写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

50  現代日本の資本主義って「労働者」と「消費者」の対立になっていると思いませんか?

 このところ、旅行記の合間に4日ほど雑記を挟んで旅行記に戻る、ということを繰り返していたのですが、旅行記の引き延ばしのため、ネタがあるときにはもうしばらく雑記ネタを続けようと思います。

 

 昨日も登場した、数少ない知人氏とのやりとりの件ですが、ベトナムの話をする中で、この国が社会主義国であるせいか、あるいは、昨日の「プロ意識」をめぐる論議から発展してか、「資本主義」のあり方に話が広がってしまいました。

 

 知人氏はリベラル派で、資本主義に批判的な立場であるようです。資本主義を資本家と労働者の対立、という古典的な見方で捉え、「労働者側の利益を尊重する仕組みに賛成したい」ということでした。

 

 ですが、実は私はそうは見ていないのです。19世紀のマルクスの時代と21世紀の現代はさすがに違うでしょう。現代は所有と経営の分離が進み、実在の人格としての「資本家」というのは相当少なくなっています。

 

 「資本家」に見える者は、「消費者」の要求に極力応えて利益を増大させようという「専門経営者」です。ですからその背後には「消費者」がいて、ときには同一人格である消費者が労働者を苦しめる、という構図になっているように思うのです。

 

 現代日本の資本主義というのは、労働者と消費者のバランスが極端に消費者寄りになっているところに問題点があると考えます。

 

 消費者の過度な便宜を求める気持ちに企業が応えようとして、特にサービス業でのブラック労働化が進んできたように思うのです。「カスハラ」なんてのもそういうところから出てきた問題なのかもしれませんね。

 

 ただ、「カスハラ」が問題化し、一方で「働き方改革」などといわれるようになって、少し見直しが始まっている段階だとは思います。

 

 今の時代は、一昔前の資本対労働、という図式では現代の問題を説明できなくなっていると思います。もう1970年代にはそうした図式は成り立たなくなっていて、そこを理解できなかった労働運動が人々の支持を得られず衰退していったのです。

 

 当時の国鉄ストなどを想起すればわかると思いますが、国鉄ストに怒りの矛先を向けたのは、まず自分たちも労働者である利用者=消費者でした。彼らは労働運動に連帯の姿勢を見せなかったのですね。

 

 このあたりから消費者と労働者の利益相反というのか適切かわかりませんが、これが目立ってきて、現代に至っていると思います。

 

 私は消費者でもあり、労働者でもあるので、できるだけ働く人に優しくしたいな、と思います。

 

 今日の記事、自分でもあまりまとまってないな、と思う論考で、うまく伝わったか心許ないのですが、皆さんはどう思われますか?

49  「プロ」という言葉が好きではありません 

 連載しているベトナム旅行記、私の数少ない知人氏にも見てもらっているのですが、地図が読めないタクシー運転手の話になったとき、知人氏は「プロとして能力不足」とか「不可」という言葉を使ってきました。

 

 でも、当事者である私としては、そんなに立腹したわけではなく、むしろ、見方を変えればベトナムやタイではこれでタクシーの運転手が務まるのだなあ、と思ったわけなのでした。急ぎの用事があったわけでもなく、むしろ一種の国情の違いを感じて面白がった、というか、そのときはかなり困ったのですが、後で考えるといい思い出になった、とさえ思えるのです。

 

 日本は何かにつけて求める水準が高すぎるのかもしれません。私は自分が失敗が多くて叱られたり、自責の念に苛まれてメンタル的にやられたりするので、車が運転できさえすれば地図が読めなくてもOK、というユルさが働く側としては案外いいのかな、と思ったりもします。

 

 そういう日本でも、タクシー運転手不足で、これまであった「地理試験」がなくなるそうです。いずれベトナムやタイのタクシー運転手の水準は上がるでしょうけど、その代わり日本では老人のあやしい運転手ばかりで、地理もわからない、という人が増えるかもしれませんね。 

 

 知人氏はきっちりした人で、自分にも他人にも厳しく、「プロ意識」が強いのだろうな、と思います。一方、私は、自分にも他人にも「プロ」という言葉を使ったことがないと思います。もっといえば、私は「プロ」という言葉が嫌いです。私が子供の頃は「プロ」という言葉は「プロ野球」ぐらいしか使われなかったように思いますが、その後、いろんな業界で「プロ」とか「プロ意識」などと言うようになりました。でも、そういう働き方の意識が、息苦しい企業社会を作っているようにも思うのです。

 

 「プロ」であるべきだと思うのは、パイロットや手術をする医者のように失敗が許されない職業だけであるべきで、それ以外はもっとユルくてもいいのでは、と思うのです。そしてそうしないとこれからはやっていけなくなるでしょう。

 

 私が甘ちゃんなのかもしれませんが、皆さんは「プロ」という言葉について、どう思いますか?

48  人手不足と「やめたい」のミスマッチ

 旅行記を連載していたので、これまた3月のことですが、家の近くのコンビニが時短営業になりました。これで2軒目。このコンビニ、駅近くで飲み屋街もあるので深夜の需要もありそうなところにあるのですが、人手不足なのでしょう。朝、出勤前に買い物をするときにいつも見かける店員のお姉さんもいなくなってしまいました。やめてしまったのかな、と思います。

 

 一方、はといえば、またミスをいろいろやらかしたり、忘れていたことに気づいて焦ったり、とダメダメな状態で、こんなに集中力、注意力不足ではやはり早期退職かな、と思ってしまいます。

 

 家に帰って他の人のブログを見ても、仕事辞めたいとか、辞めたとか、そういう内容が多いです。一方で人手不足、一方で仕事したくない、辞めたい人が多い、というミスマッチ

 

 人手不足はエッセンシャルワーカーと言われる分野で多いわけです。人がいやがる仕事。近頃の人手不足は賃金を上げるとか、解雇規制を緩和して労働市場の流動化を図るとか、そういうことでは解決しないと思います。

 

 私はやはり精神的・肉体的にきつい労働や時間の不規則な労働が敬遠されていることが大きいと思うのですね。私の仕事は肉体労働ではありませんが、精神的なストレスが大きいです。感情労働といういい方がありますが、頭脳労働だろうだと思ったら感情労働で、メンタルの弱い私には適さなかった、というところです。

 

 一般論に戻りますが、近頃の仕事の辛さの大きな要因を占めているのは「やりがい」のなさではないかと思います。

 

 高度成長期であれば、経済全体が成長していますから、多くの企業で成果が上がり、賃金も上がりますが、それ以上にやりがいがあったのだろうと思います。だから「エコノミックアニマル」だの、「企業戦士」と言われても猛烈に働くモチベーションがあったのでしょう。

 

 でも今のような下降社会では、成果が上がりにくいし、かつてあったことも形骸化、意味がなくなって昔ながらにただやっているだけ、あるいは敗戦処理的な仕事、ということも多いと思います。そういうことがいろんなところにあるのではないでしょうか?

 

 この問題、少子化問題の本質が未婚化現象である、ということと通底するところがあって、結婚や子育てと同じ。できれば避けたいけど、結婚や子育てと違って働かないとお金がもらえませんから、結婚や子育てから逃げてきた私のような者も、仕事だけはしなければなりませんでした。ですが基本逃避系人間ですから、仕事だけはダメダメでもやってきましたが、やはりきついのですね。

 

 皆さんはこういう状況をどう思いますか?

 

 

 

 

 

39  今年初めてつくしを見かけましたが…

 4月になって、新年度が始まりました。仕事の面では憂鬱ですし、そうでなくても私は朝が弱く、鬱がひどいので朝方いつも参っているのですが、今年の4月は暖かくて快晴の日が多く、朝の弱い私には大変助かっています。日光を浴びるとセロトニンが形成されて鬱にいいそうですね。

 

 まあ、仕事のことがあるので鬱が完全に消えるわけではありませんが、それでも冬場よりはマシになっている気はします。通勤のため、冬場は雪道を20分歩かなければなりませんでしたが、春になると天気がいい日は、まあ散歩だと思って歩けばいいか、という気持ちになります。

 

 このブログに書くネタがないときは、季節の移ろいを書くことが多いのですが、今年の場合は4月15日に通勤途中の道で初めてつくしを見かけました。途中コンビニにも寄るのですが、いつもの年は4月中までは温かいカフェオレを買っていました、ところが、今年はこの日にはもう冷たいカフェオレを買ってしまいました。

 

 メンタルの面はともかく、季節の面では快適さを感じます。ただ、ちょっと季節の進行が早い気がするのですね。夏場大丈夫かな、と心配してしまいます。私は今の段階でもう夏の暑さ、そして結局また冬が来るんだろうなあ、嫌だなあ、とネガティブに考えてしまうので鬱になるのでしょう。

 

 これから2~3ヶ月はいい季節が続くはずなのですが、何でこういうことを考えてしまうのですかね?因果な性格です。

20  2024年韓国総選挙の感想 

   旅行記の連載で遅くなってしまいましたが、先頃、韓国で総選挙がありましたね。結果は野党の「共に民主党」が圧勝、尹錫悦政権の与党、「国民の力」は負けてしまったということです。結果を詳細に検討した訳ではないので「感想」という程度ですが、感じたことを書き留めておこうと思います。

 

 現政権は保守派で、旧軍事政権からの流れをくむ政党です。一方、野党で前文在寅政権の与党だった「共に民主党」は、リベラル派、ということになっています。

 

 そういう政策的違いがあるのですが、韓国紙のサイトを見て気づくのは、そうした政策の違いよりも、韓国が地域感情で分断されている、という昔からの「積弊」がいまだに続いている、ということです。

 

 韓国の国会議員選挙は一院制で、小選挙区制と比例代表を組み合わせた選挙制度になっているのですが、新聞社サイトのどの党がどの地区で優勢だったか、を落とし込んだ韓国地図をみると、東西で色分けがくっきりと分かれています

 

 つまり、西半分は「共に民主党」、東半分は「国民の力」とはっきり分かれているのです。西半分はソウル・京畿道・忠清道全羅道、東半分は江原道・慶尚道ですね。

 

 特に全羅南道慶尚北道は顕著で、二大政党であるにもかかわらず、前者では「国民の力」、後者では「共に民主党」が候補者すら立てられない選挙区があるようです。

 

 地方では色分けがはっきりして、選挙結果が見えている、ということで人口の多い首都圏での選挙結果が勢力を左右することになるのですが、といってもソウル周辺はだいたい以前からリベラル派が強い傾向があります。ということで東西で色分けがくっきり分かれるのですね。

 

 古代朝鮮半島高句麗百済新羅の三国に分かれていたのですが、北朝鮮高句麗、韓国の西半分が百済、東半分が新羅だったことを考えると、現代韓国も新羅百済に分かれているようにも思えます。以前ほど地域感情の話は聞かなくなりましたが、それでも政治面ではまだまだ地域の色分けが根づよく残っているようですね。

 

 実は比例代表では、意外なことに小選挙区では惨敗した「国民の力」の方が第一党でした。というか、なぜか韓国では小選挙区比例代表の党名が違うのですね。「国民の力」系が「国民の未来」、「共に民主党」系が「共に民主連合」になっています。でも少数政党の「改革新党」はそのままの党名です。これはどういう事情なのでしょうか?

 

 ちょっと調べてみたのですが、韓国の比例代表制小選挙区議席獲得数の多い大政党に不利な制度になっているそうで、二大政党はそれぞれ「衛星政党」をつくっているらしいです。不思議な制度ですね。

 

 また、曺国元法務部長官がつくった新党の「祖国革新党」は、比例代表では健闘していました。この人、娘の不正入試のスキャンダルがあったはずですが、それでも人気があるのですね。これも不思議。

 

 地域別の小選挙区の結果を見る限り、韓国では小選挙区制より比例代表制に移行した方が政治対立が安定するのかな、という印象を受けました。

 

 ですが、韓国にしろ台湾にしろ、ややリベラル派優勢の二大政党制が確立されているのに、日本はなかなかそうならないですね。日本の政党政治も不思議なのかも、と思います。