写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

04  李登輝氏を偲ぶ

 先日台湾の李登輝元総統が亡くなりましたね。追悼記事があれこれ出ていますし、私は台湾に一度行ったことがあるだけで、それ以上の縁もゆかりもありません。しかし思うところがあるので、それを書いてみたいと思います。

 

 1980年代の後半、1988年でしたか、蒋経国氏の死を受けて総統職に就任したのでした。当時は冷戦終結直前で、ペレストロイカ、フィリピン革命に続き、ソウルオリンピックを控え、韓国の民主化運動が成功し、「盧泰愚宣言(6・29宣言)」が出された頃でした。

 

 前年の韓国民主化の過程がドラマチックな展開をたどったのに対し、台湾の場合は、民衆のデモが民主化を成功させたのではなく、蒋経国氏が準備していたと言われる民主化への道を李登輝氏が慎重かつ大胆に推し進めていった、という感がありました。

 

 韓国の民主化が急激に進められたのに対し、台湾の場合は李登輝氏が「万年国会」解消、総統直接選挙制の実施など、一歩一歩漸進的に進めていった感がありました。韓国の民主化が「下からの民主化」だったのに対し、台湾の場合は「上からの民主化だったといえるでしょう。追悼記事の中で「静かな革命」を推し進めた、という評価を見かけました。なるほど、と思います。

 

 当時、アジアNIEsといわれた国・地域のうち、旧日本植民地で、ある程度の国土を持つ韓国・台湾がこの時期に民主化しました。ですから、この頃、私は独裁国家であっても、この時代の韓国・台湾程度の経済レベルに達すれば、他の独裁国家も何らかの形で民主化が進められ、自由と民主主義を享受できるのではないか、と期待していました。

 

 ところが、旧イギリス植民地であったシンガポールを見落としていました。一人あたりGDPでは日本をかなり以前に追い抜いてしまった都市国家ですが、「明るい北朝鮮」と言われるように、非社会主義国でありながら、これといった民主化への取り組みは行われなかったようです。

 

 そして香港。ここは国家ではなく、1997年に中華人民共和国へ返還され、一国二制度のもと、経済的は繁栄していましたが、このところ急激に自由を失っていることは周知のとおりです。

 

 そして中華人民共和国。1989年の天安門事件が経済の発展に比べてタイミングが早すぎたのか、その後はこれといった民主化運動は起こらず、むしろ近年、習近平体制のもと、統制が強められているように見えます。

 

 韓国・台湾に後に続くこれらの国々の情勢を鑑みると、韓国・台湾の民主化は私が期待したものとは違い、普遍的なものにはならなかったのではないか、と思わざるを得ません。

 

 しかしそれだけに、政治的混乱もなく、平和裏に民主化を成し遂げた李登輝氏の信念とリーダーシップがいかに稀有なものであったか、それを今になって改めて感じざるを得ません。今の台湾が中華人民共和国の経済的発展にともなって次第に経済的優位を失い、自由と民主主義がそのレゾンデートルになりつつあることを考え合わせると、一層その感を強くします。

 

 平和裡に民主化を成し遂げた稀有な指導者、という意味ではノーベル平和賞に値する政治家だったと思うのですが、台湾がおかれた国際的位置のため、そういう話は聞こえてきませんでした。台湾と韓国は歴史的経緯が非常に似ているにもかかわらず、国際的立場が大きく違っているのは大変残念に思います。

 

 李登輝氏の死にあたり、その業績に対して、改めて日本でも多くの賛辞が送られています。私もその末席に連なりたいと思ってこの記事を書いたのですが、ネットの世界で不特定多数に向けてこんなことを書くと、零細ブログとはいえ、AIで中国共産党に目を付けられるかも知れないかも、などと思ってしまいます。全く気弱な人間ですね。

 

 自由と民主主義が実現されているこの日本でこんなことを書いても、頭の片隅に「中国の影響」がかすめるようになりました。

 

 今のような時代だからこそ、李登輝氏の爪の垢でも煎じて飲みたいものです。