レコード大賞、って今日ですよね。もうほとんどテレビを見なくなった私ですが、紅白とこの番組だけは、今年も惰性で見ることになるでしょう。
他の賞番組のほとんどが昭和とともに消えたのに対し、いつまでもズルズルと続けているな、という感じです。また日の当たる日が来るかも知れない、その日まで続けよう、と考えて続けているような気がしますが、平成の30年間、日が当たることはなかったように思います。令和になっても続けるのでしょうか?
私のとってこの番組を見ることはもはや「今年はこんな歌が流行ったのか」を確認するためのものとなっていました。近年はさらに「こんな歌があったのか」に変化しつつあります。ダラダラと4時間ぐらいやっているので、きちんと見ることもなく、ただつけているだけ、という感じになります。まあ、ダラダラ続けているので、普段テレビを見なくなった私のような者を「年末ぐらいテレビでも見るか」と引きつける効果はあるのでしょうが、そういう人は少数派でしょう。
この番組の全盛期は、1970年代でしょう。特に1976年から78年あたり。
今この番組を見返すと、「格調の高さ」を感じます。歌謡大賞以下の他の賞番組とは一線を画した重みを感じるのです。帝国劇場という会場、「レコード大賞発表音楽会」という開会のアナウンス。
当時のTBSには、他の民放局はもちろん、NHKの番組にも見られないこうした格調の高さがありました。今のテレビ番組には、こうした格調の高さが感じられません。もしかしたら、今のテレビにいちばん欠けているもの、それは単なるゴージャスさではなく、この「格調の高さ」ではないでしょうか?
その頂点が1977年で、大賞の沢田研二は過去の実績、この年の「勝手にしやがれ」の大ヒットぶりから見て文句なく、前年問題を起こしてからの復帰、というストーリー性もありました。この夏の参院選で司会の高橋圭三氏が参議院議員に当選し、「総合司会」という肩書きとともに、権威が高まった感も一層強くなりました。
また、この年のノミネート曲を決定する「速報 日本レコード大賞」という番組では、一対一で投票をするというスタイルで非常に面白かったのを覚えています。このときが確か最高視聴率をたたき出した年で、「レコード大賞」がピークだった年でしょう。もう43年前です。
翌1978年にピンクレディーが大賞だったとき、今から見ると本命で適切な授賞だったと思われるのですが、当時、批判があったように記憶しています。その批判は「大賞」の重みにそぐわない、というものだったと思います。
ピンクレディーに対する、高橋圭三氏のお祝いの言葉が今でも語りぐさになっていますが、それに救われた感がありました。しかし、参議院議員になってからの高橋圭三氏は次第に歌謡界に疎くなったという印象が感じられるようにもなっていきました。
考えてみれば、1972年の大賞、ちあきなおみ「喝采」や、最優秀歌唱賞、和田アキ子「あの鐘を鳴らすのはあなた」、1974年最優秀新人賞の麻生よう子「逃避行」などは意外な受賞と思われたようですが、今考えてみれば、番組の格調の高さを考慮して、ドラマチックな歌の方がふさわしい、という演出意図があったのかも、と思ってしまいます。
当時の若手歌手はレコード大賞ではしっとりとしたバラード曲を歌い、紅白では前半に出場し、アップテンポな曲で盛り上げる、というパターンもあったように思います。例えば1977年の岩崎宏美はレコード大賞ではしっとりとした「思秋期」、紅白ではアップテンポの「悲恋白書」を歌っています。
ピンクレディーの場合、レコード大賞の「格式」にふさわしいバラード調のヒット曲がなかったので、大賞受賞に対する批判につながったのかも知れません。
1978年といえば、この年、同じTBS系で「ザ・ベストテン」が始まったことも、レコード大賞の権威を揺るがせることになりました。毎週ランキング形式で歌の人気順位がわかるのですから、レコード大賞の審査結果がベストテンでの人気と異なる場合、違和感を感じるようになってきたのです。
その翌年の1979年は本命と思われていた西城秀樹の「ヤングマン」が外国曲である、ということで外され、ジュディ・オングの「魅せられて」が大逆転。これはこれで面白かったのですが、選考の仕方に疑問が生じました。
その翌年1980年は「五八戦争」といわれた五木ひろしと八代亜紀の争いで本命の八代亜紀の受賞。このとき週刊誌には八代陣営の審査員への攻勢が話題となり、この頃からちょっとしらけたムードが漂いだした感もありました。ちなみに演歌の五八戦争、のほか、「ニューミュージック」の五輪真弓と八神純子も大ヒットを出して「もうひとつの五八戦争」などとも言われたものです。
私にとって、この頃まではどちらかと言えば大晦日の夜の「お楽しみ」だったのは最優秀新人賞や大賞が誰か、と緊張して見守る「レコード大賞」の方だったのですが、1980年代に入ると、紅白の方がメインのお楽しみ、レコード大賞はその前哨戦、という位置づけに変化していった気がします。
1981年以降もあいかわらず見ていましたが、高橋圭三氏が芸能界に疎くなってきたようで司会に精彩を欠くようになり、賞レースそのものも一時の面白みは薄れてきました。1983年だったと思いますが、30分延長しましたものの、少しだれてしまった感がありました。高橋氏が参院選に落選した翌年の1984年は司会者が交代し、1985年からは日本武道館に会場が移りましたが、こうした改革はかえってレコード大賞の重みや格式を失わせてしまったようにも思ったものです。
1986年以降は惰性で見ていた、という感じで、紅白もそうですが、視聴率的にもパッとしなくなってきました。紅白とともに昭和の終わりと同時に終わる、というやり方もあったのでしょうが、継続しました。
平成以後、ながく紅白と同時間帯に重なり、私は紅白メイン、賞の発表の前後だけレコード大賞を見るようになりました。面倒だったのですが、数年前からレコード大賞が30日に移り、再び全部見るようになったものの、やはり、「見る」というよりは「つけっぱなし」という感じです。
やはり私にとって「レコード大賞」は1970年代のもの、という感が強いのです。今年のヒット曲なんて1~2曲しか知りません。それでもなんとなく今日の夜も惰性でみてしまうのかな、なんて思います。