写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

06  鹿児島黎明館(2002年1月5日)

 西鹿児島を出ると鹿児島中央郵便局が見えます。3年前、たまたまここで通帳が新しくなったばかりに以後3年間愚かな貯金旅行を続けることになり、ついには沖縄に行くことになってしまったわけです。最後の沖縄行きの前に再度見ておくのも悪くありません。

 

 はじめの予定では福岡で時間をとる予定で、鹿児島では前回乗り損ねた市電試乗程度にとどめておくつもりだったのですが、福岡滞在時間を縮めて時間があったのとバス乗り場に観光地を回るレトロ風バスがあったのでなんとなく衝動的に乗ってしまいました。

 

 行く当てもなく乗ってしまったので、どこで降りるか困りましたが、結局西郷隆盛銅像の前で降りました。上野の西郷さんと違って軍服姿です。そういえばどこかに大久保利通像もありました。

 

 銅像なんぞを見てもどうってことないですから、さてどうしようか、まだ2時間半以上あるぞ・・・と思っていたら、近くの鹿児島城跡が「黎明館」という歴史資料館になっていることがわかり、時間つぶしにそこに行ってみようと考え、行ってみました。

 

 行ってみると新しくしかもずいぶん立派です。衝動的にバスに乗ってしまったので大きな荷物を持ったままでしたが、切符売り場のお姉さんが預かってくれました。ずいぶんサービスのいい資料館です。中身もまあ珍しいものはないながら、さすが薩摩藩の地だけあって地方史博物館の割には思いがけずずいぶん興味深い内容でした。ただ、立派ですがガラガラで土曜の午後なのに見ている人は数人しかいません。あと、文献資料は展示されていてもよく読めないし、困りますね。

 

 それでも時間つぶしのつもりだったのに今度は時間が足らなくなってきました。2階3階は駆け足見物です。1階に戻ったところで説明員のおじさん(おそらく学芸員なのでしょう)が 「ありがとうございました」と声をかけてきました。それで思い切って質問。

 

 前から疑問だったのですが、薩摩藩は19世紀はじめ、財政危機に陥り、調所広郷(ずしょひろさと)という人が藩政改革をして立て直し、維新を起こす力を蓄えるのですが、この改革の内容の中に「藩債を250年かけて返す」というのがあるのです。よく考えると本当に250年かけて返していたら21世紀の今でも返し続けていなくてはいけないはずです。前から疑問だったのですが、展示の中でそのことに触れた説明があり、そのことを思い出して、あれはどうなったんだろう、と考えながらみていたところで説明員のおじさんが声をかけてきたので聞いてみることにしたのです。

 

 維新に関する質問なら多いでしょうが、妙な質問なので、あまり明確な回答はなかったのですが、どうやら250年というのは事実上の踏み倒しで、実際はどさくさにまぎれてほとんど払っていないらしい、とのことでした。説明員氏はじっと座っていて退屈だったらしく、島津斉彬のこととか、べらべら説明をはじめました。

 

 せっかくですから、他にも隼人のこととか、地方知行制(大名が自分の領地をさらに家臣に領地として分け与える制度)、郷士(江戸時代の兵農分離の例外として存在した武士と農民の中間的存在)や麓集落(その人たちが住んだ集落。薩摩はよその藩と違って武士が農村にも住んでいたのです)など薩摩藩関ヶ原後も江戸幕府が手を付けられなかったために残った独特な制度についても説明してもらいたかったのですが、何しろ時間つぶしに入った所で思いがけず時間を食ってしまい、そこまで質問をすることは出来ませんでした。残念。

 

 説明員氏が「立派な建物でしょう」というので、「時間がなくて2階3階まで十分見られませんでした」といい、礼をいって、受付嬢から荷物を受け取り、出てきました。出るときも「ありがとうございました」とお客扱い。妙に愛想のいい博物館です。

 

 思うに、立派な建物を造ったものの見学者が入らず、批判を避けるために愛想良くして入館者を増やそうという魂胆ではないか、という風に推測しましたが、どうでしょうか?説明員氏を見て、一日中座ってたまに私みたいな物好きの質問に答えてればいいんだから、歴史博物館の仕事はいいな、と思ったのですが、以前、公立博物館にも入場者のノルマがあるとか聞いたこともありますし、案外大変なのかも知れません。

 

 さて、市電試乗が済んでいません。急いで鹿児島駅(西ではない方)から市電に乗りました。何とテレビつき。繁華街のいづろ通りというところで乗り換え。ここに山形屋という地元百貨店があるのですが、この建物が地方百貨店では珍しい古風で趣のある建物です。前にテレビか何かで見て知っていたのですが、ちょっと覗いてみたくなりました。でも時間がないので断念。

 

 鹿児島の町を見て気づいたのですが、この町は大正や昭和初期に建てられた風の公共施設らしき近代建築物がずいぶん残っています。こういうものを大切に使っているのは素晴らしいなと感じました。

 

 西鹿児島に戻り(一応駅まで市電に乗りたかった)、タクシー鹿児島新港に向かいます。よくしゃべる運転手で、どこから来たかというので「北海道」というと、「この前北海道の客を案内したら感謝されて贈り物を送ってきた。私は北海道に縁がある」などといっていました。「今日来たのか」というので「そうですけど」というと、「もったいない」と繰り返します。まあ鹿児島の印象が思いがけず良かったので、もったいないなという気がしてきました。桜島の噴煙は夏にひどいそうです。

 

 港からは船に乗っていよいよ沖縄に行きますが、それは次回に。