感想5回目。当時書き残していた断片的な覚え書きや思いをまとめて無理矢理記事にしています。ですから不自然ですが、読んでやってください。
どうも対馬海峡(韓国では大韓海峡という)よりも対馬~九州間の玄界灘(これまた韓国では玄海灘)が荒れるようです。少なくとも行きの時はそうでした。ジェットフォイルはフェリーよりも荒波に弱いようです。座席は指定席でした。前年に関釜フェリーに乗りましたが、関釜フェリーの場合は、指定席ではなく、桟敷の指定でした。自由席ではありません。
釜山について
釜山というのは一度住んでみたい町です。ソウルに住むのはなかなか大変そうですが、釜山の小高い丘の家を借りて住みたいと思ったことがあります。
釜山は日本でいうと大阪と神戸をあわせたような役割を果たしている都市です。人口は300万人以上いるはずです。ただこの町は中心部の旧市街にろくなデパートがないことでもわかるとおり、かなり拡散した町になっています。港町らしい趣のあるのは旧市街ですが、実際は西面やもっと郊外に住んだ方が便利で快適かも知れません。
私はなんか比較的暖かいアジアの港町の片隅に小さな家を借りて住みたい、という願望があります。香港・上海、そして釜山・・・一日中窓から下を行き来する人を眺めて、食事の時には町の食堂でちょっとしたものを食べる、という生活が理想です。今のような状態では一生そういう生活は巡ってきそうもありませんが。港でも函館とかウラジオストックとか大連のような北の町は魅力を感じません。何で北海道にいるのでしょうか?
高麗人参ドリンクについて
高麗人参ドリンクはさほどまずいものではなかったです。うまいとも思いませんでしたが。私は案外ドリンク剤の味には抵抗感はないのです。韓国で買ってきた高麗人参茶を飲みました。説明書きに蜂蜜を入れて・・・と書いてあったのでそれを入れて飲んでいますが、まあまあです。
次回の旅行について(当時思っていたこと)
春の旅行は無理そうですが、夏はどうしようかな、と思っています。まあ仕事の具合がどうなるかにもよりますが、基本的には静岡以下の本州未訪問中央局を片づけることになるでしょう。冬は今度こそ沖縄&台湾というのもいいですね。もう次の冬のことを考えています。早すぎますね。
以下は2020年時点で書いた追記です。
<追記>嶺東線のスイッチバックについて
嶺東線のスイッチバックですが、やはり輸送上の隘路になっていたようで、2012年に新線に付け替えられたそうです。旧線は観光用に残されているとの情報も見かけました。
<追記その2>キムパプについて
当時、日本では「キムパプ」はまだ知られておらず、たまに旅行記で「まずい」とかかれているだけでした。いまは日本でも知られるようになり、札幌のデパートでも売っていたりします。日本編に比べて韓国編のほうが現在とのギャップが大きいですね。
これで2000年~2001年冬の旅行記は終わり。次回から今回の中央郵便局巡りのまとめを掲載しますので、よろしくお願いします。