このところ、旅行記の合間に4日ほど雑記を挟んで旅行記に戻る、ということを繰り返していたのですが、旅行記の引き延ばしのため、ネタがあるときにはもうしばらく雑記ネタを続けようと思います。
昨日も登場した、数少ない知人氏とのやりとりの件ですが、ベトナムの話をする中で、この国が社会主義国であるせいか、あるいは、昨日の「プロ意識」をめぐる論議から発展してか、「資本主義」のあり方に話が広がってしまいました。
知人氏はリベラル派で、資本主義に批判的な立場であるようです。資本主義を資本家と労働者の対立、という古典的な見方で捉え、「労働者側の利益を尊重する仕組みに賛成したい」ということでした。
ですが、実は私はそうは見ていないのです。19世紀のマルクスの時代と21世紀の現代はさすがに違うでしょう。現代は所有と経営の分離が進み、実在の人格としての「資本家」というのは相当少なくなっています。
「資本家」に見える者は、「消費者」の要求に極力応えて利益を増大させようという「専門経営者」です。ですからその背後には「消費者」がいて、ときには同一人格である消費者が労働者を苦しめる、という構図になっているように思うのです。
現代日本の資本主義というのは、労働者と消費者のバランスが極端に消費者寄りになっているところに問題点があると考えます。
消費者の過度な便宜を求める気持ちに企業が応えようとして、特にサービス業でのブラック労働化が進んできたように思うのです。「カスハラ」なんてのもそういうところから出てきた問題なのかもしれませんね。
ただ、「カスハラ」が問題化し、一方で「働き方改革」などといわれるようになって、少し見直しが始まっている段階だとは思います。
今の時代は、一昔前の資本対労働、という図式では現代の問題を説明できなくなっていると思います。もう1970年代にはそうした図式は成り立たなくなっていて、そこを理解できなかった労働運動が人々の支持を得られず衰退していったのです。
当時の国鉄ストなどを想起すればわかると思いますが、国鉄ストに怒りの矛先を向けたのは、まず自分たちも労働者である利用者=消費者でした。彼らは労働運動に連帯の姿勢を見せなかったのですね。
このあたりから消費者と労働者の利益相反というのか適切かわかりませんが、これが目立ってきて、現代に至っていると思います。
私は消費者でもあり、労働者でもあるので、できるだけ働く人に優しくしたいな、と思います。
今日の記事、自分でもあまりまとまってないな、と思う論考で、うまく伝わったか心許ないのですが、皆さんはどう思われますか?