写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

52  ピンクレディーの「サランヘ」と「釜山港へ帰れ」

 先日、韓国の日本語国際放送「KBSワールドラジオ」の番組「K音楽研究所」の記事を書きました。その中で、パーソナリティーの方がピンクレディーの韓国公演の話をしていました。

 

 その後、tsuhyunmomoさんという方の指摘もあり、改めてyoutubeなどをあれこれ見ていました。その結果、どうも、1980年の「TBC世界歌謡祭」の招待ゲストとしてピンクレディーが出演したようだ、ということがわかりました。

 

 この「TBC世界歌謡祭」は、かつて存在した韓国の民放「TBC」が行っていた国際歌謡祭です。以前紹介した大橋純子が前年の1979年に「ビューティフル・ミー」を歌ってグランプリを取った歌謡祭です。

 

 この「TBC世界歌謡祭」(翌年からTBCが公営のKBSに吸収されたためKBS主催となった)と、ライバル局のMBC(これは現存していますね)の国際歌謡祭に、それぞれ日本代表が参加しているのですが、以前リストを見たところ、大橋純子弘田三枝子、MBCの方は朱里エイコ松崎しげるといった面々でした。当時日本語の歌をテレビで歌ってはいけなかったので、英語で歌えるポップス系の実力派だが、当時ちょっと不遇をかこっていた歌手が出ているのかな、という印象でした。

 

 この1980年の「TBC世界歌謡祭」本選には日本代表として弘田三枝子が出場していたようです。ピンクレディーはどうやらスペシャルゲスト的な出演だったようですね。

 

 歌ったのを確認できたのは「サランヘ」という歌と、釜山港へ帰れ」でした。「サランヘ」(愛してます)という歌は、韓国語を習うと最初によく歌わされる曲で、私も韓国初訪問の団体旅行の時、みんなで歌いました。「サランヘ」のほうはミーちゃんが歌ったのでしょうか?日本語の歌が歌えない場合、とりあえず韓国の歌を歌うとなれば、この曲を選曲するというのは自然だと思いますので、違和感はありません。

 

 ですがどうやらケイちゃんが歌ったらしき「釜山港へ帰れ」は、歌詞もすぐに覚えられるとは思えないし、その後日本で「演歌」としてヒットしたせいか、よく歌ったな、という感想です。当時、日本の歌手が韓国語の歌を歌う、ということ自体、極めて稀だったと思いますし、この歌を歌いこなせた、ということはすごいな、と思わざるを得ません。

 

 ピンクレディーは私の年代ならば皆さんご承知でしょうが、1970年代後半に爆発的な人気があったグループで、1978年にはレコード大賞を取っています。80年になると人気も一段落していて、翌81年に解散したのだと言う記憶がありますが、その前にアメリカに進出して英語の歌も出していますから、この音楽祭で披露していてもおかしくないはずで、「Kiss in the dark」という歌を歌っていたという情報もありましたが、確認できませんでした。

 

 80年といえば、政治的には光州事件があり、全斗煥政権発足の年、激動といってよかったと思いますが、やや落ち目気味だったとは言え、あのピンクレディーがあの時代の韓国に行って歌っていたのか、と思うと、感慨もひとしおです。

www.youtube.com

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