写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

21  孤独感と疎外感

  「世界一孤独な日本のおじさん」といわれることがあります。そういえば私も、独り身で、友人知人も極めて少ないし、典型的な「孤独なおじさん」です。昨日の記事ではこちらが覚えていない知人が意外といる、ということでしたが、こういう人ではいざというとき力になってはくれないでしょう。

 

 「孤独」がらみの記事がネットなどで配信されるのを見かけますが。「孤独」はこのところ社会問題として語られているし、イギリスに続いて日本でも「孤独担当大臣」とやらができたそうなので、私もその対策の範疇に入ってしまうのかな、と思ってしまいます。

 

 ただ、今のところ、私個人に関しては、孤独で寂しい、孤独から脱したい、という感情を持つことはほとんどありません。全くない、といってもいいくらいです。今の自分の立ち位置は自分で選んだ部分もあるし、環境的にそうならざるを得なかった、というところもあるのですが、こうしてブログをやって、少ないながらもコメントを書いてくださったり、「はてなスター」を押してくださる方のブログを訪問するだけで、結構な時間がかかり、「孤独で寂しい」どころではなく、応接に忙しいくらいです。

 

 私が主体的に、というか、そこまで立派なものではないのですが、「孤独」を選んでいるところがあるのは、それ以上に「疎外感」が怖いのだと思います。ひとりで家にいても全然寂しいと思ったことはありませんが、他人がワイワイやっているところでそれになじめないときに、「孤独で寂しい」と感じます。孤独感、というより「疎外感」なのですね。

 

 私は内向的ですし、非社交的です。それと偏屈ですし、一方でこの前書いたようにHSPのようなところもありますから、宴席やイベントと言った場面が居たたまれないのです。他の人と会話が弾みませんし、黙っていたら聞きたくないことが聞こえてきます。そしてひとりで傷ついて帰ってくることが多いのです。

 

 あと苦手なのが、妙に盛り上がって「一致団結」とか、「一つになろう」とかやっている場面。私は他のみんなと一つになれない人なので、こういう場所には近づかないようにしていますが、ときどきそういうイベントに参加せざるを得なくなると、耐えがたい気分になります。

 

 私は、なかなか他人と共感的な関係を結べないのですね。共感的関係を構築する、というのは私にとってかなり難しいものです。共感するように人は極めて少ないし、一部で共感しても、その他の部分では違っている、当たり前なのかも知れませんが、そういう関係の中で人間関係を結んでいくのが辛いのです。

 

 こういう人ですから、しばしば嫌われますし、目の敵にされることすらあります。それならできるだけひとりでいたい、となるのですね。ひとりでいても全く他人と没交渉で生きていくことはできませんから、多少の関係をおっかなびっくり結ぶのですが、それでもちょっとしたことで傷ついて、疲れ果ててしまいます。

 

 こんなことをしていると、誰も頼る人がなくなります。特に老後、困ることが出てくる可能性が高いのですが、それは承知の上で、それでもなお、ひとりで過ごしたい、孤独であってもいいから安らかに過ごしたい、それは引きこもりなのかも知れないです。どこで職業生活・社会生活を終えるのかよくわかりませんが、以前にも書いたように「引きこもりが夢」ですね。

 

 疎外感を避けるために自分は孤独を選んでいるのだ、という気がします。