写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

10  全斗煥元大統領が亡くなりました

  韓国の全斗煥元大統領が亡くなりました。90歳だったとか。私が韓国に興味を持ち始めたのは全斗煥政権の頃でしたから、感慨深いものがあります。彼が政権を掌握したのは、もう40年以上も前なのですね。

 

 全斗煥氏は、1979年の朴正熙大統領暗殺事件の後の混乱の中、クーデターで実権を握り、1980年の光州事件を経て、1987年の民主化まで、事実上の軍事政権、独裁政権を確立していたたわけです。個人的な性格や政策志向の面では朴政権より明るかったという評価もありますが、それでも自由のない社会だったと思います。

 

 「明るかった」というのは、サブカルチャーには抑圧的だった朴政権時代と異なり、かなり開放的になったようでした。テレビでは、おそらく日本の番組を模した「のど自慢」や「歌謡トップテン」も始まりましたが、完全に自由な社会ではありませんから、いろいろ違いがあったものです。

 

 この時代、韓国歌謡に興味を持ち始めた私は、「ああ大韓民国」とか、「栄光の太極旗」などという「愛国歌謡」がヒットチャートの上位を占め、街中で夕方になると国歌が流れて人が立ち止まる、などと言う話を聞いて、どんな国なのだろう、と興味津々だったものでした。

 

 当の韓国人にとっては思い出したくない暗黒時代だったのかも知れませんが、日本との違いに興味を持ったものです。

 

 独裁政権ではありましたが、公式訪日を果たしましたし、ソウルオリンピックに向けて高度経済成長を果たし、日本人一般にとっても韓国のイメージを変え始めたのがこの全斗煥時代だったと思います。ただ、サブカルチャーの面ではまだまだマニアックな人々だけが注目している存在でした。

 

   韓国現代史を眺めて、全斗煥氏があの時点でクーデターを起こして軍事政権を継続する必然性があったのか、というと疑問に思わざるを得ません。朴大統領が殺されなかったら、史実と同じように80年代後半に朴政権が民主化運動で退陣し、民主化が果たされたようにも思いますし、史実通り、朴大統領が殺されたとしても、例えば金鍾泌氏あたりが後継者になっていれば、韓国現代史はもっとスムーズに事が運んだようにも思います。

 

 「歴史のイフ」を考えると、この政権が登場した、という史実よりも、もっと良い選択肢が韓国現代史にはあったようにも感じます。ただ、ベトナム戦争終結から5年ほど、新冷戦が始まりかけた時期ですし、80年代後半ならばともかく、70年代末~80年代初盤の国際情勢の中で、全斗煥氏には国家存立に対する危機感があったのでしょう。

 

 韓国の西大門の監獄跡の博物館に行ったとき、展示の仕方を見て、韓国の進歩派勢力にとって、日本の植民地支配と朴・全の両軍事政権は一続きのものと捉えられているのではないか、ということを感じました。日本にも執拗なまでに歴史問題を敵視し続けている韓国ですが、全斗煥氏に対しても「謝罪のないまま死んでしまった」という声が聞こえました。

 

 この政権の時代、「先進祖国の創造」とか、「克日」ということが言われていました。前者はあれから40年を経て十分達成できたと思いますが、後者は韓国側に感情の整理が十分できていないため、まだ達成できていないのかと思います。同様に、軍事政権に対しても、感情の整理ができていないのでしょう。

 

 日本の支配と同様、軍事政権時代も「近代化をもたらした負の遺産として、韓国人は問い詰め続けることになるのでしょうか?