写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

01 0日目出発まで 民泊予約でドタバタ<その1>

 では、今日からあまりお待ちかねではないだろうと思いますが、タイ旅行記を始めます。お付き合いください。といっても今回は出発前のドタバタから始まります。

 

 それから今回もまた、「写真のない旅行記になりました。あとスマホも持って行きません。今の時代にスマホを持たずにひとりで旅行するとこういうことになりますよ、という悪い見本のような旅行記になってしまいました。まあ、ネットには写真付きのタイ旅行記などいくらでもありますから、その意味では貴重かもしれません。では1回目。

 

 2019年の年末、ネットで航空券を予約したあと、ホテルの予約をしました。夕方到着なので、予約サイトの地図で空港に一番近いところを検索し、もうひとつの高級ホテルより安かったのでそこを予約したら、その宿泊先はホテルでも何でもなく、どうもマンションを民泊にしていて、場所は全然違うところ、送迎サービス(しかも有料)をやっているので空港のところに印がついていたというだけでした。

 

  しかも、キャンセル不可だったので、仕方なく予約サイトのカスタマーサービスに電話しました。2回かけたのですが、どうも担当は日本人ではないようです。流暢な日本語で、話は全然問題なく通じました。結局、宿泊先に電話かメールを送るように、という話になり、電話は困るので、様式を送ってもらって、メールを送ったのですが、反応がありません。いよいよであれば国際電話となりますが、英会話に全く自信がないので大丈夫か?と思います。

 

 思い切りが悪いので、予約するとき、「エイヤッ」とやってみたのですが、確認不足でした。予約してから気づいて大失敗。価格的にも空港直結だと思ったので多少高くても仕方ないかと思って取ったところですし、参りました。

 

 年が明けて、1月4日に札幌に出ました。昨年ブログをはじめて、また旅行にも行くことでもあるし、写真も必要かな、と思いはじめたので、スマホをいよいよ買わざるを得ないかな、と思ったのですが、踏ん切りがつきませんでした。どの程度のものを買えばいいのか全然わかりませんし。今回もスマホなし旅行になります。ただ、今回は本当に事情を知らないところで、帰ってこられるかな、意思疎通がこれまた行ったところより格段に難しそうです。

 

 ホテルの件でいきなり大失敗で、すごく不安になります。これに懲りたので最終日は朝早いこともあり、空港直結の高級ホテルを予約しました。高級ホテルなのでプールやフィットネスもあるそうで、もうやけくそなのでプールもフィットネスも行ってみようかと思いますが、(本気か?)もう困惑つづきです。出発が早朝なので高級ホテルなのに朝食を食べることができなさそうですし。こんなことなら一泊目も空港直結の高級ホテルにしておけばよかったと思います。

 

   1日目の民泊の方は、チェックインカウンターがないとのことで、どうやって出入りするのかと思いますが、相手からの連絡も来ず、いよいよ無理矢理国際電話をかけざるを得ないかな、と思います。韓国にはかけたことがあるのですが、そのときはたまたま日本語のわかる人がいました。今回の民泊はキャンセル無料なら絶対キャンセルしますが、キャンセルの場合全額没収とのことでした。5000円パーにしてもやはりキャンセルすべきだったかな、と思います。厄介なことになりました

 

  その後も1泊目の民泊からメールの返事がありません。そこでやむを得ず国際電話をかけることにしました。当然ながら意思疎通ができません。韓国語と同じで、言いたいことは一応言えるのですが、向こうの言っていることがわかりません。一方的にしゃべっていると、切れて(切られて)しまったようです。そこでそのあと3回かけたのですが、2回はなぜか通じず(無言?)、4回目に出てまた同じ展開。こんなことで東京のカスタマーセンターや国際電話を何回もしたので、これでは最終的に高級ホテルに泊まるのと値段があんまり変わりません。あるいはそれ以上かも。戦々恐々です。

 

 その後ようやく1泊目の民泊の宿泊先からメールが来て、LINEで連絡しろ、ということでした。再度メールを送っても返信がありません。そこで四苦八苦してPC版LINEを設定したのですが、驚いたことにこちらが知らないうちに親戚や職場の同僚など何人かが、私の固定電話番号を登録していたらしく、肝心の宿泊先からの連絡が来る前にそっちの方から何件も連絡が来て大困惑しました。スマホを使うようになったのだと勘違いした人もいたようです。

 スマホを持たないのはこういう連絡が来るのが鬱陶しかったのもあるのですが。LINEに電話番号を登録すると私の電話番号をスマホに登録した人に通知が送られることになっている、というのを知らなかったので、親族や同僚にこのことを知られてしまいました。

 その後、肝心の宿泊先からは「OK」の一言のみがきました(スタンプというのでしょうか?)。ようやく返事が来たとはいえ、いちばん不安な1日目がいちばん不安な状態になってしまいました。民泊なのでフロントがなく、再度チェックインの仕方などを教えて欲しいという返信を出したのですが、その返事がなかなか来ません。向こうの返事は「未読」になっていて、使い方がわからないので大困惑しました。 
 

07 ブログ開始4ヶ月目までの状況<その3>

 ブログ報告続きです。こんなにアクセス数の少ないブログもあるのだ、と思ってやってください。

 

 1月22日はわずか4。ヒトケタに終わりました。常連さん以外は来なくなってしまったようです。23・24・25日はそれぞれ21・14・8。よくブログ指南に100記事を超すとアクセスが急増する、と書いてあったりしますが、全然。26・27・28日は15・7・64。この64だけ突出しています。なぜこの日1日だけ急増したのか真相不明です。この日は姫路駅の「えきそば」を食べた記事でしたが、21年前の話ですし、アクセス急増とは関係ないように思います。

 

 1月29・30・31日はそれぞれ16・14・15と低空飛行。

 

 2月を迎えて1・2・3日は15・23・31でした。3日は「某国へ行きました。さてどこでしょう?の答えと今後の方針」という記事でした。答えを出したからアクセス数が増えたとも思えないのですが…。

 

 4日23、5日11です。「写真のない旅行記」ではダメなのかと思い、ハバロフスク動画のリンク集を掲載したのですが、全然ダメでした。6日15、7日9。このあたりはyoutubeで興味を持った動画の紹介でしたが、アクセス数はごく少数に終わりました。他人が投稿した動画紹介では駄目ですね。8日は12です。

 

  9日21、10日14、11日は37、この日比較的多いのは、読者の方でこれまでの記事を次々と読んでくださった方がいたようです。ありがとうございます。少数の読者の方に支えられていますね。だんだんアクセス数についても「もういいや」と思うようになっています。収益目的でもないですし。ただ、継続して読んでもらえればなあ、という思いは持ち続けていますので、よろしくお願いします。

 

 12日15アクセスとなりました。 

 

 明日からはお待ちかね(?)のタイ旅行記を掲載予定です。また写真なしで細かいことまで書きまくりますが、読んでやってください。

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06 ブログ開始4ヶ月目までの状況<その2>

 ブログ報告のつづき。2020年を迎えてからです。

 

 元日はネット断ちをしたので他のブログを訪問せず、13アクセスにとどまりました。2日は25に回復しましたが、80日も連続投稿してこの数字はかなり成績が悪いようです。やはり自分は世間に受け入れられていないんだな、と思います。

 ところが3日からアクセス数が急上昇。3日64,4日56,5日49、6日38、とこの零細ブログにしては絶好調です。年賀状に3人ほど、教えてもいいかな、という人に、ブログをやっていることを知らせたので、そのうち一人が見に来てくれたのかもしれない、と思ったのですが、どうも休みに以前ブログ開始を知らせておいた知人が読んでくれたようです。今も読んでくれていますか?読んでくれていたらありがとうございます。

 年末年始は所感やカレンダーがらみのことを書きました。3日は「ご意見お待ちしています」という記事を掲載してしまいました。やはりコメントがないのが寂しいのです。アクセスが多い割にはコメント数はダメでした。押しつけがましかったのか、「はてなスター」はむしろいつもより少なかったです。どんなもんかと見に来たけど、引かれた、というところでしょうか?幸い、何人かの方がコメントを書いてくださいました。感謝感謝です。

 

 7日からタイ旅行に出ることになり、この頃準備に追われていました。不在の間ブログ記事掲載を中断しようか迷いましたが、結局1999年春の古旅行記を掲載することに決定。昔書いた記録をリライトして自動投稿できるようにしておきました。


 7日55、8日27、9日22、10日14,11日17と漸減傾向。ほったらかし状態で海外旅行に出かけ、帰国後に確認した数字ですから仕方ありません。帰国して不在の間のブログの状況を確認した12日は36アクセスがありました。13日18,14日24アクセス。

 

 15日に「某国へ行きました、さてどこでしょう?」というクイズ形式の記事を掲載。3人の方が答えてくださいました。再度感謝申し上げます。この日34アクセス。

 

 16日からは、1999年の夏の旅行記を連載。さすがに古すぎのようで、1月初めは盛況だったのに、アクセス数がだんだん減り、20を維持できなくなってきました。17日16,18日11,19日13ときて、20日はついに5。ヒトケタ転落です。

 

 21日は100日継続100記事目の記念すべき日なのに、アクセス数18。

 

 このあたりで開始以来の総アクセス数がようやく2000を超えましたが、まさに零細ブログといわざるを得ない状況です。

 

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05 ブログ開始4ヶ月目までの状況<その1>

 ブログをはじめてもう少しで4ヶ月になります。昨年12月にはじめてからの2ヶ月間のアクセス数と、それに伴う自分の取り組みや感想を書き連ねていきました。あれからそろそろ2ヶ月がたちますので、その後の2ヶ月を振り返ろうと思います。ただ、その後はそこまでアクセス数にこだわることはないかなあ、という心境に達しています。前回の続きの17日から。

 

 12月17日。36アクセスです。ブログ開設以来の状況を記した、苦し紛れの記事が旅行記よりアクセスを集めているというのは皮肉です。

 

 18日17アクセス。この日でブログ報告も終わり。ブログをはじめて以降、動きが気になって勤務時間が終わると即帰宅するようになりました。

 

 19日は21アクセス。昔の「大学目薬」広告の話を載せたのですが、渋すぎたのかもっとアクセスを期待していたのに全然ダメでした。

 

 20日は日韓関係論を載せました。20日は28アクセスでした。まだまだ試行錯誤です。21日35,22日22、23日35アクセスでした。札幌に出ている間もアクセス数やコメントが来ていないか気になってしまいました。旅行記ブログなのにこれでは本末転倒です。

 

 話題は旅行記から離れて韓国やブログに関する雑記に移行しているのですが、それでもアクセスが私の零細ブログにしてはそこそこあります。

 

 24日は24。25日28。26日26。ネタ切れということで、昔書いて残しておいた1999年の名古屋・岐阜旅行記を載せておきました。 

 

 27日からは一人鍋レシピです。アクセス数の方は27日22、28日はわずか13。料理系はダメかな、と思います。旅行ネタが尽きたら、食の話を書こうと思って書いてみたのですが不評でした。もう少し工夫しなければと思います。だんだん偏屈なひとり者であることがバレてきますが、記事が増えていくほどだんだんどんな人物かバレていくのは仕方ないですね。

 

 29日。夕方までアクセス数14で、また20行かなかったかあ、とがっかりしていたのですが、夕方突然26になり、結局31。新規の読者がついたのですが、その人が一度にいろいろ読んでくれたのではないと思います。
 
 この時点で、読者は26人になりました。普通はこれぐらい毎日更新すれば100人行くようですが、偏屈ブログなので駄目なようです。ただ、「読者」の中には数人、私の趣味嗜好に近いと思われる人がいて、どこの誰かはわからないのですが、親しみを持つようにになった方々もいます。あんまり深くコミットするのもどうかと思いますが。

 

 私の場合は、多数の人に読んでもらうよりは、少数の人にきちんと読んでもらって共感してもらればいいなあ、という思いを持つようになりました。でもアクセス数の方は増やしたいです。読者は少数の方を大切に、アクセス数は多い方がよい、という矛盾した気持ちをがあります。まあ、相手のあることは望んでも無駄ですが。

 

 旅行記以外のことも書くようになり偏屈生活がバレる内容でしたので、呆れて数少ない読者も離れてしまうのでは、と掲載してから危惧するようになってしまいました。

 

 年末もブログをあれこれ見ている日々だったのですが、旅行記にしろ、知識系にしろ、私より若いのによほど優れた内容のブログがあちこちにあるものです。上には上があるものです。結構劣等感を感じてしまいます。ブログをやるからには、やはり写真をやらないとだめなのかなあ、と思いました。30日22,31日16と20を割り込み、新年をを迎えます。

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04 建国記念「の」日

 先日、職場で、ある人が、書類に2月11日を建国記念日と記載していました。建国記念の日であることを指摘しておきましたが、こういう些末的なことを指摘するのは嫌がられがちな行為ですね。でもやってしまいます。

 

 ネットを検索すればなぜ「建国記念日」ではなく、「建国記念の日」なのかすぐわかりますが、確認しておきましょう。

 

国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)

第1条 

自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを「国民の祝日」と名づける。

 

第2条国民の祝日」を次のように定める。

建国記念 政令で定める日  建国をしのび、国を愛する心を養う。

      (ここまで内閣府のホームページから引用)

 

 様々な祝日があるなかで、この日だけ「政令で定める日」なのですね。実際は2月11日です。この日は神武天皇の即位日を太陽暦に換算した、旧紀元節です。1889年の大日本帝国憲法発布はこの日に行われたのでした。

 

 戦後、1966年に「建国記念の日」として復活したのですが、当時の社会党などが抵抗して「の」が入り、この日は「日本が建国された日」ではなく、「日本が建国されたことを祝う日」という解釈ができるようにしたのでしょう。日付も国会で作る法律では定めることができず、内閣の制定する政令で定めることになった、ということでしょうね。

 

 もう50年以上たって忘れ去られていますが、「の」が入っている意味を知っておきたいものです。

 

 この件に限りませんが、世の中にはときどき何か不自然、不合理なものが存在していることがあります。だいたいそういうものは何らかの経緯があってそうなっているのです。そういうものを不自然・不合理と切って捨てるのではなく、なぜそうなっているのか、経緯を探ったうえで、今でも必要なのかどうか、検討できればいいですね。