写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

15 ムグンファ号で全州~鳥致院~堤川(2001年1月5日)

 全州につく前、列車の中で帰りどうしようか考えていました。いろいろ検討した結果、今日はこのあと堤川というところまで行って泊まり、翌日朝の列車で日本海側の江陵というところまで抜け、そこから釜山行きに乗って慶州で泊まり、釜山に抜ける、という案をつくりました。

 

 ところで堤川という町、山間部の小さい町のようで果たして旅館があるのかどうかわかりません。もし旅館がなかったらどうしよう、などと思いつつ、全州駅のインフォメーションセンターで全州→鳥致院(京釜線の駅)と、鳥致院→堤川(忠北線)のそれぞれムグンファ号の切符を取りました。

 

 改札の時、駅員が私の切符を見ると不審に思ったらしく、一度インフォメーションのところに行って確認していました。だいたい全州に来る日本人自体が少ないのに、そこからこんなマイナーな町に行く切符を持っているのですから、何かの間違いだろうと思われても仕方ありません。まあ予想されうることなので仕方なく待っていました。

 

 確認が済んで、ホームにでるとしばらくしてムグンファ号がやってきました。14:07発。ムグンファ号セマウル号より一段下の急行相当の列車です。オレンジ色のラインが入っています。これに乗ってみるとムワッとした生臭いというか、キムチ臭いというか、そういう異臭が立ちこめます。13年前に一度ムグンファ号に乗ったときもそうでした。

 

 セマウル号と違って韓国臭い、庶民臭い列車です。どうも私の座った席の前の網に先客が残した生ゴミが残っていて、これもにおいの一因のようでした。しばらくすると気にならなくなりましたが。昔は新幹線のような5列シートだったのですが、4列シートに改善されていました。

 

 ムグンファ号はセマウル以上に混んでいて、立席客もでました。全車指定席なので、立席券を発行しているようです。

 

 ところで途中、時刻表をみているとさっきつくったルート案が実行不可能であることに気づきました。というのは堤川で泊まっても翌日朝の列車で江陵にたどり着けないのです。焦りましたが、キャンセルするのも面倒なので、堤川で泊まるのをやめ、強引にその日のうちに日本海側に抜けることにしました。

 

 またスリル満点の仮設高架橋を渡って京釜線に入り、鳥致院駅に下車。16:13着。小さい町だと思っていましたが、案外大きな町です。どうも韓国の町は私がイメージしているより実際は大きい町が多いようです。トイレを済ませましたが、紙を流さず、ゴミ箱に捨てる方式で、便のついた紙をゴミ箱に捨てねばならず、ゲッと思ってしまいます。

 

 インフォメーションが見つからないので普通の切符売り場で堤川から先の列車の切符を買いました。そして忠北線の列車を待っていましたが、電光掲示板に案内がでないのでおかしいな、と思って改札を抜けようとすると、改札手前の階段を下りて1番線に行くようにという指示を受けました。道理で掲示板にでなかったわけです。

 

 こんなところでいいのかな、という感じで、不安だったのでホームで待っている夫婦客に「この番線でいいですか?」と聞いたら、いいようなことを言っていたので一安心。しばらくして列車が来て、16:46発。また立席がでます。時間帯のせいか通勤通学客が結構いるようです。忠北線はローカル線ですが、忠清北道を縦断する線です。

 

 途中で日が暮れ、外が見えなくなります。堤川につく頃はガラガラじゃないかと思っていたのですが、意外と混んでいる状態がつづき、堤川に着いたのが18:28。駅に着くと案外大きな町でした。後で調べたら人口14万人で、そこそこの中都市でした。旅館も駅前に3軒もあり、心配することもなかったのですが、ここには泊まらないことにしたので、次に向かいます。