写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

87  古新聞と「長周新聞」

   子供のころ、学校から図工や美術、あるいは書道などに使うため、古新聞を持ってくるよう言われることがありました。今の時代はほぼすべての家庭が新聞と取っているとは限りませんから、こういうこともやりにくくなったのでしょうが、昔はどの家庭でも新聞を取っていたでしょうから、それをめぐって特に問題が起こるようなこともなかったのでしょう。

 

 ですが私はそういう機会に、普段家でとっていない新聞を見ることができるので興味津々でした。うちは当時読売新聞を購読していたのですが、朝日新聞を持ってくる生徒も結構いました。毎日新聞は見かけた覚えがありません。購読家庭が少なかったのでしょう。ときどき、聖教新聞を持ってくる子がいて、そういう子がいると、この家は創価学会なのだな、とわかったものでした。あとは地元の地方紙を持ってくる子もいました。

 

 あと、これは生徒がもってきたのではなく、学校にあったのだろうと思うのですが、中学校の時、「長周新聞」をいうのを見かけたことがありました。当時山口県に住んでいたのですが、名前からし山口県の地方紙だとわかるものの、どうも普通の地方紙ではありません

 

 テレビ面もないし、書いてある内容が左翼的ですが、社会党共産党の主張ともどこか違っていて、どこかの機関紙なのか、とにかく不思議な新聞だな、と思っていました。学校のポストに入っていることがあり、一部の先生が購読していたようです。それで学校で作業をするとき見かけることがあったのでしょう。実は授業かなにかのとき、気になって古新聞の中から抜き出し、家に持って帰ったことがあります。

 

  あの新聞は何だったのだろう、とずっと不思議でした。新左翼の一派かなあ、と思っていたのですが、大人になって北海道暮らしになり、ネット時代になったころ、ふと思い出して「長周新聞」で検索してみたことがありました。私が大好きな、昔どこかでちらっと見かけたものを「あれは何だったのだろう?」と検索する行為です。

 

 するとちゃんと「長周新聞」は健在で、ウェブサイトまで作っていました。いまだに昔の左翼用語で「闘争」を「斗争」と書いてあったりします。昔の左翼がよく使った略字ですが、今のパソコンではかえって打ちだしにくいでしょう。

 

 で、わかったことは、この新聞、1960年代に日本共産党から分かれた日本共産党(左派)という組織があって、その外郭紙的存在なのですね。日本共産党が自主独立路線に至る過程で除名された親中国派がつくったらしいのですが、いまどき中国から資金援助もないでしょうし、よく50年間もつぶれずに持ちこたえてきたものです。

 

 ウェブサイトをみると、政府やアメリカ批判はもちろんですが、安倍氏の地元だけあって、地元の安倍系の政治家批判を激烈にやっています。それとこの新聞、最近は「れいわ新選組」に肩入れしているようです。一方的な支持なのか、相互に関連があるのかまではわかりませんが、どういう関係なのでしょうね?

 

 こういうのを見つけ出すと、世の中色々な組織・団体があるなあ、と改めて思わされます。