兵庫県斎藤知事の「まさか」の再選についてあれこれ考えを巡らせています。
まず想起されられるのは、「事実は何か?」ということです。これについては近現代史でよく問題になります。特に「慰安婦」問題や「南京大虐殺」について、全く相反するストーリーが語られたりします。私のこの問題に関する考えはとりあえずおいておきますが、今回の兵庫県知事のパワハラ問題と県民局長氏の死の原因について、これまた全く相反する情報が出てきているわけです。マスコミ派はパワハラはあり、県民局長氏はそれに抗議しての死であった、と語り、ネット派はパワハラは事実無根で、県民局長氏は不倫がバレることを恐れて死んだのだ、というストーリーを作っているようです。我々のような二次情報に依拠せざるを得ない場所にいる者には「リテラシー能力」を高めるように、といわれても、極めて難しい立場にあると思います。
次に、一時期の「斎藤バッシング」について、私もこれは確かに行き過ぎだ、と感じました。根掘り葉掘り針小棒大に報道していたように思います。だからといって私は斎藤氏のやったことが全く事実ではない、とは思わない立場ですが、ネットニュースで見るニュースソースがスポーツ新聞や週刊誌系のものが大半でした。これらのメディアが紙媒体だった頃はそう重視されないメディアでした。スポーツ新聞などスポーツや芸能記事が本業だったはずです。一方、朝日・読売といった大手メディアは相変わらずネットへの記事出稿は出し渋り気味です。一般新聞でネット記事の出稿に積極的なのは産経新聞ぐらいでしょうか。ネット時代になっているのですから、大手新聞社も積極的に記事を出し、それを収益化しないと、健全なジャーナリズムが崩壊してしまいます。大手メディアのあり方については書く機会を改めますが、今のままではネットがSNSの不確かな情報に振り回されてしまいます。
次に、報道にもかかわらず、一般人からすれば驚くような選挙結果が出た、ということで想起されられたのが、ロッキード事件の時の田中角栄元首相の当選でした。田中氏の場合、田舎で様々な公共事業を行い、それが生活の改善に役立っていた、という「実績」に対する「恩返し」として、頑迷なまでに地元の支持があったわけです。ただ、今度の斎藤氏の場合は、都市部での風のような支持で、その点では田中氏の場合とは大きく異なっています。
すると、自民党総裁選の時に指摘したことですが、都市部における「右翼革新」のムーブメントの一環かもしれない、と思うようになりました。この「右翼革新」勢力、自分たちを「保守」と認識しているようですが、私の見るところ、現状打破を求める「革新」勢力です。自民党で高市早苗氏を支持した勢力、あるいは参政党や日本保守党といった勢力、そして以前からの大阪における維新の会、さらに、これらとはかなりあり方が違い、ふざけているのでは、と思われるNHK党、これらはまだバラバラの勢力でまとまりがありませんし、相互に対立も抱えているようですが、単一の争点となった場合、「改革を止めるな」「既得権益の打破」「マスコミ不信」「パワハラ容認」といった言辞が渾然一体となってうねりのような大きな動きを生み出した、とも言えるのではないかと思います。
都市部は昔から「風」のようなムードに流されがちで、東京よりも特に関西でその傾向が強いように思いますが、今回もその「風」の流れだったのか、もう少し注視しておこうと思います。