写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

01  不安な出発~「はまなす」から「白鳥」への乗り継ぎで富山まで(2000年12月26~27日)

 さて、今回からまた20年前の中央郵便局めぐりの旅行記。ため込んでいたのを吐き出します。だんだんため込んでいた旅行記もなくなり、この旅行の出発のときも不安でしたが、この古旅行記の出発もまた不安です。まあ、心ある方は読んでやってください。基本的に当時の記録のままです。

 

 旅行記の一回目。2000年12月26日、22:33千歳発、夜行急行はまなすで出発します。ところがこの日は大雪でダイヤが大幅に乱れていました。しかし、「はまなす」は数分の遅れとのことで、ホームに出て待っていました。

 

 ところがなかなか来ません。「サッポロビール庭園駅まで来ている」というアナウンスだったので数分でくるだろう、と思ってエレベーターのところで待っていると、30分ぐらいして駅員が来て、「下で待ってください」とのこと。不安に思った別の客が「はつかり」に連絡するか聞いていましたので、ついでに「白鳥」にちゃんと接続するか聞いてみました。

 

 駅員が電話で聞いている間に列車がやってきて乗ろうとすると「待ってください」とのこと。待って聞いた結論は「わからないのでとにかく乗ってくれ」というもの。ということで飛び乗りのような形で列車に乗り込みました。この時点で約1時間遅れ。なぜだかわかりませんが、「はまなす」はサッポロビール庭園で1時間近く停車して貨物列車を先行させていたようです。

 

 ということで最初から不安な出発でした。これ以上遅れたら本当に「白鳥」に間に合わなくなって行程はむちゃくちゃになります。心配でしたが、一方で指定席はグレードアップ車両グリーン車並の座席。夏も同じ「はまなす」の指定だったのにえらい違いで快適。「はまなす=苦痛」のイメージがありましたが、今回はかなり楽な感じでした。

 

 結局道南はさほどの雪ではなく、函館では前回同様席を回転させず、青森は本来5:18着のところ約40分遅れで6時ちょうどぐらいに到着しました。20分ほど遅れを回復したので6:11発の「白鳥」には間に合いました。「はつかり」の方は間に合わなかったようです。

 

 あわてて先頭車前から2番目の自由席を押さえました。「白鳥」は進行方向右側に座ると景色がよいのですが、こういうことも過去の話になるのですね。(注:大阪「白鳥」廃止直前でした。)

 

 「白鳥」廃止で乗客が多いのでは、もしかしたら自由席を押さえられないか、と心配だったのですが、何のことはない、楽勝でした。しかし秋田県に入るとかなりの乗車率。でも秋田駅でほとんど下車。やはり大阪行きの客は少ないようです。

 

 心配した雪ですが、地方によって晴れたり降ったり、しかし一応順調。酒田だか鶴岡からだかで反対側の席に岐阜へ向かうらしい山形大学の学生が乗っていました。少数とはいえこういう客もいるのになあ、と思います。

 

 順調に走り、これなら安心、と思っていたら、村上の手前で2回ほど停まってしまいました。動き出してから「本日は土砂流出のため一部で単線運転をしています」との連絡。こういうことはあらかじめ言ってもらわないと困ります。

 

 新潟には30~40分ほど遅れて着きました。ここで方向転換。これはみんなやっていました。といっても客がガラッと入れ替わるのですが。ここでは本来30分(最末期の「白鳥」は虐待されているので停車時間が長い。)ほど停まるのですが、時間を短縮して出発。遅れは15~20分程度になりました。新潟をすぎると急に速度が速くなります。

 

 以前の「白鳥」は長岡で新幹線乗り継ぎ客が乗り込んで自由席は立席が出るのが常でした。しかし「ほくほく線」開通でそんなこともなくなっただろう、と思っていましたが、案外今でも長岡乗り継ぎ客が多いらしく、満席になりました。直江津糸魚川と過ぎ、魚津では富山地方鉄道と並行の高架線を走ります。

 

 そして目的地富山着。15:33が本来の到着時間ですが、15~20分ほど遅れました。もう10時間近くも昼行電車特急に乗り続けることもないのだなあ、と思うと、遅れもまあいいか、と思えました。

 

 富山からは次回に。