写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

32  戦後左派と戦争体験の伝承

   一昔前の歴史の本を読んでいると、左翼的な史観に基づく記述が目立ったものです。正直、特に近現代史では歴史好きの私も辟易するような記述がありました。ところが、そういう立場で文章を書いている人には、意外と戦時中士官学校にいて戦後大学で学び直し、学者になった、という人がいたものです。

 

 また、その昔、私が卒業した大学で憲法の講義を担当していた先生で、自分はかつて陸軍士官学校に在学していた、といっていた先生がいました。この先生も左派的な人として有名な人でした。

 

   どうも戦後左派的な立場から発言するようになった知識人の中には、戦争中特攻隊だったとか、士官学校にいたとかいう人がときどきいるようでした。私の大学時代にもそういう教授が憲法の教授以外にも何人かいたようでした。

 

 戦争を経験して、戦後、「自分たちは騙されていた」という気持ちから歴史や憲法を学び直し、平和主義者となったのでしょうが、今度はソ連社会主義的な考え方に騙されてしまったのではないか、と感じたことがあります。そこまで行かなくても、いわゆる「左寄り」の考えに染まった知識人が多かったのでしょう。

 

 平和を重んじる気持ちはごもっともなのですが、この手の方々の本を読んだり、講義を聴いたりしても、正直なところ共感できませんでした。思いが強すぎたのではないか、確かに強烈な体験をしていたのでしょうが、しかし我々の世代にはうまく伝わっていなかったように思います。

 

 あの教授達に、「なぜ先生はそんな思想を持つようになったのですか?」と聞けばよかったと思うのですが、私は消極的な性格で、大学の教授に個人的なことまであれこれ聞くようなことはしませんでしたし、もうほとんどの方は亡くなってしまいました。

 

 令和の現代、このような戦後左翼思想、あるいは左翼史観というのは化石のようになっていて、忘れ去られたか、あるいは反感を持って語られたりすることすらあります。

 

 戦後の反戦平和運動というのも、現代ではシニカルな目で振り返られることが多いように思います。声高な主張がかえって受け入れられなかったのだと思います。

 

 どこに原因があったのか、と考えるのですが、戦争体験者は日本に生まれたことで軍国主義的教育にだまされて青春を奪われ、日本の国に生まれて損した、と考えていたのでしょう。ですから戦後、日本という国に否定的になり、愛国心などくそ食らえ、と考えていたのでしょう。

 

 ところが、戦後の高度成長期以後に生まれた我々の世代は、基本的に戦後日本の経済繁栄と自由主義体制の恩恵を受けて育っていますから、日本という国に肯定的です。この、日本という国に対する認識の違いの大きな落差が、平和を重んじる思いは共通しているにもかかわらず、戦争世代の反戦平和論がうまく伝わらなかった原因ではないか、と思っています。

 

 たとえば、反戦平和と日本という国への認識がかみ合ってない、という点について、日の丸君が代問題があります。私の経験では、大学の講義で「日の丸は「血の丸」です」と発言した教授がいたのを思い出します。そのとき、あまりの「偏向」ぶりに席を立とうか、と思ったくらいでした。この教授は自分の思いを伝えたかったのでしょうが、むしろ逆効果になってしまったように思います。

 

 我々の世代は、戦争のような強烈な体験こそしていませんが、何かの体験を語り継ぐとき、どう伝わるのか、を意識して伝えていった方がよいのかな、と思うことがあります。戦時世代とは違い、我々と今の若い世代は基本的な価値観では共通しているように思うのですが、それでも思いがけないことで価値観の相違があるのかも知れません。

 

 「伝える」って難しいことなのだと思います。