写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

07  島づたいの船旅(2002年1月5日~6日)

 博物館で思いがけず時間を食ったので鹿児島新港についたのはもう17時30分近くだったと思いますが、まず窓口で手続きをします。古くさい待合室は案外人でいっぱいです。

 

 繁忙期で飛行機の料金が高く、沖縄までで行くことにしたのです。とはいっても、夏の苫小牧~大洗フェリーが所要時間約18時間で6400円なのに対し、こちらは所要約24時間で、同じ2等でも13200円。早割なら飛行機の方が安いのですが、買いそびれてしまいました。18時出航

 

 埠頭から直接階段を昇って中に入ります。中にはいるとエスカレーターがあったので豪華船か、と思いきや、この前の「さんふらわあ」と大して変わりません。大島運輸の「ニューあけぼの」という船です。この船は船会社名で分かるとおり、奄美大島などの島々に寄港しつつ那覇を目指す生活路線です。直行もあるのですが、こちらが毎日運航なのと、島に寄った方が面白いかと思い、これにしました。

 

 乗ってびっくり。何とロビーにまで畳を敷いて臨時の船室にしています。談話室やその他の部屋もみんな臨時船室になっています。繁忙期とはいえ、これにはびっくりしました。暇つぶしの場所がないのでどうなることかと思いました。客層はいろいろです。家族連れも、島の子が鹿児島に遊びに行った帰り風もあり、船で沖縄を目指す旅行客風もあり、といったところです。

 

 夏のフェリーは退屈でひたすら寝ていましたが、今度も多分そうなるだろうと思い、本でも買おうと思っていたのですが、ドタバタして買いそびれ、仕方なく売店で週刊誌と「月刊奄美」なるタブロイド新聞を買いました。食堂はまた営業時間が短く、空いてから行こうとしていたら危うく食べ損なうところでした。何を食べたか覚えていないのですが、船酔いしてはいけないので7~800円程度の軽い食事をしたはずです。

 

 しばらくテレビを見て、夜なので就寝時間です。混んでいるので両隣も客が来るのか、と思っていたら来ません。でも「名瀬(奄美大島)から乗る客がいるのでマットを2つ使わないで下さい」とのアナウンス。前回のように昼ずっと乗ったあと夜になるよりは、先に夜が来たほうが何となく寝やすいような気がしました。もっとも、熟睡したわけでもないです。

 

 早朝5:50頃奄美の名瀬寄港。アナウンスがあったので外を眺めてみましたが、まだ暗く、窓から街灯りが見える程度で、ウトウトしていました。

 

 夜が明けて、まだ寝ころんでいましたが、9:40徳之島の亀徳港寄港。そこで寒いかな、と思いつつ、デッキに出て島の様子を眺めてみることにしました。どうやら奄美行きの客がロビーで寝かされていたらしく、ロビーの畳は片づけられていました。

 

 島に着くと、フォークリフトがコンテナの積み下ろしをします。はじめフォークリフトという言葉を思い出せず、「あれは何というんだっけ?」と考えていましたが、何台ものフォークリフトが船に入って実に要領よくコンテナを運び出していきます。見飽きない光景でした。野菜の箱の中には「青森長いも」と書いたものもあり、はるばるよくきたもんだ、と思わされます。

 

 港は整備されていて、新しそうな待合室もあり、小さな湾をまたぐ橋も架かっています。消防車が出初め式のつもりなのか、パレードしていました。街の中心部に目をやると、さすが地元だけあって徳洲会病院の建物が目立ちます。

 

 2~30分ほど停泊したでしょうか、出航したので船室に戻ります。今度は12:00頃沖永良部島和泊港に寄港します。ここは徳之島より小さく、こじんまりしています。待合室は建築中。でもちゃんとした港でした。ここでも車やフォークリフトが船から出入りするのを眺めます。こんな島で暮らすなんて物好きだなあ、なんて思いますが、先日テレビを見たところ、この島が日本一出生率が高いそうです。丘の上に集落があった気がするのですが、次の与論島と印象が混ざっている部分があるので、ここだったか、確証がないです。

 

 この年末に昭和38年の紅白歌合戦を衛生放送で見たのですが、この年は「南国歌謡ブーム」だったそうで、何人かの歌手が奄美大島などこの辺の島を舞台にした「島のブルース」とか、「島育ち」「永良部百合の花」なんて歌を歌っていました。このころは沖縄復帰前なので、奄美とかがあこがれだったようです。今はほとんど忘れ去られている感が強いですが。だいたい今の演歌は津軽か大阪が舞台のものばかりですからね。

 

 コンテナに積まれた生活物資を運び出すと、積むものもほとんどなく、出航。この辺で昼食をとったはずですが印象うすいです。

 

 次に与論島に向かいます。しばらく沖永良部島がまだ見えています。船室に戻り、14:00頃与論到着。ここまでは鹿児島県。だんだん島が小さくなります。確か、こちらは待合室もない小さな港で、何かを焼いていたのか、煙が昇っていたと思います。

 

 全体的に沖永良部より全体的にもう一段簡素です。フォークリフトから積み下ろされる荷物も心なしか少なく、積み込む荷物はありません。珊瑚礁が囲んでいる島のようですので、どんな風かと思いましたが、よく分かりませんでした。でも海の水はとてもきれいです。徳之島では曇って雨が降りそうでしたが、だんだん回復し、ここでは快晴。寒くもなく、以後デッキ(木の甲板だった)に座って景色を眺めることにしました。ちなみにずっと揺れはなかったです。

 

 学生風の人、おじさん、なぜかインド人ぽい女性などが同じようにデッキにたたずんで小さくなる与論島を見つめています。反対を見るといよいよ沖縄本島の辺戸岬が見えてきました。28キロしか離れていないとか。