写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

29  いつ不定期更新に移行するか?

   繰り言のように同じことを何度か書いていますが、毎日粗製濫造の記事を載せ続けています。ネタ切れを防ぐため、古旅行記はもちろん、昔書いた文章でパソコンの片隅に残っていたものまで引っ張り出してリライトし、連日掲載しています。昨日の記事がちょうど400記事目でした。

 

 私は極めてこだわりが強いので、連日投稿にこだわっているのですが、連日投稿では文章も練られたものになっていませんし、読んでくれる常連読者さんのことを考えても、毎日毎日新着記事を掲載されると、読むのがきつくなってしまうだろうなあ、と思います。

 

 連日投稿にすると、不出来な文章でも「エイヤッ」と思いきって公開できるのですが、不定期更新にすると、これまたこだわりが強いので、文章を納得いくまで推敲し、なかなか掲載する気にならず、いつまでも載せない記事ばかりが増えていく、という結果になりそうです。

 

 今はとりあえず掲載しておいて、違和感を感じた表現などはあとでさりげなく修正する、ということをやっています。よく見るとおかしな表現、誤字脱字、同じことの繰り返し、論旨の乱れ、などがしょっちゅうあります。

 

 作家やエッセイストと違い、文章を生業としているわけではないので、悪文だなあ、と思うことが多いのです。こうして毎日のように文章を書き、ブログという形ではあっても世間一般に公開する、ということをやってみると、プロの新聞記者や作家、エッセイストといわれる人々の文章力はすごいものだ、と感じます。

 

 今は昔の文章まで総動員状態なので、何とか続いていますが、以前から書いているように来年初め、遅くとも前半にはネタが切れます。今年はコロナ禍と転居に伴う出費増大、さらにメンタル面のこともあって、ほとんど旅行に出かけていませんし、来年も海外旅行など望み薄です。

 

 そろそろ踏ん切りをつけて不定期更新に移行する、ということを決心しなければいけないのですが、そうなるとガタガタと崩れていって、ブログへのモチベーションが失われていくような気がしてなりません。

 

 だいたい、もう雑記ブログ化しているのに、いまだに「写真のない旅行記」なる題名を変えることにすら躊躇している私です。本当に決断力がありません。

 

 とりあえず明日からは、また18年も前の古旅行記を掲載してお茶を濁します。あまり関心を持たれないでしょうが、読んでやってください。

 

 

 

 

18  新聞を取ろうか迷っています

 私は長年、朝日新聞を取っていました。実家は読売新聞だったのですが、小学生の時、遠足で朝日新聞を見学に行って以来、朝日びいきになっていたところに、一人暮らしを始めた当初、最初に朝日の勧誘員が来たので朝日を取るようになって、それ以来、ずっと朝日新聞でした。

 

 以前はどちらかと言えば「右寄り」だった私ですが、長年読んでいると朝日の論調に染められたのか、以前よりは左寄りになった気がします。ただ、そうは言っても内容によっては左翼的な論調に辟易しますし、これはいかがなものか、と思う記事も散見されます。バランスをとるためには何年かごとに購読紙をかえたほうがいいのかなあ、と思いつつ、変えるのが苦手な私ですから、今春まで朝日一筋でした。

 

 そうこうしているうちに、ネット時代となりました。ネットで一通りのニュースを見ることができます。また、寄る年波で老眼が進み、新聞を読むのがきつい、と思うことが出てきました。新聞より先にテレビを見なくなり、番組表としての新聞の役割も薄れてきました。また、田舎で勤めをしていると、廃品回収に出すのが難しく、半年に一回新聞紙をまとめてゴミに出していましたが、それが重く、一苦労でした。

 

 今春、田舎から都市部に転勤となり、出費が増大。何か節約しなくては、と思い、もうネット時代なのだから、と思い、紙の新聞の購読をやめようか、と思い至りました。

 

 都市部なのでコンビニや駅の売店がたくさんあり、必要なときはここで買えばいい、と思ったのですが、やはり新聞がないとなんとなく寂しく思います。また、ネット記事では偏ってしまう気もしました。それに、新聞社に金を払って健全なマスメディアとして頑張って欲しい、という思いもあります。

 

 ということで、朝に駅の売店かコンビニで新聞を買う習慣がつきました。そして結局、連日朝日新聞を買っています。

 

 田舎では朝日の夕刊がなく、夕刊を読む、という習慣がなくなっていたのですが、せっかくだから夕刊は違う新聞で、と思い、週に1~2回、読売新聞を買うようにしていました。

 

 ところが秋になって、駅の売店が改装でセブンイレブンになる、ということになり休業しました。先日コンビニとして再開したのですが、コンビニでは読売の夕刊を売っておらず、読売の夕刊を読むことはできなくなりました。

 

 ただ、夕刊という代物、内容がスカスカです。読売に興味のある連載記事が載っていたので買っていましたが、たまに朝日や他の新聞の夕刊を買っても、正直、あまり読むところがありません。夕刊はそのうちなくなってしまうのでは、と思います。

 

 駅売店が休業した際、結局、連日朝日新聞を買っているのだから、これを機会に購読しようか、と思ったのですが、決断力のない私、どうも踏ん切りがつきません。近所のコンビニで相変わらず買っています。節約のつもりが、かえって割高なので、さっさと購読すればいいのですが、一度やめようと思ったのに、と思うと、どうも電話をかける気にならないのです。

 

  「紙の新聞はオワコン」と言われている昨今、変化の苦手な私が、ここでとってしまうとズルズルと死ぬまで紙の新聞を取ってしまう気がします。ひとり者なので、新聞がたまっていたら孤独死のサイン、ということで新聞を取るよう推奨する記事を見たことがありますが、孤独死のサインのために新聞を取るわけにもいきますまい。

 

  時代は変わった、携帯も買ったし、新聞社に適切な代価を払いたいのなら、電子版を申し込めばいいのでしょうが、やはり紙に愛着があるんですかね。そういうところ、割り切れないですし、電子版を取るとやはり節約にはなりません。紙の新聞を毎日買っている時点で節約になっていないのですが。

 

 ということで新聞を取ろうか、まだ迷っている日々です。

 

 

 

 

 

 

 

17  変化に弱い私と美容室

 昨日の記事で、私は変化を嫌う頑迷固陋、保守退嬰人間である、などと書いていたら変えざるを得ないことが起こりました。だいたい世の中そんなものです。

 

 実は、中年鉄オタの私ですが、髪は札幌駅のJRタワースクエア内のおしゃれな美容室で切ってもらっています。20代のころまでは散髪屋だったのですが、30過ぎて田舎町に越してしばらくたったころ、思い切って札幌のおしゃれな美容室に行ってみるか、と思いたちました。

 

 最初はものすごく勇気がいったのですが、数軒目で気にいった美容室ができ、もうこの美容室に15年ぐらい行っています。今春までは田舎町からわざわざ列車で行っていました。今も電車で通っています。

 

 ただ、以前は田舎でしたから、自宅から何時間もかかってその美容室にたどり着くまで、一軒も道中に美容室がありませんでした。ところが今度は都市部なので、1時間もかからないのに通り道のあちこちに美容室があります。だいたい、今のマンションの北側・東側の向かいも、ともに美容室で、最寄りの駅前には今通っている店と同じ系列の美容室の支店があります。

 

 ですが、こちらに来てからも同じ店に通い続けています。特に男性は、髪を切るところをなかなか変えないらしいですね。以前、警察が犯人を見つけるため張り込みをするところの一つに理髪店があるということを聞いたことがあります。同じところに通い続けるから、だそうです。

 

 ということで、先日、あれこれ考えながらも、また、いつもの美容室に行ったのですが、担当の美容師さんがやめるとのこと。もう担当は4人目。2人目の人が非常に長く、10年以上同じ人だったのですが、その人がやめたあと2人目の人でした。

 

 以前異動になった、今の美容師さんの親友だという前担当者(3人目の人)は系列の札幌市中心部の店にいます。

 

 今は都市部暮らしで、もう田舎町の時と違い、列車乗車の時間的制約で札幌駅近くの美容室にこだわる必要がなくなっています。今の担当者がやめるのならば、前の担当者が上手だったし、札幌市中心部の異動先の店に変えようかと思ったのですが、その前担当者も一緒に会社をやめるとのこと。

 

 12月一ヶ月だけこの2人が同じ店(系列の今まで行っていた店とは別の店)で働くそうです。ということで一回だけそこに行くことにしました。やめる事情は聞きませんでしたが、異動か待遇に不満が生じたのかなあ、と思います。

 

 1月以降、今の美容室を続けるか、今の担当者か前担当者の転職先に行くか、全然違うところに行くか、それとも、もういい年のおじさんだし、また、おとなしく散髪屋に行くか、どうしようかな、と思います。今後どこに行くか、1月まで考えておかなければなりません。この程度の変化にもあれこれ考え込んでしまいました。

 

 私は変わることが苦手ですが、髪を切ってもらっている間、思い切って全然違う店に行くことも検討しようかな、と考え始めました。いつも3回分のカラーチケットを買うのに、今回は買わずに一回分の料金を払ったので、かなり割高になってしまいました。

 

  さて来年、次々回の美容(散髪?)はどうなっていることやら。自分でもどのように行動するのか見当もつきません。

 

16  変わることへの抵抗感

 11月のある日、いつも使っているメールソフトThunderbirdのインターフェース、というのか、デザインが変わっていました。

 

  長年使っていたoutlook expresswindows live メールの更新が終了した際、いちばん雰囲気が似ていたので使うようになったのですが、今回の更新で突然雰囲気が大きく変わっていました。

 

 windowsもときどき更新でデザインや機能といった雰囲気が変わることがありますね。突然雰囲気が変わると違和感を感じて慣れないものです。まして今回は約20年間同じような感じで使っていたものが変わるので違和感が拭えません。

 

 IT業界の人は基本的に新しもの好きなのだと思いますが、こちらは保守的で変わることを嫌います。同じものを使い続ける人です。何か新しい機能がついて「これは便利だ」と実感する場合は新しいものの方を好みますが、単なるデザイン変更や、普段使い慣れていて満足している場合は、変えなくてもいいのに、と思ってしまいます。9月に買い換えたバッグの場合、いまだになじめません。前のバッグが欲しいなあ、といまだに思っています。

 

 ものやパソコンソフト(近頃は「アプリ」というのでしょうか?)だけではなく、日本など、もう30~40年前に社会システムが確立されています。ですから日常生活で困ることがないのに、変わっていくことがあれこれあります。

 

 コンビニもセブンイレブンは自分でお金を投入する方式になりました。以前スーパーで経験しているとはいえ、朝の出勤時など、時間がないので面倒です。ついついまだ店員にお金を渡す方式のローソンに行ってしまいます。まあ、そのうちローソンもそうなる可能性が強いでしょうが。

 

 それに私は現金派です。キャッシュレスなどほとんど利用しません。使いすぎてしまうとか、どれだけ使っているかわからなくなってしまう、という不安があります。カードは過去に不正利用された経験があり、今ひとつ信用できず、ネット通販などやむを得ない場合にしか使っていません。

 

 頑迷固陋、保守退嬰の極みみたいな人で、だから日本は乗り遅れるのだ、その原因を作っているのだ、といわれそうですが、そういう性分なのですね。まあ、嫌々ながら少しずつ慣れていくしかないのでしょう。

 

 

 

 

11  新丹那トンネル記録動画

  テレビを見なくなって久しく、youtube漬けとも言える日々ですが、youtubeというのは何でもあるもので、例えば、テレビだと放映できない山口組関連の映像も載っています。ヤクザはこんな儀式をするのか、と興味深く見たります。決してお近づきにはなりたくないですが。また、創価学会などの宗教団体の映像もテレビでは見ることがないもので、興味深いものです。

 

  一方で、商業ベースに乗りにくい、大昔の記録映像も載せられていたりします。これまたテレビではまず見ることができません。あれこれ見ている中で、「新丹那トンネル」掘削の記録映画を見ることができました。通常、youtube動画は飛ばし飛ばしで見ることが多いのですが、この映像は最初から最後まで飛ばさずに見ました。

 

 工事現場は「新幹線」ではなく、「弾丸鉄道」と表示されていますね。戦前すでに「弾丸列車」構想があり、一部工事が始まっていたそうです。戦後高度成長期に、それを利用して東海道新幹線が建設されたのですが、この新丹那トンネルも一部工事が始まっていたそうです。

 

 私があれこれ感想を書くより映像を見ていただいた方がいいのですが、今から約60年前、大変な苦労の末建設されたことがよくわかります。あるいは温泉地下水噴出のなか、ずぶ濡れになりながら作業する。あるいは軽装でドリルをかける、この程度の格好で大丈夫だったのかな、と思いますし、「白ろう病」にならなかったのかな、とも思います。危険な作業、不安定な足場でのシーンも多く、まさに命がけ。コンクリートの打ち込みではコンクリートを足でならしています。こんなことをしていたのだ、と思います。地層が複雑だ、ということは聞いていましたが、工事区間によって岩盤あり、泥土地帯あり、と、確かにさまざまです。

 

 戦後、1960年前後の映像ですから、ある程度の機械化は進んでいるのですが、現在に比べると、まだまだ人力に頼る部分が大きかったのでしょう。在来線の丹那トンネルの掘削経験があったから比較的容易に掘削できた、とされることが多いのですが、それでもそれでも苦労の連続だったようです。21名の犠牲者が出たのだとか。戦前の在来線丹那トンネルの掘削はもっと想像を絶する大変さだったのでしょう。

 

 私は文科系の人間ですから、60年前の技術水準でもよくこれだけの緻密な工事ができたものだ、という感慨を持ちます。また、私の仕事とは全然違った類の苦労ですから、自分にはできない、と思いますが、でもこういう苦労をした人が別の職に就くとそれはそれで違った苦労をして参ってしまうことがあるそうですね。一概に比べられないのかも知れません。

 

 今はもっと機械化や技術も進んだのでしょうが、それでも今もどこかでトンネルを掘ってる方々がいるのでしょうね。

 この映像はこれまで埋もれていたのでしょうが、youtubeのおかげで見ることができましたす。載せる価値もない、くだらない映像も多いなか、このような価値ある映像は長く残して欲しいものです。

www.youtube.com

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