写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

41  学徒歌(학도가) 

 以前何曲か、韓国歌謡の中で「これは日本の曲のパクリではないのか?」と思われる曲を何曲か紹介しました。しかしこれらの多くは1980年代を中心とした歌謡曲です。

 

 今回は「学徒歌」というものを紹介します。近頃はネットで検索すればあれこれ出てきますし、私はそうしたネット、あるいは本で知った話をまとめて感想を添えているだけです。検索などでこの記事を見つけ、下手に何かのレポートの参考文献にされても困るのですが、それでも書いておきたいので書きます。

 

 お聞きになってわかる通り、この歌の原曲は鉄道唱歌です。「汽笛一声新橋を はや我が汽車は離れたり…」という、かつては特急の車内放送のチャイムにも使われていた、あの曲です。

 

 これが韓国では「学徒歌」という歌になっています。よく話題にあげる、韓国なつメロ番組「歌謡舞台」で歌われていたのを見たことがあります。この曲の存在自体は知っていましたが、いまだに歌い継がれているようですね。ちなみにこのときは作詞作曲者の代わりに「外国曲」というテロップ表示がなされていました。「日本」と書かないところがミソですね。

 

 名前の通り、歌詞は学業啓蒙的な内容に変えられています。出来たのは1904年頃らしく、韓国最初の洋楽曲であるという説を見かけました。ということは日露戦争の頃です。ちなみに1905年が韓国保護条約が(脅迫によって?)結ばれた年ですから、その直前という頃でしょうか?

 

 鉄道というのは近代文明の象徴ですから、これを建設して近代国家建設を成し遂げつつあった日本を見習おう、という空気があったのかも知れません。ですが、もうこの時期になると日本の半島進出の野望は明白になっていた頃でしょう。そのような微妙な空気の中で作られた曲、といえそうです。

 

 今は韓国史の中で、日本を見習って、という動きがあったことは黙殺に近い状況でしょうが、この時代の韓国(大韓帝国)には一面でそういう空気があったものと思われます。日本の近代化に希望を見いだしていたのに、それが他ならぬ日本によって踏み潰されてしまった、というところがあるのでしょうね。

 

 ただ、一般に広がったのは独立運動家の安昌浩作曲説が広まっていたから、という記述も見かけました。

 

 出来た経緯は推測ですが、忘れ去られてもよさそうなこの曲、現在まで生き残っているのは、朴正熙時代に学業奨励のためによく歌っていたからだ、という話です。この時代、日本の歌は禁止されていたはずですが、軟弱な「歌謡曲」ではないし、学業奨励、実力育成の歌、として、例外とされたのでしょうか?

 

 また、韓国では聖書のタイトルを覚えるときにこのメロディーを使って覚えるそうです。そのせいか、youtubeの「学徒歌」のコメント欄には「日本の鉄道唱歌が原曲である」というコメントに対し、「その曲のそのまた原曲はアメリカの賛美歌であると聞いたことがある」という主旨のコメントがついていました。これまた初耳ですが、ネットで調べた限りでは「鉄道唱歌の原曲はアメリカの賛美歌である」という記述は他にはありませんでした。

 

 さらにモンゴルや中国、いちばん驚いたことには何と北朝鮮で「反日革命歌」として歌われているそうで、ここまで来るとひっくり返りそうになります。「ひっくり返りそう」ではなくて、本当にひっくり返ってしまっているのですが。これについては機会を見つけてもう少し調べてみたいと思います。

 

 考えてみれば、日本でもスコットランド民謡とされる蛍の光をいまだに卒業式で歌っている学校もあるのですから、本家スコットランドの人が見たらびっくりするかも知れませんね。「蛍の光」はいらない、という人もいますが、私はこういう興味深い慣習は残して欲しいな、と思う方です。

 

 話が飛びましたが、日本の歌の韓国への受容、というのはいろいろ興味深いものがあるなあ、と改めて思ったものです。追加補足訂正等の情報のある方は、是非コメントでお知らせくださると嬉しいです。

 

www.youtube.com

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