写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

55  「自然の音」の動画  

 以前は夜眠るとき、語学のCDを編集したものを流していましたが、やはり「睡眠学習」で効果がありません。また、「癒やし系音楽」を流していたこともありましたが、そういったものよりも、最近は「自然の音」を流していることが多くなっています。

 

 この手の「自然の音」系の動画もyoutubeにはいっぱいありますが、下にリンクをつけた「自然の音、鳥のさえずり、森の音、リラクゼーション、睡眠、瞑想、8時間のリラックス」というものが一番気に入っています。

 

 同じような自然の音でも、川の流れの音が激しかったり、鳥の声がうるさかったり、結構違いがあるものです。この動画の場合、川の流れの音も穏やか、鳥のさえずりも適度ですので、これが聴いていて一番ここちよく、8時間分もあるので、寝るときつけたままにして眠ってしまう日が多いのです。

 

 この動画、キリル文字が表示されるところからして、ロシア系の動画であるようです。この動画は「ロシア カバルダ・バルカル共和国 ナリチク」で録音されたものとありました。南ロシアの黒海カスピ海に挟まれた地域のようです。

 

 ロシアもコロナ禍の上に今戦争をしていて、当分訪れることもできそうにありませんが、こういういいところもあるのだなあ、と思います。こんなところで一日ボヤーッとしていたいようにも思います。

 

 なお、この動画の紹介記事は、「歌」ではありませんが便宜上「日本の歌・世界の歌」カテゴリーに入れておきます。

 

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54  パク・サンチョル「無条件」(무조건)と統一教会動画 

   しばらく歌の記事もご無沙汰でしたし、政治の記事も1ヶ月ほどご無沙汰です。ですが久々に関連記事を書きます。

 

 安倍氏の暗殺事件以後、(旧)統一教会が社会的問題となり、もう2ヶ月が過ぎようとしていますが、相変わらず報道が続いています。私も新聞やネットでその手の記事を見たりしていますが、youtubeでも関連動画が「おすすめ」として出てきますのでついつい見てしまいます。

 

 宗教団体の歌、というものはこれまでは内部で歌われるだけで、テレビやラジオで流されることは皆無と言ってよかったのですが、youtubeが出来てからは何でも投稿されるようになり、各宗教団体の歌をみんなで歌っているシーンに不思議な感覚を覚えているわけです。

 

 そんな中で、今回気になったのは「無条件」という歌です。実はこの歌、2005年に出され、火がついたのは2008年だそうですが、韓国演歌、トロットの一曲で、本来は統一教会とは何の関係もなく、要するに「好きな人のためなら無条件で駆けつける」という主旨の歌です。韓国演歌、トロットは日本の演歌に比べるとリズミカルで、ベタですが踊ることも出来ます。パク・サンチョル(박상철)という人が歌っているそうですが、この人については何も知りません。

 

 で、この歌に合わせて、若い統一教会の信者が韓鶴子総裁の前でこの歌に合わせて踊っている動画が出てきました。韓総裁がこの歌を好んでいるそうですが、しかしスーツ姿で必死に踊っている若い男性信者と無表情でその様子を観覧している韓総裁の対比が何ともシュールです。

 

 韓総裁(「真のお母様」らしい)のためなら無条件で駆けつける、という忠誠精神をこの歌で示しているようです。

 

 調べてみると、韓国では統一教会に限らず、会社などでこの歌を会席の場で歌うことが多いそうです。会社への忠誠を示すのでしょうかね。

 

 それでも見ている方が恥ずかしくなるような動画ですが、やっている本人たちはどういう心持ちなのか、私には理解できません。これが「洗脳」というものなのでしょうか?

 

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53  ムン・ジュラン「空港の別れ」(공항의 이별)

 今回取り上げる歌手は文珠蘭(문주란 ・ムン・ジュラン)という歌手です。この人は私が韓国を興味を持ち始めたころ、1982年に「東京音楽祭」に出演し、「遠い星」という歌で最優秀歌唱賞をとりました。その後、しばらく日本で活動したようですが、まだ韓国への一般の関心が低い時代で、成功したとは言えず、韓国に戻ったようです。ですが私が意識して知った最初の韓国歌手のひとりとなりました。

 

 この人、韓国版ウィキペディアを検索して翻訳にかけてみると、自殺未遂・劇場での火災による負傷・暴行拉致事件・放送停止処分・交通事故とかなりの激動の人生を歩んでいます。この時代の韓国人というのは、芸能人でも一般人でも、多かれ少なかれ激動の人生を歩んでいる人が多いのでしょうが、なかなか大変そうな人生です。

 

 さて、今回取り上げる歌は、彼女の代表的なヒットだという「空港の別れ」です。1974年(72年という記述も見かけました。どちらが正しいのでしょうか?)のヒット曲だそうですが、歌そのものは二昔前のトロット(韓国演歌)で、特段興味を惹かれるような歌ではありません。類型的な韓国歌謡、といったところです。

 

 ですがミュージックビデオ、というか、youtubeにアップロードされている映像、この映像が興味深いのです。当時この映像が何のために使われたのか、テレビか映画館で流されたのか、私はよく知りませんが、空港で撮影されたものです。

 

 当時発展途上国であった韓国の空港(金浦空港?)でのロケ映像。空港の敷地内で黄色いドレスを着た彼女が歌っているのですが、これがいかにも「敷地内」という言葉がぴったりな場所で、そんなところに不釣り合いな格好をして歌っているので、なんとも場違い、チグハグ感満載です。

 

 ゲートに寄りかかって歌ってもちっともロマンチックではないし、うしろではボロっちいバスが通り過ぎていく。空港の建物は二階建てで、田舎の空港然としていますし、飛び立つ大韓航空の飛行機は垢抜けしていません。なんともシュールな映像に仕上がっています。

 

 間奏中、彼女が物憂げに道路上を歩いている場面でも、後ろに脇から道路に上がろうとしているおばさんの姿が見えてしまいます。気まずそうにすぐ飛行機の映像に切り替わるところがまた味わい深いのです。

 

 せめて衣装をこんな派手なドレスではなく、コートを着てスーツケースでも持って歌えば、多少は雰囲気が出たと素人の私でも思うのですが、当時の韓国の映像制作者は、それくらいのこともわからなかったのか、と思います。

 

 衣装もロケ場所も予算その他の制約があって、こういう今見ればシュールで面白い映像になっているのですが、当時は大真面目に作っていたのでしょう。これが当時の韓国の限界、というところだったのでしょう。

 

 当時の韓国で、どうもこの手の歌を歌っている歌手の映像が結構作られたらしく、youtubeに結構アップされています。以前見たものには高速道路のパーキングエリアらしきところで派手なチマチョゴリ姿の歌手が演歌を歌っている映像もありました。他にもいくつか場違いな格好で歌を歌っている映像を見つけることができます。

 

 当時の懐かしい風景と歌、ミスマッチな衣装が楽しめる1970年代の韓国ミュージックビデオ、もうちょっと発掘してみたいと思っています。

 

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52  ピンクレディーの「サランヘ」と「釜山港へ帰れ」

 先日、韓国の日本語国際放送「KBSワールドラジオ」の番組「K音楽研究所」の記事を書きました。その中で、パーソナリティーの方がピンクレディーの韓国公演の話をしていました。

 

 その後、tsuhyunmomoさんという方の指摘もあり、改めてyoutubeなどをあれこれ見ていました。その結果、どうも、1980年の「TBC世界歌謡祭」の招待ゲストとしてピンクレディーが出演したようだ、ということがわかりました。

 

 この「TBC世界歌謡祭」は、かつて存在した韓国の民放「TBC」が行っていた国際歌謡祭です。以前紹介した大橋純子が前年の1979年に「ビューティフル・ミー」を歌ってグランプリを取った歌謡祭です。

 

 この「TBC世界歌謡祭」(翌年からTBCが公営のKBSに吸収されたためKBS主催となった)と、ライバル局のMBC(これは現存していますね)の国際歌謡祭に、それぞれ日本代表が参加しているのですが、以前リストを見たところ、大橋純子弘田三枝子、MBCの方は朱里エイコ松崎しげるといった面々でした。当時日本語の歌をテレビで歌ってはいけなかったので、英語で歌えるポップス系の実力派だが、当時ちょっと不遇をかこっていた歌手が出ているのかな、という印象でした。

 

 この1980年の「TBC世界歌謡祭」本選には日本代表として弘田三枝子が出場していたようです。ピンクレディーはどうやらスペシャルゲスト的な出演だったようですね。

 

 歌ったのを確認できたのは「サランヘ」という歌と、釜山港へ帰れ」でした。「サランヘ」(愛してます)という歌は、韓国語を習うと最初によく歌わされる曲で、私も韓国初訪問の団体旅行の時、みんなで歌いました。「サランヘ」のほうはミーちゃんが歌ったのでしょうか?日本語の歌が歌えない場合、とりあえず韓国の歌を歌うとなれば、この曲を選曲するというのは自然だと思いますので、違和感はありません。

 

 ですがどうやらケイちゃんが歌ったらしき「釜山港へ帰れ」は、歌詞もすぐに覚えられるとは思えないし、その後日本で「演歌」としてヒットしたせいか、よく歌ったな、という感想です。当時、日本の歌手が韓国語の歌を歌う、ということ自体、極めて稀だったと思いますし、この歌を歌いこなせた、ということはすごいな、と思わざるを得ません。

 

 ピンクレディーは私の年代ならば皆さんご承知でしょうが、1970年代後半に爆発的な人気があったグループで、1978年にはレコード大賞を取っています。80年になると人気も一段落していて、翌81年に解散したのだと言う記憶がありますが、その前にアメリカに進出して英語の歌も出していますから、この音楽祭で披露していてもおかしくないはずで、「Kiss in the dark」という歌を歌っていたという情報もありましたが、確認できませんでした。

 

 80年といえば、政治的には光州事件があり、全斗煥政権発足の年、激動といってよかったと思いますが、やや落ち目気味だったとは言え、あのピンクレディーがあの時代の韓国に行って歌っていたのか、と思うと、感慨もひとしおです。

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51  村田英雄「花と竜」

 私がyoutubeで見ている動画は、やはり旅行系と韓国・香港・タイ・台湾・ロシアといった近隣地域のカルチャーに関する動画、それと昔の歌や懐かしいものを紹介する動画が多くなってしまいます。

 

 あれこれ見ていると、「おすすめ」として、各地の懐かしのCMが出てきます。中には大阪の「パルナス」、名古屋の「青柳ういろう」など、自分が知らない地域、ちょっとだけいた地域のCMも出てくるのですが、それでも懐かしさ半分、新鮮さ半分で見入ってしまいます。

 

 ですが、やはり懐かしいのはかつて自分が住んでいた地域のCMです。山口に住んでいたときには福岡の放送が入っていましたから、このあたりの銘菓のCMなど、当時はただ見流していただけですが、30数年ぶりに見ると懐かしさに浸ってしまいます。

 

 その一つが「大蔵住宅」のCMです。福岡の住宅メーカーだったようですが、村田英雄が「花と竜」の歌をバックに「大蔵住宅」と揮毫する、というものです。コメント欄の「小学生の時、クラスの男子が習字の時間に「大蔵住宅」と書いていた」というのを見て笑ってしまいました。

 

 たしか、1980年代後半、久米宏のやっていた「ニュースステーション」を見ていると、11時頃になって流れていた、というCMだったと思います。ただ、この会社、その後倒産してしまったらしいです。

 

 この「花と竜」という歌は、もっと古い歌で、1964年の曲だそうです。火野葦平の小説をテレビドラマ化したときに作られた歌だということです。その時代の話はさすがに知りませんが、今、改めて聞いてみると、今の歌謡界、演歌の世界でさえもこういう男っぽい歌手、歌の系譜が絶えてしまったなあ、と思い、かえって新鮮味を感じ、妙にはまってしまいました。 

 

    村田英雄は大阪や九州を舞台にした歌が多く、西日本の人、という印象があります。一方、三橋美智也は東日本の人、という気がします。昭和30年代にはこういう歌がはやったのですね。

 

 こういう歌が流行歌になる時代は、もうやってこないかもしれないです。

 

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