今日はこのところ話題になっている「排外主義」について考えてみたいと思います。
まず私の基本的立場ですが、海外旅行好きでよく行きますので、行くだけ行っておいて、インバウンドの人に「来るな」とは言えません。
それから外国人がやっている食堂によく行って、そこでの食事を面白がってよく利用しています。ですから、「外国人出ていけ」という気にはなりません。
あとコンビニなんかでたまに外国人店員を見かけると、接客業は日本人でも大変なのに、外国語で応対して偉いなあとさえ思います。ですからそれを批判する気にはなれません。また見えないところで働いている外国人がいて日本の人手不足を補っているのだろうな、と思っています。
外国人労働力や移民に反対する主張もありますが、私はひとり者ですし、結婚もしない、もちろん子供も作っていませんので、少子化、人手不足の原因を作っている当事者ですから、そんなこと言える資格はありません。
ただ、移民については、自分なりの考えもありますが、ここに書くと長くなるので今回は言及しません。
それから、以前に転勤で郡部に住んでいたことがあり、その時に「ここは○○なんだ」といういわれ方をしたことが数回あり、ずいぶん排他的だな、と不愉快に思っていました。ですから、時々ニュースのコメント欄に見られる「ここは日本だ」という言い方には非常な不快感を覚えます。
ということで、私は排外主義とは縁遠いところにいます。
ただ、排外主義云々の前に私は個人主義ですから、外国人とベタベタする気はありません。
それに、食をはじめとする文化の違いを面白がっているところはありますから、「差別」はいけないにしても「区別」は残しておいてほしいとも思いますね。「区別」もいけない、ボーダーレスであるべきだ、という考えの人もいますが、私はこの問題に限らず、「区別」はあってもいいという立場です。
さて、「排外主義的言論」が生まれている背景には、以前のように海外旅行好きの人が外国に行くという時代ではなくなり、海外から観光客が来る時代になって、もとから海外に関心がない、あるいは、海外旅行などに行けない、という人も外国人と接せざるを得なくなったということがあると思います。
正直なところ、私も札幌駅などに大量の外国人観光客がいると鬱陶しいと思わないではありません。排外主義的な考えを持つに至った人は治安問題とか外国人優遇、あるいは外国人労働者や移民の増加などを持ち出しますが、実のところそういうことよりも、一番の原因にはオーバーツーリズムに対する反感があるのではないかという気がしています。
韓国人あたりは、このところはだいぶ垢抜けてきたので、日本人と見分けがつきません。ですから、韓国語をしゃべっていない限り、日本人と見分けが付かないわけです。でも気になる人は韓国語が聞こえてくるだけでも意味がわからないので鬱陶しいと思うかもしれませんね。
そして、これまた正直にいうと、私も、どちらかというと中国、それも南方系の顔をした人やムスリム系、そしてインド系や白人の人が多数いると、「おやおや」という感情が生じてしまうことも事実です。ちなみに黒人はあまり見かけないのですが、多数いたら同様に思ってしまうでしょう。
全く心に波風が立たないか、といわれれば嘘になります。見た目で差別をしてはいけないと思いつつも、やはりちょっと気になってしまいますね。
ただ、これって外国人に限らず、集団でワイワイやっているのが嫌い、ですから日本人でも集団で声高にしゃべっている人がいると避けますし、ましてや奇妙な格好をしたヤンキーなんかはやはり見た目で判断してお近づきになりたくない、と思ってしまうところがあります。
そう考えると、外国人云々というよりは集団でワイワイやっているのが嫌いなだけかもしれないです。
話の途中ですが、続きは次回に回します。