写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

18 「復讐の世紀」に

 近頃、なんだかなあ、おやおや、と思うことがいろいろあります。韓国が慰安婦をやたらにつくったり、アメリカでは「Black Lives Matter」の問題が起き、その流れで歴史上の人物の銅像が撤去され、フランスではムスリムムハンマドの風刺画を扱った教師を殺害したり、中国の膨張主義とも言える進出の動き。

 

 そして日本国内でのフェミニズムに関する議論を見るたび、男性である私は「おやおや」と思ってしまうのです。

 

 これは一体何なのだろう、と現時点での考えをまとめておきます。

 

 20世紀までの数世紀、世界は欧米が主導していました。非白人系では日本だけが先進国化していました。ですが20世紀末から、アジアの韓国・中国が躍進し、これに東南アジア、インドなどが続いています。人口面でも先進国の人口の伸びが低下している一方、発展途上国は一時よりは落ち着いてきたのかも知れませんが、それでも「人口爆発」といえる様相です。移民を受け入れている国では彼らが無視できない勢力を築きつつあります。

 

 また、20世紀の普遍的価値として、「平等」があります。19世紀~20世紀前半までは一部の国でしか認められていない価値観でしたが、20世紀後半以後、普遍的な価値として広く認められるようになりました。この結果、男女・人種などの差別問題の是正が課題となりました。

 

 今、我々が直面しているのは、こうして過去に抑圧されている人々が力を持ちつつある状況で、過去数世紀にわたる抑圧の「復讐」があちこちで行われるようになったのではないか、ということです。今あちこちで見られている現象は、日本に対する韓国の、白人に対する黒人の、男性に対する女性の、キリスト教無神論に対するイスラームの、「復讐」

 

 「復讐」という言葉は語弊があると、お考えの人もいるでしょう。ですがこれまで既得権を持っていた人たちが身構えてしまっていることも確かだと思います。それが極端な形で表れてしまったのが「トランプ現象」であり、「ヘイトスピーチ」であるのではないかと考えます。

 

 抑圧されてきた人々が権利を、名誉を取り戻すために運動することはごもっともだと思いますし、反対する気はありません。ですが、過激化しないようにしてもらいたいとは思います。既得権を得ていた人々を引きずり下ろすのではなく、抑圧されていた人々を引きあげる、「復讐」ではなく「共存」を目指す、という形で運動を展開してほしい、と思うのです。そうしないと既得権を得てきた人々はますますかたくなになってしまい、反動を生むことになってしまうでしょう。

 

 リベラル派の人たちはそんな言葉は使わないし、保守派の人はそれを認めたくないでしょうが、21世紀は「復讐の世紀」になりそうな気がしています。