側より低いです。これも帰りはよく見えました。

 

 また屯所みたいなところに戻り、お土産購入時間。といっても荷物を前のバスに置いているので、お金がないです。ですがカメラ代わりの絵葉書と、あと北朝鮮のお金を売っていたのでそれが欲しいです。ガイドさんに「お金を取りに行っていいですか?」ときくとOKとのこと。私が取りに戻ると、数名があとをついてきました。5万ウォン(5000円以上)も出して、北朝鮮紙幣セットを買ってしまいました。散財です。ここにしかないらしいです。そういえば、今回初めて5万ウォン札を見ました。今までは最高額紙幣が1万ウォンだったのですが、千円ぐらしか価値がないので、5万ウォン札を新たに発行したのですね。 

 

 もとのバスに戻って帰ります。宣誓書も返却されます。臨津江を渡ってかなり戻り、普通のレストランで昼食。「プルコギ」と聞いていたので、みんなで焼肉を食べるのかと思っていたら、どんぶりにすき焼きみたいなものが入っていました。プルコギというと、日本語で「焼肉」と訳されますが、実際は焼肉とすき焼きの中間みたいな料理です。でも完全すき焼き風なのは初めて見ました。

 

 日本人は8人ぐらいいたのですが、女性が多く、おばさんも若い人もひとり旅がほとんどのようです。まあ板門店ツアーなんかに参加するのは物好きが多いのかもしれません。男は2人だけだったのですが、朝の中国語流暢氏です。氏が話しかけてきて、経産省の職員でミラノ万博の準備をしているとか言っていました。建築が専門だとか。こちらの仕事を聞いてきます。

 

 そのあと臨津江に戻ります。ここの一般の韓国人が来ることのできる限界のところに「平和ランド」なる施設があります。ここは3回目です。朝鮮戦争で破壊された蒸気機関車がおいてあります。これ、昔来たときは絵葉書に載っていましたが、ここにはありませんでした。数年前に非武装地帯から持ってきたらしいです。ここで一日コースの人はさらに展望台や北朝鮮が掘ったという地下トンネルの見学をするのですが、私は大学の時行ったので半日コースにしました。経産省氏など半分は一日コースのようでした。

 

 帰りは海だか川だかわからないようなところの縁を通ります。あとで地図を見たら川でしたが、向こうは北朝鮮なのかなあ、と思います。実際は一部だけのようでしたが、ずっと鉄条網があって、見張り所などもあります。ほとんどの人はロッテホテルの前で降りましたが、私は次の予定のところが都合がいいので、その先の戦争記念館というところまで行き、そこで降りました。つづきは次回に。