写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

45  香港のたずね歌

   以前に韓国の歌で、日本の歌にそっくりな歌があるが題名がわからないという「たずね歌」の記事を掲載したことがありました。待てば海路の日和あり、という言葉がありますが、かなり時間がかかったものの、答えてくださる方がいて、2曲中のうち1曲は曲名がわかり、久しぶりに聞くことが出来て、記事にもしました。

 

 さて、実は香港の歌で、いまだにあの曲は何という曲だったのだろう、という曲があります。こちらこそ何の手ががりもありませんので、記事にするのを躊躇していたのですが、もうネタ切れ気味ですので、何でもかんでも書いておくことにしています。ほとんど回答は期待できませんが、それでも香港歌謡に詳しい方の目にとまるかも知れませんので一応書いておきます。

 

 たったひとつの手がかりは、1993年5月に香港に行ったとき、往復のキャセイパシフィック航空の機内放送でかかっていた女性歌手の歌、というだけです。サビのメロディーは覚えているのですが、その部分だけで、鼻歌でメロディーを歌うことは出来ますが、これではどうにもなりません。

 

 ネットには「鼻歌検索」なるものがあると知り、以前試してみましたが、ダメでした。さすがに香港の、それもヒットしたかどうかもわからない歌ですから、ひっかからないのでしょう。また、youtubeでも「1993年の香港の女性歌手の歌」ということで、いろいろな検索ワードを試して検索したこともあるのですが、これまた「これだ!」と思う歌は出てきませんでした。

 

 さーて、いつか誰かが「これだ!」という曲を教えてくれるでしょうか?気長に待つことにしますが、ヒントに乏しいので、期待薄かな、と思っています。

44  和田アキ子「美しき誤解」

  和田アキ子、という人は、大物歌手として数年前まで紅白に連続出場していました。ですが、この人、この時代に活躍していた由紀さおり欧陽菲菲藤圭子いしだあゆみちあきなおみ、といった面々に比べると、中ヒットは多数あるのですが、その年を代表し、時代を象徴するような大ヒット曲には乏しいようです。

 

 1972年には「あの鐘を鳴らすのはあなた」という歌でレコード大賞最優秀歌唱賞を獲得しています。この賞は当時「準大賞」的な位置づけがされていたように思うのですが、この曲は「準大賞」といえるほどの大ヒットをしていないそうです。実際、その直後に放送されたNHKの「紅白歌合戦」では別の曲を歌っています。

 

 紅白には1970年から78年まで連続出場していましたが、その後落選、その後80年代半ばにカムバックして21世紀まで連続出場したのですが、大ヒットがあったから、というよりもタレントとして評価されていたのであって、司会者もやりましたし、むしろ水前寺清子に代わる「応援団長」的役割だった気がします。1980年代以後の連続出場は、歌手としての実績と言うよりも、紅白の中での活躍が評価されて選出されていた、という感が強いのです。

 

 ただ、「あの鐘を鳴らすのはあなた」で最優秀歌唱賞を獲得したように、歌唱力には定評があります。やや一本調子という感がしないではありませんが、それでも声量があって、見事な歌声です。バラード曲など、迫力と情緒を感じます。

 

 今回取り上げた「美しき誤解」は、そんな彼女の魅力が詰まった一曲だと思います。曲そのものは、この頃よく見られた洋画のワンシーンを切り取ったような情景描写の曲調ですが、特に1974年の紅白で歌われたときの映像は、彼女の歌の魅力が詰まっている、しっとりとして情感に満ちた「隠れた名曲」だと思います。

 

 このような歌が大ヒットしていれば、彼女の歌手人生ももっと違っていたのでは、と思うのです。今でも「大物歌手」として扱われていますが、もっと違った、タレントとしての評価よりも本格派シンガーとしての評価が高くなり、歌中心の活動になっていたのでは、と思わせられます。「再評価」されるまでもない実績のある歌手ですが、それでもこの歌を名曲として「再評価」しておきたいものです。

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43  佐良直美「花のフェスティバル」

 いいのか悪いのかわかりませんが、youtubeに昔のいろいろな歌がアップされています。いけないのならきちんと公式的に配信すべきです。こちらはもう中年の域に達し、今の歌より昔の歌へのニーズがあります。

 

 ということで、今回は1974年の紅白で歌われた佐良直美(この苗字、変換できませんでした。昔は有名人だったのに)の「花のフェスティバル」という歌について書きます。

 

 といっても、例によってこの歌についてあまり知っているわけではありません。佐良直美、という人は、1967年に「世界は二人のために」が大ヒット、その後1969年に「いいなじゃないの幸せならば」という歌でレコード大賞をとっています。ですがこれは私が生まれた前後の話。子供の頃には良くテレビで見かけた人でしたが、リアルでこの人の歌った歌がヒットしている、という実感はありませんでした。歌手としての全盛期は正直なところ、1960年代後半の数年間、といったところだったのでしょう。

 

 ですがその後、紅白の司会を何度も務めています。1972年と、74年~78年まで。youtubeでこの頃の紅白の動画を見ることが多いのですが、これが名司会です。この頃の紅白は今以上に田舎くさい出し物が多く、今見るとレコード大賞のような品の良さは感じられません。ですがそんな中で佐良氏の司会は品があって、おしゃれ。紅白の格式をこれで保っていた感すらあります。

 

 名司会者といえる彼女ですが、歌手でもあったわけで、1980年まで連続出場しています。ただ、ヒット曲があったとは言えませんから、洋モノや昔の歌、ヒットしなかった歌でつないでいました。この「花のフェスティバル」という歌も大ヒットしたとは言いがたい曲のようです。

 

 ですが、この曲が「伝説」となったのは、リアルタイムでの放送ではなく、その後、衛星放送で放送された「思い出の紅白歌合戦の再放送です。この番組、昔の紅白を衛星放送で再放送したのですが、本放送では付いていなかった歌詞テロップを付けています。ところがそのテロップがデタラメなのです。特にひどかったのがこの曲。

 

 大ヒット曲と違い、歌詞の資料が残されていなかったからだろうと思われるのですが、歌を聴いてとりあえず付けてみました、という感じで、ひどいものです。特に「ワラサ…」とは何じゃいな、と思ってしまいます。このあまりにひどいテロップのためにある意味「伝説」になってしまったのですね。

 

 無理に歌詞テロップを付ける必要はなかったと思うのですが、上から言われてやっつけ仕事でつけてしまったのでしょうか?真相はわかりませんが、歌手にも失礼ですし、やめておいた方が良かったのではないかと思います。

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42  「アミチャチャ」(阿美恰恰)

 昨日は日本の鉄道唱歌が韓国で「学徒歌」として現在でも歌われている、という話を書きました。日本の曲がアジアで思わぬ形で受容されている、というのは興味深い現象です。

 

    ところで、インターネットであれこれ検索すると、いろいろなものが出てくるものです。今回は日本の曲が台湾で思わぬ形で受容されている、という話を書きます。といってもネットで知ったことの受け売りですが。

 

 台湾には少数民族がいろいろいます。北海道にアイヌ民族がいるように、台湾にも先住民族、現地では「原住民」と言われる人々ですね。昔の日本統治時代には「高砂族」とか「平埔族」とよばれていたようです。

 

 北海道におけるアイヌ民族のような存在なのでしょうが、北海道におけるアイヌ民族の存在感が現在の日常生活ではほとんど感じられないのに対し、台湾原住民は特に東部・南部ではそれなりの存在感があるようです。

 

 いちばん有名なのはアミ族という部族ですね。台湾東部の原住民で、野球選手の陽 岱鋼はアミ族出身なんだそうです。

 

 このアミ族の民俗舞踊に「アミチャチャ」というのがあるそうです。ネットで偶然見かけたのですが、アミ族の人が民族衣装でダンスを踊っている。ところがこの曲が日本の敏いとうとハッピー&ブルーが歌うムード歌謡「星降る街角」なのです。

 

 1977年の曲だそうで、ムード歌謡としてはダンサブルな曲です。最近は見ていませんが、以前はよく「のど自慢」で歌う人を見かけたものです。

 

 「豊年祭」という、民俗祭的なイベントの動画がyoutubeにあがっていますが、このような場所で伝統的な歌ではなく、この曲が流れて踊りを踊っているのはなんだか不思議な感じがします。

 

 でも、それが台湾の鷹揚さにつながっているのでしょう。気に入ったものは取り入れる、というところでしょうか。この辺が韓国とはだいぶ違いますね。 

 

 またよく知らないのに1記事書いてしまいました。台湾のことは韓国以上にわからないのです。何か追加情報をお持ちの方は教えてくださると嬉しいです。

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41  学徒歌(학도가) 

 以前何曲か、韓国歌謡の中で「これは日本の曲のパクリではないのか?」と思われる曲を何曲か紹介しました。しかしこれらの多くは1980年代を中心とした歌謡曲です。

 

 今回は「学徒歌」というものを紹介します。近頃はネットで検索すればあれこれ出てきますし、私はそうしたネット、あるいは本で知った話をまとめて感想を添えているだけです。検索などでこの記事を見つけ、下手に何かのレポートの参考文献にされても困るのですが、それでも書いておきたいので書きます。

 

 お聞きになってわかる通り、この歌の原曲は鉄道唱歌です。「汽笛一声新橋を はや我が汽車は離れたり…」という、かつては特急の車内放送のチャイムにも使われていた、あの曲です。

 

 これが韓国では「学徒歌」という歌になっています。よく話題にあげる、韓国なつメロ番組「歌謡舞台」で歌われていたのを見たことがあります。この曲の存在自体は知っていましたが、いまだに歌い継がれているようですね。ちなみにこのときは作詞作曲者の代わりに「外国曲」というテロップ表示がなされていました。「日本」と書かないところがミソですね。

 

 名前の通り、歌詞は学業啓蒙的な内容に変えられています。出来たのは1904年頃らしく、韓国最初の洋楽曲であるという説を見かけました。ということは日露戦争の頃です。ちなみに1905年が韓国保護条約が(脅迫によって?)結ばれた年ですから、その直前という頃でしょうか?

 

 鉄道というのは近代文明の象徴ですから、これを建設して近代国家建設を成し遂げつつあった日本を見習おう、という空気があったのかも知れません。ですが、もうこの時期になると日本の半島進出の野望は明白になっていた頃でしょう。そのような微妙な空気の中で作られた曲、といえそうです。

 

 今は韓国史の中で、日本を見習って、という動きがあったことは黙殺に近い状況でしょうが、この時代の韓国(大韓帝国)には一面でそういう空気があったものと思われます。日本の近代化に希望を見いだしていたのに、それが他ならぬ日本によって踏み潰されてしまった、というところがあるのでしょうね。

 

 ただ、一般に広がったのは独立運動家の安昌浩作曲説が広まっていたから、という記述も見かけました。

 

 出来た経緯は推測ですが、忘れ去られてもよさそうなこの曲、現在まで生き残っているのは、朴正熙時代に学業奨励のためによく歌っていたからだ、という話です。この時代、日本の歌は禁止されていたはずですが、軟弱な「歌謡曲」ではないし、学業奨励、実力育成の歌、として、例外とされたのでしょうか?

 

 また、韓国では聖書のタイトルを覚えるときにこのメロディーを使って覚えるそうです。そのせいか、youtubeの「学徒歌」のコメント欄には「日本の鉄道唱歌が原曲である」というコメントに対し、「その曲のそのまた原曲はアメリカの賛美歌であると聞いたことがある」という主旨のコメントがついていました。これまた初耳ですが、ネットで調べた限りでは「鉄道唱歌の原曲はアメリカの賛美歌である」という記述は他にはありませんでした。

 

 さらにモンゴルや中国、いちばん驚いたことには何と北朝鮮で「反日革命歌」として歌われているそうで、ここまで来るとひっくり返りそうになります。「ひっくり返りそう」ではなくて、本当にひっくり返ってしまっているのですが。これについては機会を見つけてもう少し調べてみたいと思います。

 

 考えてみれば、日本でもスコットランド民謡とされる蛍の光をいまだに卒業式で歌っている学校もあるのですから、本家スコットランドの人が見たらびっくりするかも知れませんね。「蛍の光」はいらない、という人もいますが、私はこういう興味深い慣習は残して欲しいな、と思う方です。

 

 話が飛びましたが、日本の歌の韓国への受容、というのはいろいろ興味深いものがあるなあ、と改めて思ったものです。追加補足訂正等の情報のある方は、是非コメントでお知らせくださると嬉しいです。

 

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