古旅行記終わりました。読み返してみて、この回は辛辣というか、なんだか、ささくれだった表現が多いなあ、と感じました。この頃、いろいろあって、旅行のときも苛立っていたのかも知れません。恒例ですから、書き落としたこと、削ったことを寄せ集めてまとめておきます。
日光について
日光は東照宮なんかが歴史で出てくるので見に行ったまでです。観光地、といっても当分は歴史的な物だけ見ることになるでしょう。ですから華厳の滝や奥日光は行きませんでした。
「アクティー」はだいたい2階建て車(系列番号よくわかりませんが)です。ちょっと狭苦しいです。御殿場線も乗ろうとして乗らないと乗れない線です。旧東海道線だったので複線をはがした跡があります。
登呂遺跡について
登呂遺跡は戦時中に軍需工場を造ろうとして発見された遺跡で、戦後の混乱期に発掘されたため、発掘が技術的にも不十分だったそうです。ということで、最近になって発掘をやり直ししているそうです。なお、登呂遺跡は弥生時代の遺跡です。
葬儀について
このときの旅行は祖父の葬儀が重なり、一時中断して再開しました。ですからいつも以上にずいぶん長期の旅行になっています。大阪の場合、遺骨を全部骨壺に入れるのではなく、一部だけ入れる、という風習なのが驚きでした。大阪的な合理性なのでしょうか?
仙台について
仙台は牛タンの店が多いですね。もちろん焼いて麦とろと一緒に食べます。冷やし中華も仙台発祥と聞いていたので期待していたのですが、特に名物という感じで扱われてはいないようでした。
仙台の駅弁もなかなか買えません。冬、途中でもう一度行ってみようかと思っていました。仙石線は昔72系のアコモ改造車が走っていました。一度乗ってみたかったです。