2000年夏の旅行記を連載してきました。これで一応終わりですが、この回はまとめ的な感想があまり残されていませんでした。 当時残したものに追記を加えておきます。
列車について
はつかりは485系の改造型でした。はまなすは14系でしたがドラえもん列車でした。しかしトンネルの塩気のせいか、外板がボロボロです。そろそろ更新時期ですね。
(追記)ボロボロでしたが、2016年まで使い続けましたね。
盛岡冷麺について
盛岡冷麺というのは札幌発祥だという説があります。というのは、札幌の焼肉店が最初に「盛岡冷麺」と名付けて売り出し、それをたまたま札幌に出張で来ていた岩手県観光課の職員が見て、大々的にひろげることを思いついたという説です。
このほか、盛岡にはジャージャー麺というのがあるそうです。どうも韓国旅行の時に書いた「チャジャンミョン」のことではないかと思うのですが、独自の変化を遂げているのかもしれません。まだ未食ですが。もしそうなら、岩手と韓国の食文化にいったい何の関係があるのか、興味がでてきます。
(追記)どうやら、盛岡在住の在日朝鮮(韓国?)人の人が盛岡でこうした麺を広げたようですね。しかし、岩手県というのは韓国・朝鮮とは離れていて、縁の薄そうな県です。それでも不思議な気がしますね。今は冷麺・ジャージャー麺・それと昔からのわんこそばを合わせて「盛岡三大麺」というそうです。
座席転換について
この旅行で、方向転換するとき、ほとんど座席の方向転換をしないのが気になりました。理由を推測して本文に書きましたが、その後、東北の列車は昔から方向転換するものが多く、東北人は座席の方向転換しない習慣になったのだ、という説も見かけました。実際のところ、どうなのでしょうか?
<追記>駅弁業者について
ブログ掲載後、知人の方から「伯養軒」は一度経営破綻してその後「ウエルネス伯養軒」となっている、という指摘がありました。知ってはいましたが、20年前の旅行記そのままにしておいたので触れていませんでした。他にもこの20年の間、廃業した駅弁店があるでしょうね。販売終了した駅弁はもっとあるでしょう。