写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

14 「群れない政治」は可能か?

 このところ、政治がらみの記事をいくつか書いてきました。私は政治に関心を持ってはいるものの、実際の政治は遠い存在になっています。ときどき法律や制度が変わって、その影響を受け、えっ、って思うこともありますが、特に反対運動することもなく、選挙でも、あの党の政策はここはいいんだけど、ここはダメだよなあ、なんて思いながら投票するので、モヤモヤしたまま投票所をあとにします。

 

 そもそも、私は友人知人も少ない偏屈者です。群れることを好みません。ということで、候補者のほとんどがどこかの政党に属している時点で、「この人は自分の代表ではないな」と思いながら投票することになります。自民党だろうが共産党だろうが立憲民主党だろうが、「党」という集団に自ら入り、その組織の論理で行動している、という人は私のような「ひとり者」とは違う人間だ、と感じてしまいます。

 

 ただ、「政党」がないと、困ることもあります。先日まで田舎町に住んでいたのですが、選挙の中でいちばん困るのが町会議員の選挙でした。ほとんどが無所属立候補者なのですが、選挙公報もないうえに、私は地域と没交渉で、誰がどんな人か、どんな政策を持っているのかがわかりません。仕方ないので、広報に挟んである「町議会だより」を読むしかありませんでした。余計な質問をした議員数人は覚えていて、こいつには入れない、思っていたものの、それ以外はさっぱりわからず、やはり政党がないと困るなあ、と思ったものでした。

 

 それはともかく、先日「気の弱い人の代表」がいたらいいのに、などと書きましたが、「群れない人の代表」というのはいないものか、と思います。無所属立候補者には、いないわけではないでしょうが、エキセントリックな主張をする候補との見分けがつきにくく、また、何者かわからない状態では、投票する気にはなりません。結局、「泡沫候補」扱いされて落選、というのがオチですし、落選確実なのに立候補して平気だ、という時点で、もうひとつの「気の弱い人の代表」に合致しません。

 

 私は、だいたい「イベント」が嫌いで、なくなればいいのに、と思っているのですが、反対運動をすると、それ自体が「イベント」になってしまいます。静かにひとりで暮らしたい、という人間が政治運動をすることはありません。よほど身近で切実な事柄が起きれば反対運動をするかも知れませんが、やむを得ず反対運動に消極的に加わるだけか、ひとりで空しい抵抗をするだけでしょう。そうならないように、政治を注視はしていきたいと思っていますが、「巻き込まれなくないな」とも思います。

 

 一方で、ネットの時代になり、これを有効活用できないか、という期待は持っています。ネットで世論の形成を図り、ある目標を実現するケースというのがないわけではありません。仕事がらみの事項になるので具体的には書きませんが、ひとりの動きからはじまって拡散し、巧妙にネット世論を形成した結果、問題が改善されつつあるケースを知っています。

 

 それでも多数決原理によって民主主義政治が運営されている以上、多数派になるか、多数派に配慮を求めることができるだけの勢力を形成しなければなりません。これは個人主義の人にとって結構きついことです。誰かが死ぬと問題になり、改善されることもありますが、まさか自分が死ぬわけにもいきません。

 

 これからの政治は左右ではなく、集団主義個人主義の対立になる、という予感がしています。群れなくとも政治に関わる方法はあるのか、を模索していきたい、と思っています。政治の本質は、集団間の利害の調整、ということになるのですから、それが「政治」になるのかさえ怪しいですが、それでも、探っていきたいという気持ちがあるのです。