写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

50  ベッシー「サロニケ海」(Μπέσσυ Αργυράκη 「Σαρωνικέ Μου」)

 前回は1981年の東京音楽祭にギリシャから出場したベッシーという歌手の「ト・シ・ヒ・コ」という曲を紹介しました。紹介したと言うより、情報募集と言ったところですが、誰か情報を教えて下る方はいらっしゃるでしょうか?

 

 さて、この「ベッシ-」というギリシャの歌手ですが、この東京音楽祭以外で見かけたことはありません。歌も数回聞いただけです。

 

 この歌がそこそこヒットしていた頃、NHKのFMで日曜日の午前中、世界の音楽を紹介する番組がありました。たしか10時半頃から中南米編・アメリカ編・ヨーロッパ編と30分ずつ各地の音楽を紹介する番組でした。私は中高生の頃、部活動もしてなかったので、こういうFM放送などのラジオを日がな一日聞いていたのでした。特に洋楽に興味があったわけではないのですが、当時NHKのFMは邦楽の番組が少なく、一方で自分はたいしてすることもない暇人でしたので、こういう番組をなんとなく聞いていたのです。

 

 すでにBCLで韓国歌謡に興味を持ち、さらに他のアジアの国々の歌の情報を知りたいと思っていた私にとっては、この番組で「アジア編」がないことが不満でした。当時のアジア音楽の認知度は、欧米はもちろん、中南米より低かったのです。NHKでアジア音楽を紹介する番組ができたのは1980年代の中盤だったと思います。

 

 話がそれましたが、その世界の音楽の番組で、このベッシーという歌手が取り上げられていました。ところがヒットしていた「ト・シ・ヒ・コ」のほうはさわりだけで、代わりにかかったのは今回取り上げる歌でした。

 

 「サロニケ海」という歌だと紹介されていました。ラジオでたった一回聞いただけでしたが、エーゲ海だか地中海の海域を連想させる歌声で、妙に印象に残りました。不思議なことにメロディーも覚えていました。もちろん、ギリシャ語ですから歌詞はさっぱりわかりません。

 

 それから数十年、先日「ト・シ・ヒ・コ」の歌がyoutubeに上がっていたのを聞いたとき、この歌も聴けないものか、と思い「ベッシー サロニケ海」で検索したのですが、彼女の別の歌が出てくるばかりで、この歌が見つかりません。

 

 今度は「サロニケ海」をgoogle翻訳ギリシャ語にして、再度検索をかけてみたところ、数曲目に出てきました。特に強い思い入れがある曲ではなかったのですが、こういうことで数十年ぶりに昔聞いた曲に出合う、というのは妙な感動がともなうものです。

 

 彼女はΜπέσσυ Αργυράκη (Bessy Argyraki) という名前で、この今日の原題は 「Σαρωνικέ Μου」というようです。どうも1980年の歌のようですね。ギリシャ語はさっぱりわかりませんので、google翻訳にかけると「私のシャロン」と出てきます。でも最後に「サロニケー」と歌っているので、サロニケ海、あるいは「私のサロニケ」とでもいうことなのでしょうか?

 

 歌詞も出てきましたが、google翻訳にかけるしか手立てがなく、それが正しいのかはさっぱりわかりません。こういう海がギリシャにあるのか、とこれまた検索すると、「サロニコス湾」というところがあるようです。「サロニカ湾」ともよばれるそうなので、この海のことを歌っているのですかね?不確かなことばかり書きましたが、前回に続いて何かご存じの方はお知らせください。

 

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49  ベッシー「ト・シ・ヒ・コ」

  1981年の「東京音楽祭」だったと思うのですが、ギリシャの歌手でベッシーという人が出場して、「ト・シ・ヒ・コ」という歌を歌いました。どうも銀賞を獲得したようです。当時田原俊彦が人気絶頂の時期でしたから、彼をイメージした歌のかな、と思っていました。

 

 この歌、日本語で歌われたのでよく覚えています。今聞いても上手に歌っていますね。アメリカの歌手が日本語で歌を歌うケースは多くなかったように思いますが、それ以外の国の歌手はたまに日本語で歌を歌ってレコードを発売するケースがあったようです。この曲も大ヒット、とまでは行かなかったのかも知れませんが、洋楽チャートのベストテンの下位ぐらいには入っていた覚えがあります。

 

 この東京音楽祭世界大会、というイベントは、滅多に見られない外国の歌手を見られる貴重な機会でした。私は英語に弱いので、だいたい邦楽派、あとは当時マニアックだった韓国歌謡に興味を持っていましたが、英語圏以外の歌手の歌などを聞く機会はこの音楽祭ぐらいしかなかったものです。

 

 ずっと忘れていたのですが、何かの拍子にyoutubeの「おすすめ」に出てきて、懐かしく聞きました。あれこれ見ていく中で彼女が2012年にこの曲を歌ったらしい動画も出てきました。一部日本語を間違っていますが、30年以上前に覚えた日本語の歌詞がほとんど完璧。私は日本人として、日本語の歌詞を覚えてくれたいたことに感謝というか、嬉しくなってしまいました。

 

 この歌手と歌について書けることはこのくらいなのですが、さらなるエピソードをご存じの方は是非教えてください。

 

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48  和田弘とマヒナスターズ「お座敷小唄」 

   東京オリンピックの開会式で小山田圭吾が過去のいじめ問題で批判され、降ろされた、という話は周知のことですが、この小山田氏、あの和田弘とマヒナスターズのメンバーであった三原さと志氏の子息だということです。そのことは今回の一連の報道ではじめて知りました。

 

 マヒナスターズといえば、1960年代大変人気のあったハワイアンコーラスグループです。ハワイアンというより、ハワイアンの楽器を使って和風の歌を歌っていた、という印象があります。私はリアルタイムで全盛期を知らない世代ですが、父親や祖父が好きだったらしく、いくつかの歌を歌っていたような覚えがあります。「ムード歌謡」のはしりだったのでしょうか?

 

 1964年、ちょうど前回の東京オリンピックのあった1964年にこのグループがヒットさせていたのがこの「お座敷小唄」だそうです。「富士の高嶺に降る雪も 京都先斗町に降る雪も 雪に変わりはないじゃなし 溶けて流れりゃみな同じ」というお座敷歌をもとにした歌らしいのですが、「ないじゃなし」では、「ある」ということになって意味が通じない、ということが今でもこの歌の話になると取り上げられます。

 

 この歌、お座敷歌をハワイアン楽器に乗せて歌う、という趣向で、和製ポップス登場直前に大流行した曲です。宴会なんかで歌うのに適していたのでしょう。子供がこの歌を歌って親に怒られた、なんて思い出話も散見されます。歌詞はともかく、メロディーが歌いやすくて子供でも口ずさめそうですからね。今ならとても流行りそうにない曲ですが、それだけに高度経済成長期の雰囲気を感じさせる歌のひとつです。

 

 2つのオリンピックつながりで、大ヒットした曲を歌った人とその子供がすれ違う、まさにすれ違ってしまったのですが、ちょっと興味深かったので記事にしてみました。

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47  古川ロッパ「東京オリムピック」

 東京オリンピックが始まって、それをめぐるゴタゴタやさまざまな議論には興味があるものの、肝心の競技にはさっぱり興味のない私は、テレビ中継も見ませんし、グダグダ連休を過ごしてしまいました。

 

 もったいないことをしてしまいましたが、東京に旅行に行くわけにもいかないし、それより遠くだと、ちょっと日程的に苦しかったのです。一方で別のことをやろうか、という気もしていたのですが、こちらは「まん延防止対策」いわゆる「まん防」の影響でこれまたダメになってしまいました。連休が始まる前はあれこれ有意義な過ごし方を考えていたのですが、ダメでした。

 

 さて、結局グダグダ過ごした連休、またyoutube漬けになっていたのですが、今回いろいろな動画を見ているうちに出てきたのがこの「東京オリムピックなる歌。古川ロッパ、という人が歌っています。

 

 戦前の1940年皇紀2600年の年に東京でオリンピックが開かれることになっていたのですが、日中戦争、さらに第二次世界大戦の勃発でそれどころではなくなり、中止となった、という話は、今回のオリンピックに絡めてどこかで聞いたことがある方も多いでしょう。私もそのこと自体は知っていたのですが、こんな歌があることは知りませんでした。誰かが発掘してyoutubeに載せたのでしょうね。

 

 古川ロッパ(緑波)という人、戦前の喜劇俳優と言うことぐらいしか知りません。リアル世代ではありませんので。ただ、「エノケン榎本健一)、ロッパ」と並び称される戦前の喜劇の大スターだったということは聞いたことがあります。エノケンが大衆受けしたのに対し、ロッパは華族出身(加藤照麿男爵の子)でインテリだったそうで、中間層に人気があったのだとか。

 

 「オリムピック」という歌ではあるもの歌詞全体としては都市風俗的なものが目立ちます。このときのオリンピックは早々に中止になったので、一般庶民までの啓蒙まで行かなかったのでしょうし、この歌は当然ながら公式ソングではなかったのでしょう。

 

 ただ、歌詞の中に真っ先に出てくるのが「マラソン 孫選手」というフレーズ。これは前回1936年のベルリンオリンピックで金メダルを取った朝鮮出身の孫基禎選手のことでしょう。ベルリンオリンピックで戦後も語られ続けたのは、「前畑ガンバレ」連呼の実況放送で知られる水泳の前畑秀子選手ですから、ちょっと意外です。

 

 孫選手はどちらかというと当時の東亜日報という朝鮮語新聞が彼のがつけていた日章旗を消して新聞に写真を掲載したことが問題となった日章旗抹消事件」という政治史的文脈で語られることが多いですから、このようなコミカルな歌で用いられるのは意外でした。ロッパはインテリなので、この人のことを持ち出したのか、それとも当時日本全体で彼が代表的なスポーツ選手と見なされたいたのか、興味深いところです。

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46  松平健「マツケンサンバⅡ」

 今日は東京オリンピックの開会式の日ですね。どうなることやらです。

 

   オリンピック直前に開会式の音楽担当の小山田圭吾氏が過去のいじめ問題で辞任に追い込まれました。これはニュースでご存じの方が多いと思います。開会式直前と言うことで組織委員会は逃げ切ろうとしたようでしたが、逃げ切れませんでした。

 

 一連の推移を見て、いくら過去のことでも、報道されていることを本当に障害者に対してやったのなら、森喜朗氏、あるいは渡辺直美氏の容姿を揶揄するような企画を出した人よりよほど罪は重いし、少なくともパラリンピックの音楽担当にはふさわしくないでしょう。私もこの人の音楽を使うべきではないと思います。

 

 報道のあれこれを読むと、本当にやったのかな、粋がって悪さ自慢したかったのではないか、という気もしますが、まあどう考えてもパラリンピックまで考慮に入れるとダメでしょう。

 

 一方で、特にパラリンピックの音楽を担当するのには全く不適当だとは思いますが、これで小山田氏が社会的に抹殺されることは望ましくないとも思います。

 

 実際の開会式がどんな具合になるのか、無観客の上に音楽も差し替えということになって一体どうなるのだろう、という興味がないわけではありませんが、私は今回の東京オリンピックそのものに懐疑的、もっと言えば反対派です。いつものオリンピックは開会式だけテレビで見るのですが、今回は視聴もボイコットしたい気分が半分、それでもどうなるのか野次馬的な興味半分、といったところです。

 

 さて、小山田氏の辞任という事態を受けて、本気ではないでしょうが、開会式にマツケンサンバⅡ」を採用してはどうか、という記事がありました。実は私もこれなら大賛成なのです。以前からyoutubeでこの動画を見るたび「オリンピックでこれをアレンジして採用すればいいのに」と思っていました。

 

 別に今更JーPOPで「クールジャパン」を演出しても仕方ないと思います。あるいはくそ真面目な「和」の伝統を強調した演出も面白くありません。1998年の長野オリンピックの開会式も見ましたが、あのときのように「和」を強調して地元感を過度に出すのはあまり感心しませんでした。

 

 コロナ禍の中で「復興五輪」でも「コロナに打ち勝った証」でもないこのオリンピック、どうせグダグダなのですから、グダグダついで、やけっぱちで、キンキラキンの着物を着た松平健氏の「上様」が白馬に乗って登場し、悪人どもをバッタバッタと成敗し、腰元と若衆ダンサーズを引き連れて無観客の会場で歌い、踊り狂う。ある種の狂気をはらんだ、倒錯のお祭り感をもつシュールなシーンを妄想してひとり笑いしてしまうのでした。

 

 サムライが妙ちくりんな格好をしてサンバ(ではないそうですが)を歌い、踊り狂う、という奇妙で混沌とした演出は、きっと外国人の度肝を抜くでしょうし、外国の人たちにはかえってこういうものの方がウケるのではないかとすら思うのです。ポカーン、とされるかも知れませんけど、顰蹙を買ってもともと、どうせいろんなことで顰蹙を買っているのですから、開き直ってこのぐらいの演出をやればいいのに、と思います。

 

 半分冗談、半分本気でこの記事を書いているのですが、まあ99%あり得ないですね。1%の奇跡が起きたら組織委員会を見直しますが。 

 

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