写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

05 大橋純子「ビューティフル・ミー」

    1970~80年代、「東京音楽祭」という番組がありました。「国内大会」で日本代表歌手を選び、そのしばらく後に「世界大会」がありました。自分の記憶では、確かゴールデンウィークの頃にやっていたように思いますが、ネットで調べてみると、必ずしもそうではなかったようです。

 

 特に「世界大会」は自宅のテレビではなく、ゴールデンウィークに外出先の食堂のテレビから流れていたのをよく見ていた、という記憶があります。たしか先日紹介した「しばたはつみ」が出場した回があり、それを焼肉屋で見ていたかすかな記憶があります。

 

 さて、1979年、大橋純子「ビューティフル・ミー」という歌でこの東京音楽祭の「ゴールデンカナリー賞」という賞をとって世界大会に出場した記憶があります。この歌がドラマチックなバラードで、子供のくせに好きになりました。

 

 大橋純子といえば、大ヒットの「たそがれマイ・ラブ」と「シルエットロマンス」、もんたよしのりとのデュエット曲「夏女ソニア」が知られています。当時の実力派歌手の宿命としてドラマの主題歌やタイアップ曲だけが大ヒットする傾向があり、この「ビューティフル・ミー」は大ヒットに至らなかったと思います。

 

 ですが非タイアップ曲であったことが幸いしてか、彼女がただ一回紅白歌合戦に出場し、歌った曲がこの「ビューティフル・ミー」です。私は当時、子供ですからレコードが買えず、紅白を録音していたのですが、ちょうどこの曲のところでカセットテープが切れ、悔しい思いをしたのを覚えています。

 

 ここまでは当時の歌謡曲に詳しい方ならご存じでしょう。ですがネット時代になり、韓国でも同時期に国際歌謡祭をやっていたことを知りました。MBC放送局の「国際歌謡祭」とTBC放送局の「世界歌謡祭です。

 

 1979年の年末、彼女が第一回のTBC「世界歌謡祭」の方に日本代表として出場し、グランプリをかっさらっていたことを知りました。国際歌謡祭向けの楽曲で、大ヒットしなかったので韓国に行く余裕があり、英語でも歌える歌手、ということで、ちょうど適当だったのでしょう。

 

 当時韓国では放送で日本語の歌を歌うことができず、日本の歌手は英語で歌っていたのですが、部分的ながら、彼女が「ビューティフル・ミー」を英語で歌う映像をyoutubeで見ることができます。

 

 この年は、朴正熙大統領暗殺事件が起こった年です。不穏な空気の流れていたであろう韓国に乗り込んで、グランプリをかっさらってしれっと帰国し、紅白に出る。大橋純子、かっこいいな、と思います。今なら韓国で賞を取ったら話題になったでしょうが、当時私は全く知りませんでしたし、紅白でももちろん紹介されませんでした。

 

 TBCという放送局自体、翌年の全斗煥政権発足後の言論統廃合で公営のKBSに吸収され、消滅してしまいました。この世界歌謡祭はKBSに引き継がれて数年間続いたようです。

 

 東京音楽祭紅白歌合戦の合間にこの「TBC世界歌謡祭」をはめこむと、当時の韓国に対する「無関心」という隙間を埋められるような気がします。

 

 この曲を除くと、当時さほど彼女の歌が好きだったわけではないのですが、今となっては「シンプル・ラブ」・「サファリ・ナイト」・「ファンタジック・ウーマン」など好きな曲ばかりです。韓国同様、彼女ももっと再評価されて欲しいものです。


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