写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

03 在宅勤務を経験して(2020年5月)

 転勤したものの、コロナ騒ぎの中で、結局、「在宅勤務」を経験することになりました。ゴールデンウィークもありましたので、この2ヶ月、半分ぐらいしか職場に出勤していないと思います。その分、新職場にもなじめない状態が続いています。ただでも適応力がなく、前の職場でもなじむのに相当の年数がかかりましたが、今回は環境も大きく変わり、「なじむ」という点ではますます厳しそうです。初めは新職場での時間稼ぎができた、と思っていたのですが、不安になってきました。

 

 でも、こちらは快晴の日が多く、ある日など、快晴のうえに温度もちょうどいいくらい。眺めのよい窓に面した机にパソコンを置いて、一日仕事。ダレるんじゃないかな、と思っていたのですが、意外とはかどります。こういうのは、苦手な仕事ではありませんから、目が疲れる以外は苦になりません。「仕事」になっているのか疑問を感じつつも、少なくともこういう「働き方」は自分には合っているように思ってしまいます。

 

 少し薄ら寒いものの、窓を開けると風が通ります。新居は夏向きのようで、北海道の冬を過ごすには少し寒そう。でも、5月にこんなに家にいることはないので、暑くも寒くもなく、快適。朝、ふとんを干して、疲れたらちょっと休んで、ということの繰り返し。

 

 昼には家の近所に見つけた古い和菓子屋へ行き、いなり寿司と大福2個を昼食にします。こちらに来た当初、出費激増でしたので節約。今日はごま大福があったので、これを買ったのですが、これが他の大福に比べても非常においしく、絶品。食べるとき、すりごまが落ちてちょっと困りましたが。

 

 3時過ぎになるとさすがに疲れてペースが落ちましたが、それでも目標は達成。

 

 職場に行くと、まだ全くなじんでいませんし、中には早速きつい物言いをする人もいてへこむこともあります。今後は、もっともっとストレスがたまるでしょう。ですがこの2ヶ月、転勤があったとは言え、人付き合いの苦手な私にとって、これまでにないストレスフリーの状態です。不謹慎ながら、正直、これが続けばなんていいんだろう、と思ってしまいます。

 

 もちろん家の整理が済んでいないことや出費の多さ、いろいろな店が休業していて困る、外出時のマスクが鬱陶しい、など、いろいろあることはあるのですが、こんな状態は少なくとも就職してからは初めて。こういう状態を一回経験してしまうと、戻れるのだろうか、と逆の不安を感じてしまいました。

 

 こういう状況が一段落しても、マスク着用や消毒などは当分続くのでしょうし、新しいことに適応力のない私にはきつい日々が待っているようです。そのとき、今の状態と比べてしまい、ポキッと折れてしまわないかな、と思います。こんな記事を書いて、後で読み返すと、あれは何だったんだ、と思うかもしれませんね。無責任で不謹慎だとは思いますが、こんなことを感じてしまいました。

04 旅行貯金 中央郵便局にこだわる<その4>(2000年8月)

 昨日まで2000年夏の北東北3県の旅行記を掲載しましたが、この回は中央郵便局訪問のことは旅行記本文ではなく、別記事にしていました。ですから今回は本文からの抜粋ではありません。とにかく、3県の郵便局訪問記事です。これも基本的に20年前の記載のままです。

 

  24局目 盛岡中央郵便局(2000年<平成12年>8月7日)

 

 8月7日の盛岡では駅で地図を確認してバスに乗り、中央通1丁目というところで降り、ちょっと歩きましたが盛岡中央郵便局を無事発見。おばさんの局員はきちんとハンコを押してくれました。これで24局目。1冊目終了です。帰りは歩きました。ところで岩手県交通のバスは何でオンボロなのでしょうか?いままで乗った中でも千歳相互バスと並ぶオンボロぶりです。(当時千歳在住でした)

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 25局目 青森中央郵便局(2000年<平成12年>8月8日)

 

  翌日、青森では地図を見てもどう行って良いのかわからず、ついに禁を破りバス案内所のおばさんに確認。青森の女の人は眼鏡をかけて髪を束ねると品はいいけどきつい感じがします。ところが何を言っているかよく聞き取れません。時間だけが聞き取れたのでその時間に来たバスに当てずっぽうで乗ったらちゃんと着きました。       

 

 この企画(?)をはじめた当初、24局で貯金して23局で下ろす、ということも検討したのですが、この旅行を行ううちに、47都道府県中央郵便局で「貯金」しよう、ということに決めていました。

 

 ここからも下ろさずに貯金を続けます。新しい通帳を作りました。通帳2冊目突入。若い男のヤンキーぽい兄ちゃん局員(青森の人は概してきつく見えるのかも知れない)はきちんとしていて、ハンコもきちんと押してくれたのでいいですが。帰り、向かいに「関ガラス店」を発見。コラムニストのナンシー関が「実家は青森のガラス屋」と書いていたのでここなのかしら、と思って眺めていました。

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 26局目 秋田中央郵便局(2000年<平成12年>8月9日)

 

 翌日秋田では、またバス案内所で行き方を聞きました。市営バス案内所のおばさんが「将軍塚線」といったのでそれに乗って降り、しばらく歩くと見つかりました。ここは男の局員だったと思います。中年男性の係員で、ハンコは問題なし。

 

 郵便局の内部というのはどこも同じようなものですが、ここは秋田杉なのか、木をふんだんに使った造りで、珍しかったです。帰り郵便局の目の前で「中央郵便局前」バス停を発見。市営バスではなく、秋田中央交通とかいう会社のバス停でした。

 

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 これで26都府県制覇。今度は2001年冬ですが、この頃、郵便貯金の通帳の様式が変わるという報道があり、心配でした。旅行貯金関係の掲示板ではまだこれに関する書き込みがないので、定額の方はどうなるのか、ハンコを押すという規定はどうなるのか、と不安になっていました。

11 2000年夏の旅行感想(2000年8月)

 2000年夏の旅行記を連載してきました。これで一応終わりですが、この回はまとめ的な感想があまり残されていませんでした。 当時残したものに追記を加えておきます。

 

  列車について

 はつかりは485系の改造型でした。はまなすは14系でしたがドラえもん列車でした。しかしトンネルの塩気のせいか、外板がボロボロです。そろそろ更新時期ですね。

 

(追記)ボロボロでしたが、2016年まで使い続けましたね。

 

 盛岡冷麺について

  盛岡冷麺というのは札幌発祥だという説があります。というのは、札幌の焼肉店が最初に「盛岡冷麺」と名付けて売り出し、それをたまたま札幌に出張で来ていた岩手県観光課の職員が見て、大々的にひろげることを思いついたという説です。

 

 このほか、盛岡にはジャージャー麺というのがあるそうです。どうも韓国旅行の時に書いた「チャジャンミョン」のことではないかと思うのですが、独自の変化を遂げているのかもしれません。まだ未食ですが。もしそうなら、岩手と韓国の食文化にいったい何の関係があるのか、興味がでてきます。

 

 (追記)どうやら、盛岡在住の在日朝鮮(韓国?)人の人が盛岡でこうした麺を広げたようですね。しかし、岩手県というのは韓国・朝鮮とは離れていて、縁の薄そうな県です。それでも不思議な気がしますね。今は冷麺・ジャージャー麺・それと昔からのわんこそばを合わせて「盛岡三大麺」というそうです。

 

 座席転換について

 この旅行で、方向転換するとき、ほとんど座席の方向転換をしないのが気になりました。理由を推測して本文に書きましたが、その後、東北の列車は昔から方向転換するものが多く、東北人は座席の方向転換しない習慣になったのだ、という説も見かけました。実際のところ、どうなのでしょうか?

 

 <追記>駅弁業者について

 ブログ掲載後、知人の方から「伯養軒」は一度経営破綻してその後「ウエルネス伯養軒」となっている、という指摘がありました。知ってはいましたが、20年前の旅行記そのままにしておいたので触れていませんでした。他にもこの20年の間、廃業した駅弁店があるでしょうね。販売終了した駅弁はもっとあるでしょう。

10 三内丸山遺跡と洞爺のかにめし(2000年8月10日)

   8月10日に青森に着いてから、バスで三内丸山遺跡を見に行きました。結構観光客もいて、中学の初任者研修らしき先生もいました。まあ正直なところ、行ってみると特に感慨を催すようなことはありませんでした。復元の竪穴住居の中に入ろうとしたら、頭をぶつけてしまったのが印象に残った程度です。大型の掘立柱を組み合わせた構築物もありました。この遺跡については、私は過大評価ではないのかなあ、という疑問を多少感じるのですが、遺跡のことは素人ですし、まあいいでしょう。

  

 4時過ぎに駅に帰ってきて駅の横のショッピングビルをウロウロしました。古本市をやっていましたが、おやっというものはなし。食堂もありましたが、駅弁を食べようと思っていたのでパス。おみやげ売場でリンゴパイ蜜リンゴを買いました。

 

    青森駅に戻るとはつかり13号」17:15発予定が信号故障で45分遅れとのこと。また「はつかり」の遅れか、と思いました。じっと待って18:00頃乗車。今回は椅子の方向転換をみんなやっていました。乗客が少なかったせいかも知れません。本来函館でスーパー北斗21号」に乗りつぐはずなのですが、時刻表通りだと間に合いません。ということで五稜郭駅で臨時乗り継ぎということになりました。19:50頃です。

 

 函館で駅弁を買うつもりだったので猛烈におなかが空いてきました。車内販売の売り子はなかなか来ないし、やっと来たと思ったら駅弁を持っている様子がありません。でも背に腹は替えられず、聞いてみると、意外にも「洞爺のかにめしでいいですか?」という答え。

 

   長万部を過ぎたあたりだったのですが、洞爺に着くとホームにビニール袋を持ったおばさんがいて、発車後に車販嬢とは違うJRの女性乗務員がきてかにめしを売ってくれました。どうやら予約が入ると携帯か何かで連絡して用意してもらう、というシステムのようです。洞爺のかにめし自体珍しいし、こういうシステムは初体験でした。予約すればどこの駅弁でもやってくれるのでしょうか?聞いておけば良かったと思います。 

 

 22:45分頃南千歳着。接続の関係で7分遅れの普通電車に乗り込み、千歳には22:59分頃に着きました。ということで今回の旅行記は終わりです。今回は、郵便局のことを書いていませんでした。まあ大したことないのですが、あとで書くことにします。

09 五能線を普通列車で(2000年8月10日)

 旅行最終日の8月10日。朝食を食べ、7時過ぎにホテルを出ました。バス停を探しましたが、近くにはなく、ようやく見つけたバス停ではあと30分もバスがありません。仕方ないので駅の方に歩いていきました。かなり歩いたところで、他の路線が合流してきたらしく、バスが来たのでそれに乗りました。運賃表がないという田舎バスで、降りるとき運転手に料金を聞いて払いました。

 

 駅まで歩くことも覚悟して早く出てきたので、多少時間が余りました。今日は五能線に乗ります。この線も乗れそうで乗れない路線です。能代8:11発。3両編成です。花輪線のときもそうだったのですが、前夜あまり眠っていなかったので、眠くなってしまいました。

 

 でも、八森、というところで海が見え、思い切って窓を開けると気持ちよい風が入ってきて、眠気など吹き飛びました。ずーっと海が見えて、高いところから見下ろしたり、波打ち際を走ったり、フェリーと追いかけっこしたり。波音が聞こえる駅もありました。奇岩もあり、砂浜もあり、松林を通り抜けたり、私が好きな山陰本線の車窓にも似て、それ以上とも言っていい路線でした。

 

 冬は冬でまた別の風情があるでしょう。この線はSL時代、何度か列車が波にさらわれたということがあったそうです。慰霊碑も見えました。

 

 実は後続の「リゾートしらかみ」に乗ろうか、と思っていたのですが、途中観光地見物のため余計な停車があるのと、数日前の山田線での「ぐるっとさんりくトレイン」乗車が退屈だったので普通のディーゼルカーに乗ったのです。やはりこれが正解でした。

 

 窓の開くクロスシート車は今や貴重になりつつありますが、ローカル線の旅はやはりこれに限ります。五能線を窓の開かない車両で旅したら、価値は半減したとさえ思うのです。海風の気持ちいいこと。青森あたりを走る列車は冷房なんかいりません。昨年の肥薩線以来のお気に入り路線となりました。

 

 でもこの線も完全な時代錯誤。まあこの地域自体が時代から取り残されている地域かも知れません。20世紀の思い出になるのかなあ、なんて考えながらボヤーッと乗っていました。乗車率は思っていたほど悪くなく、ワンボックス一人ずつぐらいは乗っていましたけれど。

 

 深浦で長時間停車した後、鰺ヶ沢を過ぎると津軽のりんご畑を走り、川部で方向転換。といってもクロスシートなので席を移るだけです。弘前には12:43着。弘前駅も駅弁がなくなったようで、駅そばを食べて、13:08発701系で13:52青森着。701系は食傷気味なので特急に乗りたかったのですが、本数が意外と少なく、普通乗車と相成りました。