写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

27 2000年12月~2001年1月の旅行感想<その3>

 旅行の感想、というより、韓国事情について書いた記録という感じの内容ですが、残っていましたのでついでに載せます。よかったら読んでください。

 

  東海市について

  東海市とは市になったとき付いた名前のようで、「東海」は「日本海」のことです。韓国から見て東側にあるのでこの名前になったのでしょうが、困ったことに一部の人は日本に対して「日本海」の名称をやめて「東海」か「韓国海」と呼ぶよう要求しています。日本から見て北西にある海を「東海」と呼べ、というのはナンセンスですが、実際にこういう動きがあるのです。私は韓国好きですし、ここで親切にされたのでいい印象があるのですが、でも名称の問題は困ったことだと思います。

 

 アジア人との英会話について

 東海駅で駅員と韓国語英語ごちゃ混ぜで話をしたということを書きましたが、私はどうもアジア人同士が英語を使ってコミュニケーションをするというのに抵抗感があります。東南アジアの人ならやむを得ませんが、中国人や韓国人に対してはその国の言語か日本語で、というのが自然な気がします。根本的には私が英語を使えないせいですが。一般論として韓国人は日本人より多少英語がうまいといわれていますね。

 

 オンドル暖房について

   旅館の床暖房について書きましたが、オンドルの熱源は本来は練炭です。ですが、今旅館やアパートににあるようなオンドルは、石油を焚いて温水パイプを通しているのだと思います。韓国人には「あれはオンドルとはいわない」といわれてしまいました。オンドルの起源をさらにさかのぼると、かまどの煙を直接煙突に送るのではなくて床にいったん通した上で煙突に送る、という形だったようです。練炭はおそらく日本植民地時代に製法が入ってきたのでしょう。

 

 こちらは北海道ですから、オンドル暖房、あれがこの家に入っていさえすれば・・・と冷たい床を歩くたび思います。

 

 本当は韓国式布団もほしいです。でもこれも持って帰るわけにもいきません。
 

  韓国語のアルファベット表記について

 釜山を表示するのにPusanと書いたりBusanと書いたりします。キムパプのアルファベット表記も別にpでもbでもいいようです。直訳すると「のりめし」ということになります。一応、語頭は清音、語中は濁音になるようですが、釜山は最近「Busan」が一般的になっているようです。

 

 韓国米とキムチについて

 韓国米についてですが、日本ではお目にかかりませんね。93年の米不足の時に韓国からの輸入はありませんでしたね。個人的に買ってくる人はいたという話は聞きましたが。韓国は(当時から)20数年前に米の自給を達成しているのですが、その当時は「緑の革命」で開発されたインディカ系の米を掛け合わせた品種だったそうです。でも私は最近韓国にいったとき食べた米は日本のものと変わりないという感じでした。輸入されなかったのは単に輸出余力に乏しかったからではないでしょうか?

 

 米については日本と同じです。旧植民地だったせいかもしれませんが。もちろん水稲中心です。どこかで粟入りご飯を見た気もするのですが、これは料理に合わせてやっているのでしょう。電気屋さんをちゃんと見たわけではないですが、炊飯器や保温器は日本と同じものがあると思います。
 

 あと、日本のキムチはキムチでない云々という話を前に聞きました。ワールドカップや東海の話もそうですが、どうも韓国人の一部にはしょうもないことで文句を付けてくる人がいます。味は基本的に同じです。