写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

14  韓国短期留学7日目~土曜日にメル友氏とドライブ&食事(2003年1月11日)

 韓国旅行記、あと2日です。7日目 2003年1月11日(土)

 今日はメル友氏がドライブに連れて行ってくれることになりました。朝10時の約束です。ところが彼と一緒に来るものと思っていたガールフレンド嬢がいません。どうやら火曜日に会った後、けんかしたらしく、それで連絡も一日遅れてしまったらしいのです。「まあ男同士で行きましょう」と慰めて(?)行きます。

 

 ソウルの南、水原という町に行きます。ソウルからは40kmほどの町です。高速で行きます。高速を降りたところまでは順調でしたが、実は彼、水原に来たのは初めてとのこと。どこに駐車場があるのかわからず、相当ウロウロしました。結局あきらめて路上駐車します。

 

 水原は李朝時代に遷都が計画されたものの、結局実行されずじまいに終わった城郭都市で、旧市街が城壁に囲まれています。城壁に登って歩きます。ところがしばらくして彼が「しんどい」とのことで途中で戻ってきました。彼は元気そうですが、病み上がりだということを忘れていました。

 

 昼食。水原はカルビが名物なのですが、適当に入った食堂になかったのでサムギョプサルという豚のバラ肉の焼肉です。彼がテンジャンチゲというみそ鍋も追加してずいぶん食べてしまいました。味は良いです。青唐辛子なんかが出てきて、それをみそにつけて食べるそうです。もっとも彼は嫌いといっていました。

 

 途中、トイレに立ったのですが、正座で足がしびれて足がもつれてしまい、みっともないことになってしまいました。店の人も驚いてやってきました。「これが日本式ですから」といって正座をしていたのですが、最近正座するとどうも駄目です。正座どころか胡坐でも足がしびれることがあります。

 

 韓国では通常割り勘しないのですが、結構な金額になってしまったせいか、割り勘にしました。

 

 次に韓国民俗村に行きます。韓国語でいろいろ話をするのですが、政治の話は何とかわかります。彼は盧武鉉氏の熱心な支持者だとか。でもたわいのない話はわかりにくいです。彼は日本語を思い出してきたのか、日本語での会話が多くなります。が、彼は運転しながら外国語で話をするわけで、危ない危ない。人をひきそうになったり、道を間違えたり、信号を間違えたり、ひやひやしました。「しばらく話はやめましょう」ということになったのですが、でもそれも何だか退屈だし、結局また話しながら民俗村につきましたが、予定よりだいぶ遅れてしまいました。

 

 民俗村は韓国の伝統家屋を集めたテーマパークです。彼は結構こういうことに詳しいので、説明は大変参考になりました。伝統芸能を見せる広場でじいさんが綱渡りをしていましたが、名人芸です。そのあと、出店でピンデトクという彼お勧めのお好み焼きみたいなものを食べましたが、これもおいしかったです。

 

 実はこの日、夕方に速達郵便を出しておいたもうひとりのメル友と会うことになっていたので、5時に帰らなければいけません。彼と会うのは6時ですが、余裕を持ってドライブの彼には「5時までに帰らなければいけない」と伝えておいたのです。ところが帰りの高速が混みまくり。韓国の道路は概して広く、この高速も4車線ですが、渋滞で全然進みません。5時も過ぎて6時も過ぎて・・・困りました。でも運転手の彼が携帯を持っていたのでそれを借りてもうひとりの彼に電話。こういう時やはり携帯は便利ですね。

 

 運転手の彼は歴史好きで、戦国時代の話になりましたが、詳しいので舌を巻いてしまいました。しかし自分でも言うとおり「方向音痴」で、ホテルに着く直前にまた道を間違え、仕方ないので私が道案内をする羽目に。まさかソウルで道案内をするとは。でも良い人でした。

 

 今度はもう一人のメル友氏です。しばらく音信不通だったのですが、彼は前の会社から転職していました。ですが書留の威力か、前の会社の先輩がFAXで私の手紙を送ってくれたそうです。外資系の会社に転職したので忙しい上に英語の勉強に追われ、日本語の勉強はしていないとのこと。日本語は単語程度しか出てこないので、韓国語中心の会話になります。

 

 プルコギという焼肉とすき焼きの中間みたいなものを食べますが、彼もいい店を知らず、近所の店に入ったのでちょっといまいち。茶店に移って会話。彼は英語が堪能そうなので、韓国語に詰まったら英語で話されそうで、必死で韓国語を操ります。でも結局2時間近く会話が持ったのですから、良かったです。彼も良い人でした。