写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

37  ナミ「悲しい絆」(슬픈 인연)

 このところまた韓国歌謡の記事を書いています。今回はこのブログのコメント欄に「tsuhyunmomo」さんが書いてくださったことをもとにした記事です。ちょっとびっくりしたので記事にしておきます。

 

 以前、キム・ヒョンチョルという人の「春川へ行く汽車」という歌が気に入った、という記事を書いたことがあります。韓国のラジオから流れてきた曲をyoutubeで検索して突き止めた、という内容でした。

 

 その曲をyoutubeで何度も聞いたたわけですが、横に「あなたへのおすすめ」的な関連動画の紹介があります。この曲の場合は、やはり1980年代のバラード調韓国歌謡がずらっと並びます。いろいろ聞いていたのですが、その中の一曲にナミ(나미=羅美)という人の「悲しい絆」(슬픈 인연)という歌がありました。この曲も気に入って何度も聞いていたのでした。

 

 1985年の大ヒット曲だそうですが、当時私には覚えがありませんでした。ただ、ナミ、という歌手は知っていて、アップテンポの「ぐるぐる」(빙글빙글)という歌がヒットしていたことは覚えています。当時の韓国人気歌手を紹介する記事に載っていたこともあり、顔も見たことがあります。ですからこういうバラード調のヒット曲もあったのか、という程度の認識でした。

 

 ところがこれが宇崎竜童作曲の「絆」という曲だと指摘されてびっくりでした。youtubeで検索すると塚田三喜夫という人の歌唱で出てきます。知る人ぞ知る「五月のバラ」を歌った人ですね。さらに調べると、もともとは1984年に橋幸夫が歌った曲だそうです。

 

 これは「似ている」のではなくて同曲です。当時は日本の曲をカバーすることは認められていないはずでしたから、少なくとも韓国側の当局には気づかれなかったのでしょう。私も先日知ったばかりで、日本ではヒットしなかったはずですから、気づかれなかったのでしょう。聞き比べると、韓国語版の方が聞き慣れているので、日本語版の方が歌詞の付け方がぎこちないように感じてしまいます。

 

 それでは日本側では韓国でこの歌がつくられ、ヒットしたことを知っていたのでしょうか?ちゃんと許諾を得たのか、全くのパクリか、黙認か?

 

 ネット検索でコメントや各種ブログを見ると、パクリ説日韓共同プロジェクト説とがありました。宇崎竜童名義では韓国で発売できないので、韓国人作曲名義で出したのだという説です。その後日本文化開放後に宇崎竜童名義にしたという話でした。楽譜を検索すると、宇崎竜童作曲となっているものと、韓国人のキム・ミョンゴン名義になっているものとがあります。

 

 どちらが正しいのか、その辺の真相まではさっぱりわかりません。この歌のケースに関しては、私は共同プロジェクト説の方に信憑性があると思ったのですが、このあたりの裏事情を知っている方がいらっしゃれば是非教えていただきたいものです。宇崎竜童氏ご本人に確かめるのがいちばんなのでしょうが、さすがにそこまではなあ、と思います。

 

 パクリなのか、そういう関係ではないのか、まではわかりませんが、少なくとも私はこれを糾弾したいとは思いません。パクリにしても、日本人作曲であることを公表できなかったのだ、としても、当時の日本側の韓国への無関心と、韓国側の政治的・文化的制約が生み出した産物なのでしょう。その結果、韓国は日本のパラレルワールド的世界を生み出し、それが私の興味関心を引きつけたのです。そして歌そのものも015B・IUと歌い継がれているのですね。 

 

 日韓の間にはそういう虚々実々の関係があり、それが複雑に絡み合い、今に至る「しがらみ」ともなっています。韓国側はこういう過去も明らかになれば「清算」したいと言い出すかも知れませんし、日本側も怒り出すかも知れません。ですが、そういう過去があったのだ、と興味深くお互い分かち合う、という関係になればいいと思います。この曲も韓国歌謡史の発展にゆがんだ形であったかも知れないけれど寄与したはずです。曲の題名ではありませんが、かつて「悲しい絆」、直訳では「因縁」ですが、パクリであったとしても、表に出せない裏プロジェクトであったとしても、そういうことがあった関係なのだ、と思ってもらえないかなあ、と思うのです。日韓裏面史を見た思いでした。

 

www.youtube.com

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