写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

40  癒やし音楽集<その2>

 北海道でもほとんど雪が融けてきました。まだ雪の降る日があるかも知れませんが、4月になれば、あってもちょっと降る程度でしょう。全く降らないかも知れません。

 

   春の訪れ、ということになるのですが、3月4月というのは私にとって精神状態が悪くなる月です。私の職場では4月に人事異動が行われるので、それを控えて、誰が出て行くのか、自分はどうなるのか、ということでイライラします。

 

   4月は忙しく、気分的にもせわしなくなります。今年度はうまく行くかな、と、かすかな期待をかけるのですが、5月頃になると、今年もやはり…ということになりがちです。夏場暑い中でもう持たないかな、と思い、秋になると精神状態も悪くなる、いや、秋になる前の6月ぐらいに、もうダメになっている年もしばしばです。

 

 北海道の秋はつるべ落としなので、仕事面に加えて気候的にも鬱になりがち、雪が降ると開き直れるし、仕事のサイクル的にも無理をしなくなり一段落、正月を経て、2月は外は寒いのに妙に落ち着く、というのを繰り返しています。

 

 普通はこれから季節がよくなって希望に胸膨らむ、という季節なのでしょうが、こちらは憂鬱。こうしてまた「癒やし音楽集」の記事を書いて、この手の音楽を聴きながらパッとしない日々を過ごす、ということになるのでしょうか?それでも、今年こそは少し状況がよくなりますように、とのかすかな願いをかかえつつ、新年度を迎えることになりそうです。


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39  ピ&パク・ジニョン「Switch to me~僕に変えよう」(나로 바꾸자)

 もうかなり前、1月に韓国の歌謡番組「歌謡舞台」の記事を書きました。そのとき、この番組は韓国演歌である「トロット」やなつメロ中心であるということを書いたわけですが、今年最初の同番組で、ピ(Rain)&パク・ジニョンのコンビが出演してダンスナンバーを披露したということを書いたわけです。

 

 先日そのシーンがyoutubeに上がっていました。どうもKBS放送が上げたようです。日本の放送局もこういうことを積極的にやった方がいいと思いますが、まだまた及び腰ですね。

 

 さて、この番組にはやや場違いの2人だったのですが、ダンスが素晴らしいですね。ピはかつて兵役中に女性と密会して問題になったスキャンダルがあり、とくに年配層にはウケが悪いでしょうが、あえてそのイメージを払拭するため、中高年向きの番組に出たのでしょうか。

 

 おそらくピが30代だと思いますが、パクジニョンは40代でしょう。調べてみるとパクジニョンは1971年生まれ、今年50歳です。

 

 このパク・ジニョンという人、韓国3大プロダクションの一つとされる「JYPエンターテイメント」の創設者です。このブログをご覧の方は韓国の芸能界に詳しくない方がほとんどでしょうから、私が知ったかぶりで説明すると、日本でもおなじみの「TWICE」と昨年ブレイクした日本人グループ「NiziU」の所属事務所です。

 

 ピがこの事務所の所属なので、パク・ジニョンが引き立て役として出演したのでしょうが、それにしても50歳と言えば私とほぼ同年代。もともと歌手ですから、若いときからダンスをやっていたのでしょうが、それにしてもよくからだが動くものです。自分とほぼ同年代とは信じられません。

 

 この人はさすがにピと並ぶと顔はいまいち、という感が否めませんが、ダンスでは全く引けを取らないし、何より大手プロダクションを率いている人物です。私はダンスの類をやったことがないのでわかりませんが、50歳近くであれだけのダンスが出来るというのが不思議でなりません。何事かを成し遂げている人は、その裏の修練もすごいのだろうな、と思わせられます。爪の垢でも煎じて飲みたいものです。

 

 日本のジャニーズに所属している、あるいはかつて所属していた50歳前後のタレントも、やろうと思えばこれぐらい出来るのかもしれませんが、見たことがないのでわかりません。

 

 最近のK-POP、といってもそれなりの年齢の人ですが、それに無知な私が一記事書く気になったのですから、すごいものです。感嘆しました。

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38  ソン・ガイン「トロットが私は好き」(트로트가 나는 좋아요)

   このところまた韓国KBS放送のなつメロ番組「歌謡舞台」をよく見ています。裏技を使ってクリアな画面で見ることが出来ていますので。私の語学力ではこの番組程度しか楽しむことが出来ません。韓国や海外のことが好きなのに、語学が苦手で、韓国語ですらダメダメ。こうやってよく事情がわからないまま、韓国の記事を書いていますが、内心忸怩たる思いです。

 

 ですから自分の感想を書いているだけ、あんまり参考にして欲しくないのですが、それでも書きます。

 

 1月だったと思いますが、この番組を見たとき、ソン・ガイン(송가인)という女性歌手が出てきて、この歌を歌っていました。リズミカルな歌もさることながら、バックダンサーの兄ちゃん姉ちゃん達の振り付けがかっこよくてしかもユーモラスです。どちらかと言えばそちらの方に目が行ってしまいました。

 

 トロットとは韓国演歌のこと。「트로트」という表記と「트롯」という表記が混在しているようです。以前は日本と同じような演歌でした。これが80年代中盤以降だと思いますが、日本の演歌がカラオケ志向、あるいは「天城越え」のようなドラマチック志向になり、ドレスを着て歌う歌手が減って和服姿が目立つようになったのに対し、韓国のトロットはリズミカルな歌が多くなった印象があり、両国の路線の違いが明確になってきました。

 

 韓国の「のど自慢」を見ると、ステージ下最前列で歌に合わせて踊っているおばさんを見かけることがありますが、韓国のトロットは踊り好きの韓国人に合わせ、アップテンポの歌が多いように思います。

 

 それでも日本の演歌と同様、ややパッとしない状況が続いていたようなのですが、どうもこのソン・ガインという人が「ミス・トロット」というオーディション番組で優勝し、この番組が話題になったそうで、復権の兆しが見え始めているのだとか。

 

 KBS放送でも「トロット全国大会」なる番組が始まり、この曲がテーマソングなんだそうです。私はyoutubeで一部を見ただけですが、地域対抗で、キム・ヨンジャとか、チュ・ヒョンミとか、ベテラン歌手が地域ごとの「監督」となり、トロット歌手を発掘しようという企画のようです。

 

 歌詞の中にも「全国八道」という歌詞がありますが、8つの地域に分かれています。ですが本来朝鮮の八道とは北朝鮮の平安・咸鏡・黄海道に韓国の京畿・忠清・慶尚・全羅・江原の各道のこと。しかし分断国家なので、韓国側の5つの道に加え、ソウル・済州・そしてなぜか「グローバル」という地域分けをしているようです。ちょっと無理矢理。

 

 ソン・ガインさんがダンサーを引っつれて歌っている動画の他に、この番組の出場者達が一堂に会して歌っている動画つけました。男女に分かれて歌っているのですが、これを見ると演歌というよりはダンスナンバー、日本のAKBを見ているようです。日本の演歌もこういうのを取り入れてみては、と思いました。 

 

 先日何曲か「頭の中から離れなくなった曲」というのを紹介しましたが、ここ最近はこの曲が頭の中をぐるぐる回っていますyoutubeにも若い子達がこの曲の振り付けで踊っている動画がいくつか上がっています。

 

 この歌や番組がどの程度話題になっているか、ネット情報だけなので、判然としませんが、何か情報をお持ちの方は教えてくださると嬉しいです。

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37  ナミ「悲しい絆」(슬픈 인연)

 このところまた韓国歌謡の記事を書いています。今回はこのブログのコメント欄に「tsuhyunmomo」さんが書いてくださったことをもとにした記事です。ちょっとびっくりしたので記事にしておきます。

 

 以前、キム・ヒョンチョルという人の「春川へ行く汽車」という歌が気に入った、という記事を書いたことがあります。韓国のラジオから流れてきた曲をyoutubeで検索して突き止めた、という内容でした。

 

 その曲をyoutubeで何度も聞いたたわけですが、横に「あなたへのおすすめ」的な関連動画の紹介があります。この曲の場合は、やはり1980年代のバラード調韓国歌謡がずらっと並びます。いろいろ聞いていたのですが、その中の一曲にナミ(나미=羅美)という人の「悲しい絆」(슬픈 인연)という歌がありました。この曲も気に入って何度も聞いていたのでした。

 

 1985年の大ヒット曲だそうですが、当時私には覚えがありませんでした。ただ、ナミ、という歌手は知っていて、アップテンポの「ぐるぐる」(빙글빙글)という歌がヒットしていたことは覚えています。当時の韓国人気歌手を紹介する記事に載っていたこともあり、顔も見たことがあります。ですからこういうバラード調のヒット曲もあったのか、という程度の認識でした。

 

 ところがこれが宇崎竜童作曲の「絆」という曲だと指摘されてびっくりでした。youtubeで検索すると塚田三喜夫という人の歌唱で出てきます。知る人ぞ知る「五月のバラ」を歌った人ですね。さらに調べると、もともとは1984年に橋幸夫が歌った曲だそうです。

 

 これは「似ている」のではなくて同曲です。当時は日本の曲をカバーすることは認められていないはずでしたから、少なくとも韓国側の当局には気づかれなかったのでしょう。私も先日知ったばかりで、日本ではヒットしなかったはずですから、気づかれなかったのでしょう。聞き比べると、韓国語版の方が聞き慣れているので、日本語版の方が歌詞の付け方がぎこちないように感じてしまいます。

 

 それでは日本側では韓国でこの歌がつくられ、ヒットしたことを知っていたのでしょうか?ちゃんと許諾を得たのか、全くのパクリか、黙認か?

 

 ネット検索でコメントや各種ブログを見ると、パクリ説日韓共同プロジェクト説とがありました。宇崎竜童名義では韓国で発売できないので、韓国人作曲名義で出したのだという説です。その後日本文化開放後に宇崎竜童名義にしたという話でした。楽譜を検索すると、宇崎竜童作曲となっているものと、韓国人のキム・ミョンゴン名義になっているものとがあります。

 

 どちらが正しいのか、その辺の真相まではさっぱりわかりません。この歌のケースに関しては、私は共同プロジェクト説の方に信憑性があると思ったのですが、このあたりの裏事情を知っている方がいらっしゃれば是非教えていただきたいものです。宇崎竜童氏ご本人に確かめるのがいちばんなのでしょうが、さすがにそこまではなあ、と思います。

 

 パクリなのか、そういう関係ではないのか、まではわかりませんが、少なくとも私はこれを糾弾したいとは思いません。パクリにしても、日本人作曲であることを公表できなかったのだ、としても、当時の日本側の韓国への無関心と、韓国側の政治的・文化的制約が生み出した産物なのでしょう。その結果、韓国は日本のパラレルワールド的世界を生み出し、それが私の興味関心を引きつけたのです。そして歌そのものも015B・IUと歌い継がれているのですね。 

 

 日韓の間にはそういう虚々実々の関係があり、それが複雑に絡み合い、今に至る「しがらみ」ともなっています。韓国側はこういう過去も明らかになれば「清算」したいと言い出すかも知れませんし、日本側も怒り出すかも知れません。ですが、そういう過去があったのだ、と興味深くお互い分かち合う、という関係になればいいと思います。この曲も韓国歌謡史の発展にゆがんだ形であったかも知れないけれど寄与したはずです。曲の題名ではありませんが、かつて「悲しい絆」、直訳では「因縁」ですが、パクリであったとしても、表に出せない裏プロジェクトであったとしても、そういうことがあった関係なのだ、と思ってもらえないかなあ、と思うのです。日韓裏面史を見た思いでした。

 

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36  ミン・ヘギョン「私の人生を探して」(내 인생을 찾아서)

 先日来、「tsuhyunmomo」さんという方に教えてもらったことをもとにして記事を書いています。近頃はネットを検索すればあれこれ出て来ますし、私の歌に関する知識などというものは、かつてはマスコミ、今はネット経由によって手に入れているものがほとんどすべてですから、私が記事化するのはどうかなあ、とは思います。

 

 ですがコロナ禍もあって旅行に全く出られない日々が続いていますので、どうしてもこの手の記事が多くなります。何か新しい知識をもたらすわけでもなく、受け売りの知識とそれを受けての私の感想ですが、韓国歌謡の世界を紹介したいという気持ちもありますので、読んでやってください。

 

 「tsuhyunmomo」さんが教えてくれた、日本の曲にそっくりな韓国の曲を、昨日から紹介してきました。今日は、本田美奈子の「殺意のバカンス」にそっくりな曲。指摘を受けて早速聞いてみました。「殺意のバカンス」は本田美奈子のデビュー曲ですね。確かにかなりの部分が似ています。とくに前奏の部分が似ているのは一発でわかってしまうのではないでしょうか?全く同じではないので、許諾を受けたとは思えず、この場合はパクリと言わざるを得ないのでしょうか?

 

 80年代前半ならともかく、中盤になると、関川夏央氏の「ソウルの練習問題」が話題になったり、ソウルオリンピックに向けて韓国が注目され始めて来た頃です。バレなかったのかそうでないのか現時点ではわかりませんが、この頃であればもうマズかったような気がします。

 

 この歌を歌ったミン・ヘギョン(閔海景=민해경)という女性歌手は、80年代に人気があった女性歌手で、私が名前を最初に覚えた韓国の歌手のひとりです。その後日本でもデビューしました。やはり先日紹介したパティ・キムの「離別(イビョル)」の記事で、1989年頃に別の歌手が日本語版を歌って大ヒットはしなかったものの、話題曲程度になっていた、という「別の歌手」とは彼女のことだったのです。

 

 この人の歌では「ある少女の恋物語」(어느 소녀의 사랑이야기)という歌が80年代前半の韓国歌謡トップテンに入っており、韓国の文通相手が送ってくれたカセットテープにも入っていました。

 

 彼女が送ってくれたテープはヒット曲を編集して市販のカセットに録音した海賊版と思われるものでした。日本人に韓国歌謡を一通り紹介しようという場合、都合がよかったのでしょう。88年に初訪韓したときも、ミョンドンの屋台でこういう海賊版テープが売られており、一つ買ったように思います。当時の韓国の著作権意識というのはこの程度のものでした。おそらく韓国がコンテンツの権利に目覚めたのはKーPOPが評価されるようになった、21世紀になってからでしょうね。

 

 著作権、パクリとか、そういうことをいい出すと、そもそもこんな記事を書いていていいのか、という気がしてきます。よくわからないままに書いているので、これぐらいにしておきましょう。

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