写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

20  「無理をしない時代」へ 

   先日、「低気圧接近」とのことで、早々にJR北海道が夜間と翌朝の運休を決めてしまった、ということがありました。確かにこの日の夜、猛吹雪でしたが、朝になると風は強かったものの雪は小康状態でした。こんなに早々に運休を決めてしまって良かったのか、と疑問を感じました。

 

 そして、先日来、出張でJRに乗れず地下鉄とバスで帰ったという記事や、「安易」な運休に対して、昔のJRはこんなに運休しなかった、ということをJR北海道だいじょうぶか?」という記事で書いてきました。運行に大変苦労されていることは承知していますが、頻繁にJRを利用している者として、多少批判的な気持ちを持って書いたことは事実です。

 

 一方でこういう記事を読みました。話は飛びますが、九州でのことです。九州の高校では、朝課外という早朝講習をやっていて、その必要性が議論になっているようです。また、鹿児島の高校でコート禁止という校則があり、これが「ブラック校則」ではないか、ということで問題化している、というのです。

 

 私は山口県の高校でしたが、朝課外というのを受けたことがあります。朝の弱い私には大変でしたが、とにかく行きました。先生も大変だったでしょうね。それに校則は覚えていませんが、コートを着て学校に行った覚えがありません。西日本ですから、真冬でもコートを着る、という発想がなかったのでしょう。今住んでいる北海道では考えられないことです。

 

 取材を受けた学校側が「なぜそうなっているのかわからない」と答えたそうですが、おそらく、九州は真冬でもそう寒くなく、剣道や柔道の「寒稽古」、あるいは「早起きして寒さに耐える」とか、そういう精神主義的発想が背景にあったのではないかと思われます。これは小学校の頃の話ですが、休み時間に「耐寒訓練」と称してグラウンドを走らされたり、体操服が半袖のものしかなかったり、ということもありました。

 

 ところがそうした精神主義的発想を持った世代に代わり、今の私たちのような世代が社会の中枢を占めるようになると、そうした発想が忘れられ、なぜやっているかが学校側もわからなくなってしまったのでしょう。

 

 朝課外も、コート禁止の校則も、なくなっていくのでしょうが、その背景には精神主義に代わり、「無理をしない、させない」という発想が背景に生まれてきたことがあるのだと思われます。

 

 話は再びJR北海道に戻りますが、ここでも「無理をして運行しない」という発想が背景に生まれてきつつあるのかな、と思います。昔のような使命感を持って何がなんでも運行させる、という突貫精神は失われてきたのでしょう。その方が働く人にはやさしいです。

 

 世の中がブラックからホワイトへ、無理をしない社会に移行しつつある、という観点で眺めれば、確かにこれらのことは「改善」である、といえるのでしょう。私も高校生の立場、労働者の立場からすれば、そちらの方が望ましいと思います。

 

 ただ、その結果として不便になり、また、「甘い」社会になっていいのだろうか、精神主義的な部分も個人や国家社会の安定と成長のためには必要なのではないのか、ということも頭をよぎります。  

 

 北と南の2つの出来事から、このようなことを考えてしまいました。

 

 でも、私自身、かなりメンタルが弱く、グダグダした人間ですから、このような主張をすることは自分のことを棚に上げてしまうことになります。

 

 難しいところですね。