写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

92  公明党と創価学会

    統一教会「カルト」だから規制すべきだ、政界との癒着を正すべきだ、というような議論を見かけるようになりました。霊感商法や高額献金は確かに反社会的だと思いますが、昨日も書きましたが、それ以外の合同結婚式や儀式・イベントなどは「気味が悪い」とは思うものの、そうしたことをもって「カルト」とは言えないようにも思います。

 

 例えば、創価学会だって「カルト」だという人がいます。もっと言えば親鸞日蓮鎌倉時代は「カルト」だったのでしょう。宗教全体、あるいは宗教でなくとも、修養団体や思想団体など、外部から見れば薄気味悪い団体が結構あります。「カルト」はかなり厳密に定義する必要がありそうです。

 

 創価学会について言えば、昔はかなり強引な「折伏」をして信者を増やしていたそうですから、高度成長期に創価学会公明党の伸長をリアルに見ていたら、私も「怖い」と思ったでしょう。

 

 ですが創価学会公明党共産党も今は社会になじんで、かなり穏健化しているといえるのではないかと思います。とりあえず、この2つから強引な勧誘を受けた経験、不愉快なことをされた経験はありません。

 

 創価学会の場合、政界進出の目的はもともと日蓮正宗の国教化、国立戒壇の建立であったということをどこかで読んだ覚えがあります。ですがそれは政教分離の現憲法下では達成できるわけもなく、少なくとも表面的には「政教分離」し、その結果、当たり障りのない中道政治を標榜しています。

 

 公明党はそういう意味ではかなり以前から結党の目的を失い、選挙に勝つことで学会員の士気を上げ、結束を図ることが自己目的化しているようです。

 

 ときどき、地域振興券定額給付金とか、軽減税率とか、バラマキ的で効果の薄そうな景気対策自民党に提案し、自民党がお付き合いで実施するのは感心しませんが、その他のことでは自民党ブレーキ役になっているところもあり、一定の役割を果たしていると評価することもできるわけです。宗教右派に引っ張られないよう、バランサーになっているのですね。

 

 日蓮宗はもともとかなり激烈な教えで、それゆえここから生まれた新興宗教が多いのですが、創価学会の場合、池田大作氏の個人的な体験から来るものか、あるいは笹川良一氏などと同様の功名心からか、よくわかりませんが、かつての日蓮宗系の団体に見られた国粋主義的な要素は薄く、むしろ平和主義的な要素が強いですね。布教スタイルがかつてかなり戦闘的だったのとは対照的です。

 

 そういえば、先日、新聞に池田氏が「平和提言」をまとめた、というベタ記事を見かけました。池田氏が公式の場に姿を見せたのは10年ほど前が最後で、今はどういう状態なのかわかりません。少なくとも「平和提言」をまとめる力はなさそうです。そういうものをあえて新聞が隅っこに載せる、というのも、なにか新聞側に意図があってのことか、そこに闇を感じてしまいます。

 

 創価学会自体も高齢化で組織力が落ちているといわれますが、この前の選挙では底堅いな、ということを感じました。まだ日本の5~10%は創価学会公明党のシンパでしょう。

 

 池田氏が死去したら、創価学会もカリスマを失いますから、組織がもちこたえられるのか、その時公明党はどうなるのか、政権与党の一角ですから、気になるところではあります。