写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

08 1967年 複雑怪奇な東北の分割併合列車

 かなり以前のことですが、「時刻表復刻版」にはまっていました。昭和40年代編の面白いこと。一万円以上出して買った価値がありました。特急、急行が綺羅星のごとく並んで素晴らしいです。今の時刻表は当時と比べると相当見劣りします。

 

 いろいろ眺めるわけですが、今回は東北旅行記のあと、ということで、東北地方ローカル急行の話。当時の東北急行は分割併合を繰り返して走る列車が多いのですが、その回数が半端ではありません。特に急行「むつ」「陸中」を中心として繰り広げられる分割併合は訳が分かりません。図を書いて確認したところ実に12種類の列車が東北各地で分割併合を繰り広げるのです。

 

 当時の東北本線は線路容量が厳しかったのでできるだけ併合列車を走らせようとしたらしいですが、確認するだけでも一苦労でしたから、このダイヤを思いつき、作った人の頭はどうなっているのか、と思います。そしてこれは単なる机上遊戯ではなく、これらの列車を毎日運行していたのかと思うと気が遠くなります。こんな列車をきちんと時間通りに運行していたのですから、旧国鉄の運行は正確だったはずです。

 

 その問題の分割併合を紹介します。急行「むつ」「陸中」はどちらも秋田発仙台行き。しかしルートが凄まじいのです。前者は青森経由。後者は花輪線・山田線・釜石線経由。

 

 以下は図でも書いて確認してみて下さい。昭和42年(1967年)10月のダイヤです。

 

 秋田を出た「むつ・陸中」は大館で分割。「むつ」は青森で鮫行きを併結。尻内(現八戸)で鮫行きを分割。鮫行きは普通になって八戸線を走ります。「むつ」はそのまま仙台に向かいます。

 

 一方「陸中」は大館から弘前発の「第2みちのく」を併結。花輪線を走ったのち、盛岡で分割し、「第2みちのく」は宮古からやってきた同名列車を花巻で併結。さらに小牛田で鳴子発の同名列車を併結し、三層建てとなって上野に向かいます。

 

 「陸中」は山田線・釜石線を経由して花巻に戻り、今度は「くりこま」と併結します。この「くりこま」がまたくせ者です。臨時で松尾鉱業線東八幡平から花輪線に入ってきた普通列車を盛岡で併結するのですが、この臨時列車、花輪線大更から盛岡まで大館から走ってきた普通列車と併結になるのです。盛岡でこの普通と離れ、前述のように「くりこま」に併結されますが、「くりこま」は盛岡で急行「さかり」も併結します。

 

 花巻で「くりこま・陸中・さかり」と三層建てになりますが、松尾鉱業線から来た普通も併結しているので、実質四層建てです。さらに一ノ関で「さかり」を切り離し、今度は盛発の「むろね2号」を併結します。そして「くりこま・陸中・むろね2号」として仙台に到着します。

 

 これで一件落着かと思いきや、分割された「さかり」は、一ノ関で今度は仙台発の下り「むろね2号」と併結して盛に向かうのです。

 

 整理すると、この一連の分割併合には以下の列車が絡んでいます。

①むつ     秋田→仙台(青森経由)
②陸中     秋田→仙台(花輪・山田・釜石線経由)
③第一みちのく 弘前→上野(花輪線経由)
④第一みちのく 宮古→上野(釜石線経由)
⑤第一みちのく 鳴子→上野
⑥普通     青森→鮫
⑦普通     大館→盛岡
⑧臨時普通   東八幡平→仙台(?)
⑨くりこま   盛岡→仙台
⑩さかり    盛岡→盛
⑪むろね2号  盛→仙台
⑫むろね2号  仙台→盛

 

  思いついた人も思いついた人ですが、通常時でも10本、臨時列車が走っていた時期は12本、分割併合を毎日にやって本当に線路上を走らせていたのですから、気が遠くなります。当時の国鉄職員はすごかった、としか言いようがないです。

 

 ここまですごいのはないでしょうが、それでもこのころの東北ローカル急行は5~6本の分割併合を繰り返す列車がざらにあります。また何か発見があったら書いてみようと思います。

 

 図を作って掲載しようかと思いましたが、手書きでも掲載できるようなものはうまく作れませんでした。まして私の低IT能力ではパソコンで作るのは無理。誰か作って送ってください。