写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

01 宴会嫌い

   コロナ禍で消毒作業だのマスク着用だの、「三密」防止だのと、いろいろ困ることも多いのですが、先日の「在宅勤務を経験して」や、「楽園からの転落」の記事でも書いた通り、私にとってはコロナの「自粛」は必ずしも悪いことばかりではありませんでした。むしろ「楽園」に近かったわけです。今はもとの生活に戻りつつありますから、正直がっかりしている部分もあります。

 

 それはさておき、「よかったこと」のひとつに「宴会がなくなったこと」があります。今年は転勤がありましたから、本来ならば「送別会」や「歓迎会」があったはずです。ですが宴会としての「送別会」「歓迎会」はありませんでした。正直助かりました。

 

 私がなぜ宴会が嫌いなのか、いろいろありますが、基本的に一人で家にいるのが好きなインドア人間なので、勤務時間以外の一人でいる時間が非常に貴重なわけです。それを夜遅くまで宴会に付き合わされる、というのは「時間の無駄」に感じてしまうのですね。

 

 「一人で寂しくないのか」といわれることもありますが、「孤独」というのは一人でいるときには感じないものです。集団の中にいて疎外感を感じるときに「孤独」を感じるのだと思います。むしろ「今日も宴会ですねえ(ため息)」と裏で愚痴を言い合える人がいると救われます。

 

 みんなはワイワイやって楽しいのかもしれないけれど、私は楽しくない、そういう顔をしていると「楽しくないのか」などといわれないか、と思ってしまう、それで楽しそうなふりをする、でも早く帰りたいなあ、というのが本心。時計を見て「あと何分」と終わるのを待っていたりします。終了予定だと思っていた時間が違っていたり、延長したりすると、がっくりきます。

 

 宴会の料理がおいしくないのか、と言われたこともありますが、だいたいおいしいものです。おいしいかどうかは別にして、実は私は大変な「早食い」なのです。正直20分あればおなかいっぱいまで食べてしまいます。それとケチ体質で食べ残しが出るのが大嫌いです。満腹なのに、残っているものがあると、手持ち無沙汰なのが半分、もったいないという気持ちが半分で手を出してしまいます。

 

 その結果、お開きのときに私のいるテーブルだけ残り物がない、ということがよくあります。そして必要以上に食べてしまったので、家に帰ったあと苦しくて困る、ということになります。

 

 たまに値段の割に料理が少ない場合もありますが、これも辛いものです。さっさと食べて料理がなくなってしまい、手持ち無沙汰の状態で1時間半~2時間の時間を過ごすことになります。そういうときは仕方ないので一人で妄想に耽りますが、変に思われているでしょうね。そう思いながら過ごすのも嫌なものです。

 

 ひと前では酒も飲みません。ジュースやお茶を飲むのですが、ジュースは食事に合いません。若い人はジュースやコーラと一緒に食事をすることに抵抗感がない人も多いようですが、私はどうもそのような食べ方は合いません。お茶ならいいのですが、お茶の場合、飲み過ぎると、おなかがタッポンタッポンになってしまい、カフェインのせいか、帰宅後、夜眠れないことが多くなり、翌朝起きるのがつらくなります。

 

 くだらない余興も困ります。せっかく用意してくれたのでしょうが、正直面倒くさいと思います。カラオケぐらいなら聞き流しておけばいいですが、厄介なのがゲームです。嫌々ながらやらざるを得ないときが多いのです。

 

 話をして打ち解ける、というのがこの手の宴会の目的の一つなのでしょうが、私は人間が偏っているので、宴会の場で話される話題についていくのが苦手、ということも大きい、と思います。

 

 このブログに書いてあるような話題になればいいのですが、そうでない話題になると話について行けず、話題の展開によっては聞いているだけで不愉快になることもあります。そういうときには居たたまれない思いをしますし、廊下などがあれば席を外すこともあります。そして、徒労感、時間を無駄にしてしまった、という思いで帰宅します。興味のない話題ならともかく、聞きたくないことを聞かされてしまう、というのは帰宅後まで引きずることになります。

 

 こちらが話すにしても、職場の人たちや関係者が多数いるなかであまり聞かれたくないような話題は避けます。職場の愚痴ならいくらでも話せますが、そんな話もできませんし。そうなるとたいして話すこともありません。また、個人的なことを根掘り葉掘り聞かれるのもあまり好みません。このブログでも個人的なことを書きすぎかな、と思っているくらいですから。

 

 気の合う人2~3人での短時間の食事会ぐらいなら抵抗はありませんし、楽しいと思うこともありますが、「きほんひとり」が染みついています。愚痴吐きなら誰にもみられていないところで、ということになりますね。

 

 こんなことを書いたのは、ある知人に宴会嫌いのことを理解してもらえなかったのからですが、これを読んだ方は偏屈者だと思われるでしょうね。まあ、こんな人もいるのだ、ということで、理解していただければ幸いです。