写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

62  橋幸夫さんが亡くなりましたね…

  橋幸夫さん亡くなりましたね。ここ数年、引退宣言したり撤回したり、調子がよくないような報道もありましたので、特段驚いたわけではありませんが、ああそうかあ、という感慨はありますね。時の流れとともにいろんな人が亡くなっていきます。

 

 この人の全盛期は1960年代ですから、私はその頃を知りません。ですが、70年代になってもまだそこそこ人気歌手で、よくテレビで見ていました。歌の方は「潮来笠」や高度成長期を象徴するような吉永小百合さんとのデュエット「いつでも夢を」あたりは生まれる前の曲なのにいつの間にか耳になじんでいましたし、後期の「雨の中の二人」とかはロマンチックで1960年代後半、というか、昭和40年代初頭の雰囲気をよく表している曲だと思います。

 

 「いつでも夢を」を作曲した吉田正が没後に国民栄誉賞をもらいましたが、それなら橋幸夫氏と吉永小百合さんも国民栄誉賞をもらってもよさそうです。

 

 ですが歌手の受賞者美空ひばりさんと藤山一郎だけで、その後もらえそうだった三波春夫氏がなぜかもらえなかったせいか、その後歌手でもらえた人はいませんね。作曲家はもらえているのですが、作詞家でもらえた人もいません。これも不思議ですが、本題から外れますのでこのぐらいにしておきましょう。

 

 それより何より、私にとっての思い出は、多分昭和50年、1975年に大阪の新歌舞伎座で「橋幸夫公演」を見たことですね。私は自分でお金を払ってまでコンサートの類に行ったりしませんから、今に至るまで生で見た唯一の劇場公演なのです。小学校低学年の頃に、多分親が何らかの形で入手した切符で金沢から大阪に行ったついでに見てきたのでしょう。

 

 演歌歌手がよくやる一ヶ月公演の類だったのでしょうが、確か前半は、「遠山の金さん」の劇で、後半はヒットパレードだったように思います。橋幸夫氏の歌より、多分劇中の女性が♪花・花・花…とかいう歌を歌ったメロディーをかすかに覚えているだけですが。子供のことですから、生で橋幸夫を見た、ということだけはしっかり覚えているものの、途中で少し寝てしまったような記憶もあります。

 

 あと、訃報を見て初めて知ったのですが、公演といえば、この人、金沢の観光会館で行われた公演中にサーベルで襲われて怪我をしたことがあったそうです。子供の頃、この観光会館が近所だったのであそこでそういうことがあったのか、という妙な感慨もありました。

 

 とにかく、ご冥福をお祈りします。