写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

32  止まらない汽車のように

   このブログ、毎日更新を続けてきて1年4ヶ月以上、最初は旅行記ブログだったのに雑記ブログと化し、現在に至っています。毎日毎日訳のわからないことや昔の話、偏屈な考えを垂れ流しています。

 

    毎日更新を続けていることは自分の負担にもなっていますが、読んでくださるのは実質一部の奇特な「はてなブロガー」さんぐらいだろうな、というところが正直なところです。歌の記事や一部インパクトのある題名のものは検索流入がありますが、そんなに真剣に読んでもらってはいないのだろうと思います。

 

 ということで、はてなブロガーさん達が頼りなのですが、読んでもらっている方々にも負担を強いているのではないかと危惧しています。ほぼ毎日読んでくださる方、まとめ読みしてくださる方、ときどきフラッと訪問される方などがいらっしゃいますが、特にまとめ読みの方には負担感があるのではないか、と思っています。

 

    一方、以前にも書いたことがありますが、フラッと派の方の場合、この方にいちばん読んで欲しいと思ったのにスルーされることがあります。題名だけでは読みたいと思われなかったのでしょうね。

 

 自分にとっても読者にとっても負担となる毎日更新、やめればいいのですが、私の場合、こだわりが非常に強いので、不定期更新に移行することが今のところできていません。止まらない汽車のようになっています。昔書いた文章まで引っ張り出して総動員状態ですし、ネタ切れ後の対策も考えています。ですが読者のことを考えていないな、とも思います。適度な更新頻度、というのができないのですね。これは私の生活のいろいろなところで見られることで、「適度」ができず、極端になりがちです。

 

 もうしばらく止まらない汽車が続くと思いますが、お付き合いくだされば幸いです。

33  3月は苦手です

  北海道の2月はとても寒く、雪に埋もれてしまいますが、それでも我が家はマンションなので雪かきをしなくてもよく、助かります。外で働いている人はこの時期大変だな、とは思いますが、私は内勤なのですごく寒い日は室内も薄ら寒いものの、外で働く人のことを思えば苦とは言えないでしょう。

 

 「ニッパチ」といって、2月8月は「閑散期」とされていますが、まあ私の仕事も2月は「閑散期」というと語弊がありますが、比較的精神的に安定していられる時期でした。

 

 ところが3月というのは年度末ですから、「繁忙期」と言うことになるのでしょうか。これも繁忙期というのとはややニュアンスが違いますが、2月のようにはいきません。

 

 それに何より4月は人事異動の時期で、自分も周囲もどうなるのか、不安になります。次年度どうなるのだろう、という不安ですね。私は変化に弱いので余計そうなります。本来であれば異動の季節は不安よりも希望が持てるのかも知れませんし、持つべきなのでしょうが、私のネガティブな性格とこれまでの経緯からして希望を持つ、というよりは不安を持つ、ということになりがちです。ということで3月は精神状態が悪くなる月です。

 

 学生の頃は3月が好きでした。一年間が終わって「終わり」を感じるし、少し感傷的な気持ちにもなります。季節的にも冬が終わって春の兆しを感じます。

 

 高校までは山口県にいたので、2月には梅が咲き始めます。友人もいない私は学校が終わるとすぐ帰って、史跡跡の公園に寄り、そこに植えてある梅の花が咲くのを眺めていました。春が来るな、と思ったものです。

 

 ところがこちらでは雪に埋もれています。山口では雪がないのを多少寂しく思っていましたが、贅沢だったんだな、と思います。

 

 でも、北海道の2月は案外嫌いではないのです。仕事も生活も厳寒期は無理をしません。山口にいた頃は小学校で冬場に「耐寒訓練」と称して半袖の体操服で走らされていましたが、そんなことはないわけです。

 

 むしろ、北海道にいると気候的には2月よりも3月・4月が嫌になります。本州の方からは春の便りが届いてくるのに、こちらはまだ雪の中、それも融けてきて町がパッとしなくなる季節です。職場のテレビで甲子園の中継をつけていることがありますが、あれを見ると、景色の差に愕然として、なぜ北海道にいるのだろう、と思ってしまいます。

 

 ですから3月の末に旅行に出かけることがあります。以前の旅行記にも掲載した通り、3月4月初めに旅行に出かけることが多いのは、この時期北海道にいるのが嫌になるからですね。ですがある意味「繁忙期」とも言える時期なので日程のやりくりに苦慮することも多く、無理矢理休みを取って周囲から白い目で見られるように思うこともあります。

 

 今年はコロナ禍もあり、春に旅行に出かけるのは無理でしょう。本州にいる皆さんをうらやましく思い、また、次年度はどうなるのだろう、と不安に思いながら過ごす3月になりそうです。

 

 

 

 

 

 

 

37  ナミ「悲しい絆」(슬픈 인연)

 このところまた韓国歌謡の記事を書いています。今回はこのブログのコメント欄に「tsuhyunmomo」さんが書いてくださったことをもとにした記事です。ちょっとびっくりしたので記事にしておきます。

 

 以前、キム・ヒョンチョルという人の「春川へ行く汽車」という歌が気に入った、という記事を書いたことがあります。韓国のラジオから流れてきた曲をyoutubeで検索して突き止めた、という内容でした。

 

 その曲をyoutubeで何度も聞いたたわけですが、横に「あなたへのおすすめ」的な関連動画の紹介があります。この曲の場合は、やはり1980年代のバラード調韓国歌謡がずらっと並びます。いろいろ聞いていたのですが、その中の一曲にナミ(나미=羅美)という人の「悲しい絆」(슬픈 인연)という歌がありました。この曲も気に入って何度も聞いていたのでした。

 

 1985年の大ヒット曲だそうですが、当時私には覚えがありませんでした。ただ、ナミ、という歌手は知っていて、アップテンポの「ぐるぐる」(빙글빙글)という歌がヒットしていたことは覚えています。当時の韓国人気歌手を紹介する記事に載っていたこともあり、顔も見たことがあります。ですからこういうバラード調のヒット曲もあったのか、という程度の認識でした。

 

 ところがこれが宇崎竜童作曲の「絆」という曲だと指摘されてびっくりでした。youtubeで検索すると塚田三喜夫という人の歌唱で出てきます。知る人ぞ知る「五月のバラ」を歌った人ですね。さらに調べると、もともとは1984年に橋幸夫が歌った曲だそうです。

 

 これは「似ている」のではなくて同曲です。当時は日本の曲をカバーすることは認められていないはずでしたから、少なくとも韓国側の当局には気づかれなかったのでしょう。私も先日知ったばかりで、日本ではヒットしなかったはずですから、気づかれなかったのでしょう。聞き比べると、韓国語版の方が聞き慣れているので、日本語版の方が歌詞の付け方がぎこちないように感じてしまいます。

 

 それでは日本側では韓国でこの歌がつくられ、ヒットしたことを知っていたのでしょうか?ちゃんと許諾を得たのか、全くのパクリか、黙認か?

 

 ネット検索でコメントや各種ブログを見ると、パクリ説日韓共同プロジェクト説とがありました。宇崎竜童名義では韓国で発売できないので、韓国人作曲名義で出したのだという説です。その後日本文化開放後に宇崎竜童名義にしたという話でした。楽譜を検索すると、宇崎竜童作曲となっているものと、韓国人のキム・ミョンゴン名義になっているものとがあります。

 

 どちらが正しいのか、その辺の真相まではさっぱりわかりません。この歌のケースに関しては、私は共同プロジェクト説の方に信憑性があると思ったのですが、このあたりの裏事情を知っている方がいらっしゃれば是非教えていただきたいものです。宇崎竜童氏ご本人に確かめるのがいちばんなのでしょうが、さすがにそこまではなあ、と思います。

 

 パクリなのか、そういう関係ではないのか、まではわかりませんが、少なくとも私はこれを糾弾したいとは思いません。パクリにしても、日本人作曲であることを公表できなかったのだ、としても、当時の日本側の韓国への無関心と、韓国側の政治的・文化的制約が生み出した産物なのでしょう。その結果、韓国は日本のパラレルワールド的世界を生み出し、それが私の興味関心を引きつけたのです。そして歌そのものも015B・IUと歌い継がれているのですね。 

 

 日韓の間にはそういう虚々実々の関係があり、それが複雑に絡み合い、今に至る「しがらみ」ともなっています。韓国側はこういう過去も明らかになれば「清算」したいと言い出すかも知れませんし、日本側も怒り出すかも知れません。ですが、そういう過去があったのだ、と興味深くお互い分かち合う、という関係になればいいと思います。この曲も韓国歌謡史の発展にゆがんだ形であったかも知れないけれど寄与したはずです。曲の題名ではありませんが、かつて「悲しい絆」、直訳では「因縁」ですが、パクリであったとしても、表に出せない裏プロジェクトであったとしても、そういうことがあった関係なのだ、と思ってもらえないかなあ、と思うのです。日韓裏面史を見た思いでした。

 

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36  ミン・ヘギョン「私の人生を探して」(내 인생을 찾아서)

 先日来、「tsuhyunmomo」さんという方に教えてもらったことをもとにして記事を書いています。近頃はネットを検索すればあれこれ出て来ますし、私の歌に関する知識などというものは、かつてはマスコミ、今はネット経由によって手に入れているものがほとんどすべてですから、私が記事化するのはどうかなあ、とは思います。

 

 ですがコロナ禍もあって旅行に全く出られない日々が続いていますので、どうしてもこの手の記事が多くなります。何か新しい知識をもたらすわけでもなく、受け売りの知識とそれを受けての私の感想ですが、韓国歌謡の世界を紹介したいという気持ちもありますので、読んでやってください。

 

 「tsuhyunmomo」が教えてくれた、日本の曲にそっくりな韓国の曲を、昨日から紹介してきました。今日は、本田美奈子の「殺意のバカンス」にそっくりな曲。指摘を受けて早速聞いてみました。「殺意のバカンス」は本田美奈子のデビュー曲ですね。確かにかなりの部分が似ています。とくに前奏の部分が似ているのは一発でわかってしまうのではないでしょうか?全く同じではないので、許諾を受けたとは思えず、この場合はパクリと言わざるを得ないのでしょうか?

 

 80年代前半ならともかく、中盤になると、関川夏央氏の「ソウルの練習問題」が話題になったり、ソウルオリンピックに向けて韓国が注目され始めて来た頃です。バレなかったのかそうでないのか現時点ではわかりませんが、この頃であればもうマズかったような気がします。

 

 この歌を歌ったミン・ヘギョン(閔海景=민해경)という女性歌手は、80年代に人気があった女性歌手で、私が名前を最初に覚えた韓国の歌手のひとりです。その後日本でもデビューしました。やはり先日紹介したパティ・キムの「離別(イビョル)」の記事で、1989年頃に別の歌手が日本語版を歌って大ヒットはしなかったものの、話題曲程度になっていた、という「別の歌手」とは彼女のことだったのです。

 

 この人の歌では「ある少女の恋物語」(어느 소녀의 사랑이야기)という歌が80年代前半の韓国歌謡トップテンに入っており、韓国の文通相手が送ってくれたカセットテープにも入っていました。

 

 彼女が送ってくれたテープはヒット曲を編集して市販のカセットに録音した海賊版と思われるものでした。日本人に韓国歌謡を一通り紹介しようという場合、都合がよかったのでしょう。88年に初訪韓したときも、ミョンドンの屋台でこういう海賊版テープが売られており、一つ買ったように思います。当時の韓国の著作権意識というのはこの程度のものでした。おそらく韓国がコンテンツの権利に目覚めたのはKーPOPが評価されるようになった、21世紀になってからでしょうね。

 

 著作権、パクリとか、そういうことをいい出すと、そもそもこんな記事を書いていていいのか、という気がしてきます。よくわからないままに書いているので、これぐらいにしておきましょう。

 

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35  ヒョンスク「愛はこの次に」(사랑은 이 다음에)

 2月の後半、昨年5月に掲載してから、ずっと忘れ去られていた「韓国歌謡のたずね歌」という記事に思いがけずコメントがつきました。記事内容は、昔の韓国の歌には日本の歌に酷似しているものがある、2つほど気になる歌があるが題名がわからないので教えて欲しい、というものでした。

 

 このブログを訪れる方は鉄道や旅行に興味のある方が多く、韓国歌謡などに興味を持つ方はほとんどいらっしゃらないだろう、と思っていたのですが、どういう経緯かわからないながらもこの記事の存在を知り、回答を寄せてくださる方がいらっしゃいました。「tsuhyunmomo」さんという方です。本当にありがとうございました。「待てば海路の日和あり」ということわざがありますが、こうやってブログに書いておけば、放置しておいても、いつか回答が得られるものなのですね。感慨深いです。

 

 さて、このとき取り上げた2曲のうち、回答がもらえたの田原俊彦の「原宿キッス」に似ている歌の方です。私の記憶では80年代中頃の歌だったように思いますが、韓国の歌の方は1983年の曲だったらしい。「原宿キッス」が日本でヒットしたのは1982年のことと記憶していますから、1年後になるのでしょうか。

 

 「사랑은 이 다음에」(愛はこの次に)という題名だということです。似ていると思いますか?出だしと最後の部分はとても似ていると思いますが、どうでしょう?今思えば、隣国なのに、なんでこんなことが通用したのか、不思議に思います。それだけ韓国に日本人が無関心だったのでしょうか?

 

 1980年代当時の韓国歌謡のヒットチャートは、チープだけど味わい深い韓国オリジナルの名曲があるかと思えば、この歌どこかで聞いた気がする、という、日本の歌に似ている歌もあるし、愛国歌謡なんてものがヒットチャートの1位になる、などという、実に興味深いものだったのですが、日本ではほとんど全く知られていませんでした。

 

 この歌を歌っていたのは以前に紹介した愛国歌謡「栄光の太極旗~乾坤坎離青紅白」と同じ「ヒョンスク」という歌手です。

 

 ということで、「tsuhyunmomo」さんには他の酷似曲を教えてもらいましたので、私もパクリになりますが、パクリ記事をこれから数曲分書いていきます。「tsuhyunmomo」さん、すみません。そして改めてありがとうございました。

 

 「tsuhyunmomo」さんも、もうひとつの「たずね歌」であるチェリッシュの「白いギター」そっくりの歌はご存じないとのことでしたので、こちらも回答を気長に待っています。

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