写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

10 山陰本線と山口線(1999年8月6日)

 では古旅行記の続きです。

 

 松江駅を14:04発の快速で出発。時間があったので早くからホームに出て、景色のよい海側の進行方向の席を確保しましたが、また2両なので混んでいました。高架を降りて宍道湖に沿って走り、出雲市を出てしばらくすると日本海がよく見えます。この区間は私の大好きな区間です。ですが、小雨が降っていたせいか、いつも(といっても12年ぶりですが)と反対の松江側から乗ったせいか、印象がずいぶん違っていました。思ったよりもくすんだ赤茶色の石州瓦の家が少なく、あっても明るい感じです。まあ、12年ぶりですから、多少は近代化されているでしょうし、昔の思い出が純化されていたのかも知れません。

 

 でも、夏の日本海の色は澄んでいましたし、浜田の町は以前の印象通りでした。町の中で一番大きい建物がお寺のお堂、というのは、古い写真では時々見かけますが、今でもそうなのはここぐらいでしょう。(ビルもありますけどね、目立つのです。)特に逆方向から浜田の町にはいるときは、山すその坂を少しずつ下っていって、時々短いトンネルをくぐり、トンネルを出る度に町がよく見えるようになり、坂を下りきったところで浜田駅に着く、という印象的なシーンに出合えます。今回は駅を出ると坂を上って少しずつお別れ、ということになりました。

 

 浜田~益田間は、私がイメージしていた山陰本線の情景に一番近い雰囲気が残っていました。ずっと透明な海が見えて、松林があって、時々赤い石州瓦の漁村を通り過ぎる、というものです。この辺になるとお客もかなり少なくなってきます。人口も少ないのでしょう。でも途中一カ所、突然新しい大きな工場が見えて、その区間だけは線路が付け替えられ、長いトンネルを抜ける区間がありました。ここだけは興ざめでした。

 

 このあたりに昔、わらぶき屋根で障子と雨戸、つまりガラス窓の入っていない民家を見つけて感動したものですが、あの家はないかと目を凝らしてみていると、それらしき家はありましたが、瓦屋根になってガラス窓も入っていました。残念。でも島根県は田舎だなあ、と感じました。

 

 益田着17:19。本当は下関まで山陰本線に乗りたかったのですが、時間の関係で山口線に乗り換え。夕食にまた「かにずし」を買いました。山陰にはかにずしの駅弁が多いのです。でも昔は浜田なんかでも売っていたのですが、島根県西部の山陰線区間では益田だけになってしまいました。18:08益田発。もう暗くなってきたので景色は特にどうということはありません。山口でお祭りがあったらしく、増結して客が増えました。小郡着20:38。ここでの一時間待ちは何だかむなしいものでしたが21:21発の下関行きで22:23着。関門間だけを走る電車で下関22:26発の門司22:33着。門司22:46発の電車で0:14博多着。14分オーバーということで、この分だけ車内で切符を買いました。そんなに高くなかったと思います。