写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

11 関釜フェリー(2000年1月9日~10日)

 18時に下関港出航です。乗客は100人ぐらいはいたでしょう。2等船室は大部屋ですが、部屋の指定があって、私の部屋は日本人ばかりでした。韓国人とは分けているらしいです。マットと毛布があって、それを敷いて寝ます。日本人のおじさん達が「韓国人のけんかに驚くな」とか、いろいろ御注進をしてくれます。

 

 しかし何だか不思議な人達です。一人はあとで提灯屋だとわかりました。韓国で生産させているらしいです。この人は「国境なんてなくなってしまえばいいんだ」なんて持論をぶちあげるので閉口。もう一人のおじさんは謎の人物で、韓国に住んでビザなしでいられる期限の15日ごとにこの船で往復して、ビザなしで済ませているそうです。そんなことをするならビザを取ってしまえばいいのに、何か事情でもあるのでしょうか?そのうち、この二人のおじさんが議論を始めてしまったので退散し、食事と船内見物に出かけました。

 

 関釜フェリーは韓国船と日本船が交互に運航しているのですが、今日は日本船でした。おじさん達の話によると、日本船の方がきれいだそうです。食堂はガラガラでしたが、洋食のC定食を取って食べました。食券式で1100円ぐらいだったと思いますが、結構いい味でした。やはり船の食事というのは概しておいしいものなのかも知れません。

 

 夜ですから下関港を出ると何にも見えません。テレビがありますが、韓国の衛星放送と日本の衛星放送もあったと思います。新聞も両方あって、韓国の新聞はほとんどわからないのですが、ハングルを解読して何のことを書いているのか推理していました。ただし韓国の新聞は前日のものでした。風呂もあるそうですが利用しませんでした。韓国人の部屋からは何となくキムチっぽい独特のにおいがします。やはり体臭が違う、とか、持ち物が違う、というのがあるのでしょうか?ここ以外で慣れたせいか感じませんでしたが。

 

 船中の大部屋でそんなに熟睡出来るものではないですが、うつらうつらとしているうち朝になりました。深夜に釜山の港外に到着し、朝になるのを待って港にはいるそうです。窓の外を見ると五六島という岩礁がみえます。なかなか絵になる光景です。しばらくして動き出し、砂利運搬船なんかと並行しながら釜山港へ行きます。近いようで結構時間がかかりました。

 

 定刻8時半(少し遅れたかも?)、釜山港に到着。船中で団体客と個人客に分けられ、団体客優先で下船。10時のセマウル号に乗らなければいけないのですが、要領が悪く、入国審査や通関は最後の方になってしまいました。しかし韓国側の検査もあっさりしたもので、昔とは違ってきているようです。パスポートへのハンコの押し方がいい加減でしたが、それはこだわっていないのでまあいいでしょう。ということで出口にたどり着きました。釜山銀行の出張所で両替。2万円が21万1400ウォンぐらいですから、だいたい日本円の10分の1ぐらいに考えておけばいいです。これは全くスムーズでした。