写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

09  写真の氾濫

 今日はこのブログを読んでくださる多く(数少ない、か?)の方々を敵に回すようなことを書きます。実は半年ほど前から、私が転勤に際してスマホを持ったことで前の職場のある方と「メッセージ」のやりとりをするようになりました。その後、メッセージをやりとりしているうち、私は短文でチャットのようなことを繰り返すスタイルでは自分の意を尽くせないと思い、メールに移行してもらいました。

 

 ですが相手の方は、LINEなどのスタイルに慣れているのか、逆にメール形式には不案内のようでした。

 

 それからもうひとつ、その方は、LINEあたりのノリなのでしょう、しきりにさまざまな写真や画像を送ってこられるのですが、率直に言うと、あまり見たいと思うものがありませんでした。相手方はもちろん見てもらいたいのだろうし、好意でやってくださっているのですが、中には困惑するような画像すらありました。世話になった方なので、言いにくかったのですが、むやみに何でもかんでも画像を送るのは控えて欲しい、ということもお願いしてしまいました。

 

 こうしてみると、「写真のない旅行記」なる偏屈ブログの主である私は、どうも、独りよがりの文章を書くのは好きですが、写真についてはやや懐疑的なところがあるのだな、ということに思い至りました。以前から、自分の写真を撮られるのは大嫌いで、ピークだった高校の頃など、受験票の証明写真と卒業アルバム以外写真が残っていない、というくらいの写真嫌いでした。旅行にいっても写真を撮らないし、撮影も好きではないのも自覚していました。そして、他人が撮っている場合でも、節度を欠いている場合には批判的な感情を持ちます。そして、場合によっては見るのも…ということに気づいてしまいました。

 

 ブロガーの皆さんのほとんどは画像や写真を多用しています。一般的にはその方が見やすいのでしょう。その知人からは私のブログも写真付きのブログにするよう忠告されましたが、この偏屈スタイルを貫いています。結果として読者もアクセス数も増えていません。

 

 もちろん、一般論として私は写真そのものが不要だと思っているわけではありません。報道写真や歴史資料、あるいは鉄道写真やきれいな風景写真、そういったものはむしろ大好きです。絵はがきを集める趣味もありますから、写真そのものに否定的なわけではないのです。海外旅行をしたとき、特にタイやロシアといった不案内な国を旅行したときには、事前にブログの写真を見て駅までの行き方や荷物の預け方を予習しました。こういうものは写真付きではないと、なかなか役に立ちません。

 

 ですから大いに写真の効用は認めていますが、それでもなお、批判的になってしまうのは、近頃は容易に写真を撮れるようになったせいか、役に立つとか、記録に残したい、美しい写真を撮りたい、というのではなく、とりあえず、いつでもどこでも何でもかんでも写真を撮っちゃえ、ということが多くなっているからだと思います。それでいいのかなあ、という気がするのです。

 

 先日ネットで若い人が「食べる前に写真を撮るのがマナー」と書いたことが論争になっている、という記事を読みました。きれいに盛り付けられたものは記録に残しておくのがマナーだというのです。それに対して、「できたてがいちばんおいしいのだから、すぐ食べるべき」という反論が来たそうです。私は食べる前に写真を撮ることには違和感、もっと言うと行儀の悪さを感じます。ですから後者です。

 

 食べ歩きブログに載せるなどの目的があって写真を撮るのはやむを得ないと思いますが、その知人に「今日の夕食」などという写真を何度か送られたのには、正直、面食らってしまいました。知人氏と先日会食したときも氏は食べる前にやはり写真を撮っていました。昔はなかった、スマホの普及で生まれた習慣だから、違和感を感じるだけでしょうか?

 

 鉄道の世界でも「撮り鉄」のマナーの悪さが問題になることがありますね。もちろん、列車や路線の廃止など、記録に残したいし、残すべきですが、騒ぎになっているのを見ると、ちょっとなあ、と思ってしまいます。

 

 こんなことを書いたり言ったりするからますます人間関係が悪くなってしまうのかも知れませんが、どうも偏屈なので、そう思ってしまうのです。すいませんでした。