昨日で前の職場の勤務が終わりました。今日からは新しい職場へ行きます。
前の職場、25年ぶり2度目の勤務でした。そして今度は5年間勤務しました。ですから30年ぶり2度目のお別れになります。
実は30年前、1度目に転出したとき、もう一人の転出者と二人でお金を出して、職場の脇に木を植えたのです。
私は桜の木を植えたいと言ったのですが、もう一人の人は、ここは気候が厳しいので桜は育たない、風よけが必要だ、ということでもうひとつの木も植えることにしたのでした。
5年前、またこの職場に行くことになったとき、真っ先に思い浮かべたのは、この木のことでした。こんなことしたから、また行くことになったのかなあ、と思ったりもしました。
25年経って、もう一人の人が植えよう、といった木は立派に育っていました。夏になって風が吹くと、枝が揺れ、さわさわと葉擦れの音がしました。
一方、私が植えたいといった桜の木も、弱々しくはありましたが、なんとか育ってはいました。そして5月になると、短い間ですが花が咲いていました。
でも桜の木は花が散っても、虫食いなのか、あまり葉が出ていませんでした。私のやることといったら、この桜の木みたいだな、もうひとつの木は立派に育っているのに、と思ったものです。私はどうも、実情に合わない望みを持ってしまうのですね。
30年前、離任の挨拶で、「木を植えました。将来、花いっぱいになっていたらいいな、と思います。」と言って出て行きました。
今回も30年後、ということに思いをはせたのですが、でも、30年後、この職場もこの木もまだあるのだろうか、なくなっている可能性も大きいな、そして自分はよく考えたら、30年後、多分生きていないだろうな、と思ってしまいました。
衰退日本、職場の方もどうもパッとしません。30年後は2055年になりますが、どうなっているのだろうな、希望を持って語ることはできないのかな、などと思ってしまいます。
そんなことを考えながら、帰りがけにまだ寒々とした裸の木をもう一度眺め、前の職場にさよならして、バスに乗り、帰りました。桜の木にまだ固い芽がついていたのが救いですかね。
今回は、同志もいなかったし、木は植えませんでした。