写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

10  岡山の私鉄の思い出

 久々に鉄道の話を書きます。

 

 私は小学生のとき3年間岡山市に住んでいました。短期間だったのですが、小学校中学年の3年、というのは、なかなか微妙な時期です。自分ひとりであちこち行く年頃でもないですし、親は鉄道に関心がないのでわざわざ連れて行ってはくれませんでした。先日掲載したように、岡山電気軌道清輝橋線に買い物に行くついでに一度乗せもらっただけです。

 

 岡山で最初に住んだマンション、というよりアパートに近かったのですが、そこから少し南、子供にとってはかなりの距離だったのですが、そこを当時「岡山臨港鉄道」という私鉄が通っていました。車で買い物に連れて行かれるとき、踏切を通ることがありましたが、列車の本数が少なく、列車に遭遇することはなかったように思います。

 

 ただ、一度自転車でその線路の近くまで行ってみたことがあります。そのときに凸型のディーゼル機関車が貨物を牽いていました。その機関車が青系の色だったように記憶しています。国鉄の赤色ではなかったので印象に残っています。

 

 この鉄道のディーゼルカーは古くさい流線型をしていて、どこかで実際に見たのか、それとも「私鉄大百科」の類の写真で見ただけだったのか、定かではありませんが、いずれにせよ、せっかく比較的近所を走っていたのだから、一度乗ってみたかったな、という後悔の念を持っています。

 

 ひとり旅ができるようになってからも機会をうかがっていたのですが、岡山を離れていましたし、なかなか旅程に組み込めないまま、廃止されてしまいました。

 

 もうひとつ思い入れがあるのが下津井電鉄です。県南の児島から下津井まで走っていました。まだ瀬戸大橋の工事が始まる前のことですが、こちらも子供の頃「鷲羽山ハイランド」という遊園地があり、ここに何度か連れてもらった際、入口近くでやたら線路の幅が狭いナローゲージの踏切を横切るのです。遊園地よりこっちの方が気になっていました。

 

 私が電車好きなので、親戚のおばさんが車内から撮ってくれた写真が先日「さよなら80系」の記念乗車券を探した際、一緒に出てきましたが、車内から撮った写真なので、出来が悪いものでした。こちらも実際に電車を見たのは1~2回ではなかったかと思います。

 

 この路線は国鉄との連絡がなく、完全に孤立した珍しい路線でした。不思議に思っていましたが、通っていた小学校の教室かどこかに岡山県の地図が貼ってあり、それが多分1971年か72年ぐらいのもので、下津井電鉄宇野線の「茶屋町」というところまで路線があり、国鉄とつながっていました。さらに笠岡から井原(当時井原市は「市」なのに国鉄駅がない珍しい町でした)までの井笠鉄道も記載されていました。

 

 ほかには同和鉱業の片上鉄道線(当時はまだ営業中でしたが、これも乗る機会はなく廃止されました)、今でも現役の水島臨海鉄道(これもいまだに未乗です)のほか、宇野駅から私鉄が伸びているのが記載されていました。これは何の情報もなく、ずっと不思議に思っていましたが、大人になってから何かの本で玉野市営鉄道」なるものがあったことを知り、ようやく謎が解けました。宇野地区と玉地区を結んでいて、市営しては珍しく、路面電車ではなく、普通の鉄道だったそうです。

 

 余談ですが、子供の頃、駅が「宇野」なのになぜ「玉野市」なのかこれまた不思議でしたが、「宇野」地区と「玉」地区で玉野市になっていたのですね。岡山県にはそういう「合成地名」がいくつかあります。また、小学校の時には「市」や「県」レベルの地理を習うのですが、そこで後楽園から出ていた西大寺鉄道」や、早くに廃止された岡山市電番町線」の存在も知りました。

 

 その後引っ越して岡山を離れ、いつかは、と思っていたものの、岡山臨港鉄道も、下津井電鉄にも、片上鉄道にも乗る機会はなく、廃止されてしまいました。岡山臨港鉄道廃止の話は、冬休みだったと思うのですが、朝にやっているNHKラジオの「各地の話題」的な番組で偶然聞いたのでショックでした。ちなみに1984年のことだったそうです。

 

 下津井電鉄は瀬戸大橋開業に向けて新型車を入れたようですが、それがかえって重荷になったようで、1991年に廃止。瀬戸大橋は何度か通ったのですが、下津井電鉄にもついでに乗ろうと思えば乗れたので、後悔しています。新しいものと古いもののどちらを優先するか、ということになった場合、古いものを優先すべきだ、という価値観が私のなかに生まれたのは、この経験があったからかも知れません。

 

 今回は「乗れなかった」という思い出になってしまいました。こういう思い出は悔しいですね。