写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

06  安倍氏は自民党総裁として偉大だったので、それにふさわしい送り方があったのでは… 

  安倍元首相の国葬が今月末に行われますが、依然として反対が多いですね。私も以前に「歴代首相と比べて安倍氏が突出して国葬に値するような功績があったのか、と考えたとき、疑問が残る」と書いて疑問を呈しました。合わせて「最長政権だったこと、それに悲劇的な亡くなり方をした、という点を考慮してもせいぜい佐藤栄作氏並みの「国民葬」ぐらいが落としどころではないか」ということも書いたわけです。

 

 2ヶ月ぐらい前の話ですが、基本的には今も考えは変わっていません。ただ、今回はその後思いついたことをまとめておきます。

 

 安倍晋三氏という政治家、総理大臣を長くやった割には「これ」といった業績が思い浮かびません。アベノミクス」もまだ評価しきれませんし、その他のことでも「これ」、というほどの業績が思い浮かばないのです。

 

 ところが安倍氏の「自民党総裁」としての業績は目を見張るものがあります。特に2度目の総裁就任後、野党だった自民党の政権奪還を成し遂げ、以後の選挙は連戦連勝、ライバルの民主党を自壊に追い込み、自民党盤石の体制を築いたのです。

 

 今、統一教会の問題が起きているにもかかわらず、野党が崩壊状態なので、岸田政権はともかくとしても、自民党政権そのものは揺らぐ気配がありません。これも「悪夢の民主党政権」と言い続けた安倍氏の功績でしょうか。

 

 そう考えると自民党総裁としては偉大ですし、自民党中興の祖」とも言っていいくらいの実績を上げました。そして選挙期間中、自民党候補の応援演説のさなかに撃たれ、亡くなったわけです。自民党のために自身を犠牲にした、といってもいいでしょう。

 

 一方で、この人、自民党総裁として盤石の体制を築いたために、逆に野党支持者からは目の敵にされていたわけです。それが毀誉褒貶の激しさに表れています。

 

 そう考えると、安倍氏に最もふさわしいのは、「大自民党葬」です。従来の「内閣・自民党合同葬」ではなく、自民党単独で、その分、歴代総裁以上に盛大に送ってやればいい。それが最もふさわしい葬儀の形態であるように思えてきました。

 

 今回の国葬に対する反発は、岸田首相が「自民党総裁」としての「偉大な」業績を「総理大臣」としての業績と取り違えてしまったという判断ミスから来たものだと思います。

 

 安倍氏総理大臣として偉大だったというよりも、自民党総裁として偉大だった、その点を踏まえて葬儀のあり方も検討すべきでした。今さら国葬を撤回するとは思えませんが、岸田首相、もう一度、考え直した方がいいのではないでしょうか?