昨日は私が住んだことのある町で、街角でよく見かける店が違う、という話を書きました。今日は、それで思い出したことを書いてみます。
今回は方言について。近頃はネットでもテレビでもこのような話はよく紹介されていますが、自分の経験を書いていきます。
小学校では朝の会で「健康観察」をします。目にできるイボがありますが、これを金沢では「目もらい」、岡山では「目ばちこ」、山口では「目いぼ」といっていました。(関東では「ものもらい」というそうです)近頃はこの病気をあまり見かけないせいか、北海道ではどう言うのか、日常生活のなかで聞いたことがないように思います。「ものもらい」でしょうか?
山口では「ハンコ」といっても通じず「印判」といったり、金沢で「はなかみ」というところ、山口では「ちり紙」となっていました。山口にいたとき、最下位を意味する「ビリ」が通じず、「ドベ」というのだ、というのを知ったこともありました。
「とても」にあたる言葉と語尾は地方色が豊かです。「とても」を金沢では「まんで」、岡山では「ぼっけえ」、山口では「ぶち」といっていたように思います。
北海道にきてから「なまら」という言い方を知りました。しかし、この言葉は大学などでは聞くことはなく、年配者も使いませんでした。当時の若者言葉だったようです。それも札幌ではよく聞いたものの、のちに千歳にいくと聞くことはほとんどなくなりました。今は札幌の若者でもあまりこの言葉を使うことはなくなったようで、方言と流行語の中間的存在だったようです。
そう考えると、本州を離れてもう長いので、ここに書いていることも変わっているかもしれませんね。
大阪など、関西では「めっちゃ」をつかう若い人が多いと思いますが、年配者は「とても」の意味で「えらい」を使うケースが多かったように思います。
「えらい」といえば、私は疲れたとき、「しんどい」を使いますが、岡山や山口では「えらい」を使います。これには違和感を感じていました。「えらい」は「偉大だ」という意味だと思っていたからです。「ふざける」は岡山では「ちばける」、山口に来てからこの言葉を聞かなくなりましたが、一度年配の先生が「ちばけるな」といったことをよく覚えています。昔は山口でも使っていたのかな、と思っていました。
「いけない」は大阪では「あかん」といいますね。岡山や山口では「いけん」という人が多かったように思います。大阪にいたとき、九州出身の人が「いかん」と言ったことがありました。北海道では「だめ」というケースが多いように思います。
語尾も地域性が豊かです。うちの金沢の親戚は語尾に「じ」とか、勧誘の意味で「まっし」というのを使っていました。あと、気になったのは、日本語の発音にない「うぇ」とでもいう語尾を使うのを聞いたことがありました。
大阪の場合は「ねん」とか、「や」が多いですね。
岡山では同級生が「じゃけえのお」という風に日本昔ばなしのおじいさんか?と思う言い回しをしていました。民話「桃太郎」が岡山の話なので、岡山弁=日本昔ばなし、というイメージができたのかもしれません。山口では「じゃけえ」が「じゃけん」になり、語尾に「ちゃ」をつける言い方をする人が目立ちました。
北海道では皆ではありませんが、東北風の「べ」を使う人がときどきいます。「しょ」という語尾もありますね。これは私も北海道に来てから使うようになりました。
「捨てる」は金沢では「ほーる」、岡山や山口では「捨てる」だった気がします。大阪の祖母が「ほかす」という言い方をしていましたが、若い人からはこのいい方を聞くことはありませんでした。北海道では「投げる」ですが、いまだに「ゴミ投げ」という言い方には違和感を感じます。
私が子供の頃に住んだのは金沢・岡山・山口で、あと成人後に住んだり、多少縁があったのが、北海道・大阪・広島・福岡といったあたりです。ですから東北・関東・東海・四国・九州といった地域のことはわかりません。こうして北海道に居着いて長年過ぎてしまうと、もう少しあちこちに住んで、いろんな言葉や習慣を収集してみたかったなあ、と思います。もっともあまり人づきあいしない人になったので、大人になってからはあまり収集できなかったかもしれませんけど。
他にも思い出したら折に触れて書いてみたいと思います。