写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

19  差別から憎悪へ<その1>

 かつて韓国は、日本よりかなり遅れた国でした。何度か「24年遅れで日本の後追いをしている」と書いたことがありますが、日本が30年間停滞している間に追いつかれてしまった感があります。

 

 1988年に韓国に初めて行ったとき、知り合った若い人たちは自分と比べて劣っているとはまったく思えませんでした。接した方々が優秀な方だったのもあるでしょうが、むしろ自分より優れている、と思う方ばかりでした。

 

 30年たって、あの方達は頑張ったのでしょう。韓国は日本に追いつきました。そして日本人の私も自分なりに頑張ったつもりだったのですが、結果的には全然ダメでした。私個人の問題もありますが、私たち世代そのものがダメだったのかも知れません。今の若い人たちはどうだかわかりませんが、日本の若い世代と似ているように思います。違うのは男子に兵役があるかどうかの違いだけでしょう。

 

 さて、昔は日本と韓国にかなりの格差があったため、「朝鮮人(韓国人)」差別がありました。私の身の回りでも差別的なことを言う人がいました。

 

 しかし今の韓国に対する「ヘイトスピーチ」は、追いつかれた焦燥感や恐れ、また、韓国側の倨傲に対する嫌悪感から発生するものです。私は「親韓」を自認していますが、それでも報道される韓国の一連の政治的・社会的な動きは、私のような者も含めて、日本側を刺激するのに十分なものです。

 

 ヘイトスピーチを擁護する気は毛頭ありませんし、特に在日韓国・朝鮮人に対するものはかなり的外れな攻撃であると思っています。しかしこれを「差別」として規制の対象にすることには違和感を感じています。

 

 「差別」とは上下関係から生まれるもので、「憎悪」は対等、下手をすると下から上を見る視線です。

 

 「ヘイト」とは「憎悪」と訳されるもので、「差別」とはややニュアンスが違うように思います。「ヘイトスピーチ」を規制しようとする人たちもまた「日本が上、韓国が下」という「上から目線」で「弱者救済」を図ろうとしているのではないでしょうか?

 

 もちろん、嫌な気持ちになる在日の人たちは「弱者」で「救済」されるべき対象でしょう。しかし同時に、今広がっている「ヘイト」の原因は韓国側にもあり、この根を断たないと、ヘイトスピーチはしぶとく根を張り、広がりを見せてしまうと思います。

 

 実は韓国において今や「日本」は最も安全な攻撃対象です。北朝鮮アメリカ・中国のような直接的な脅威、あるいは依存対象とはなっていません。また、「植民地支配清算」という大義名分があり、これに強く反論する人は韓国内ではあまりいないからです。