写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

94  日本共産党に思う(その1)

 公明党立憲民主党のことを書いたので、今度は共産党について思っていることを書きます。

 

 以前に時々登場する知人と「共産党」についての話になりました。

 

 知人は、「共産党護憲勢力」だと思っているようですし、マスコミもそう扱うことが多いのですが、私には、「護憲勢力」といいながらも本当に「護憲」なのか、本当は違うのではないか、という疑念があります。

 

 本音は違うところになあるのに、自分たちの思うような方向への改憲が現実的にはあり得ないから「護憲」といっているだけのように思えるのです。皆さんは共産党が本当に護憲勢力だと思いますか?

 

 「共産アレルギー」の多くの人が共産に疑念を抱いているのは、本当は「護憲」ではないのでは?ということだろうと思います。これまた現実性の薄いことではありますが、政権を取ったときに、天皇制や私有財産制、各種の自由権を本当に守るのだろうか、共産主義国家への突き進むおそれはないのだろうか、ということです。

 

 そもそも日本国憲法ができたときに反対したのは共産党だけでしたし、彼らのとっている民主集中制は我々が理解している一般的な民主主義のあり方とは異なります。

 

 共産党と連合を組むことに立憲民主党でさえ躊躇し、警戒的なのは、そうした部分への不信感に根ざすものでしょう。

 

 やはり名前のことは大きくて、「日本共産党」はまさかかつての「ソ連共産党」や現在の「中国共産党」のようにはならないだろうと思いつつも、でも名前が同じだし、と思います。名前や組織のあり方を変えて、抜本的な体質改善を図らないと一般には受け入れられないのではないでしょうか

 

 共産党原理主義であるところに存在価値がある部分もありますし、筋を通して他党とは連携しない、という行き方ひとつのやり方でしょう。筋の通し方、という面では、現実離れしていると思いつつも、共産党の言っていることが正しい、と思うこともないではありません。

 

 また、「赤旗」の取材網からくるのか、共産党が発する政治的情報がスクープとなって様々な問題が露呈する、ということがありますので、そういう情報源としての共産党のあり方には貴重なものがあります。

 

 「刺身のつま」的な存在価値はあると思うので、政権を狙わず、「政界のワサビ」的な存在で一貫するなら、それはそれでいいのかもしれません。

 

 かつては潤沢であったとされる共産党の財政状態ですが、このところ衆院選での全小選挙区に候補者を擁立するのが難しくなっているところに、立憲民主に恩を売ることができるということで話に乗ったのだと思います。

 

 前回衆院選で野党連合を仲介した市民連合というもの旧来的な左翼グループで、自分たちの行動がそれこそ市民に支持されていないことがわかっていないのではないでしょうか?「プロ市民」と揶揄されているような人たちなのだと思います。

 

 立憲民主党の支持者も高齢者が多いそうですが、共産党支持者も高齢者が多いそうです。確かによく駅で見かける共産党の運動をしている人たちは議員以外は70過ぎと思われる老人ばかりです。いわれてみればそうかなあ、と思いますがそういう面を見ると、「革命」などできるわけがないし、ジリ貧に陥っていくのかもしれません。 

 若い共産党員、候補者がいないわけではありませんが、今の時代に、彼らはどういう気持ちで共産党の活動をしているのでしょうかね?本気で社会主義共産主義をめざしているのか、それともそんなことまで考えていないのか、彼らの本音も聞いてみたいように思います。